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モラロジー道徳教育財団の玉井哲講師が、さまざまなお悩みに答えます!!
Q:兄弟仲が悪い子供たちに悩む
2人の息子たちは、それぞれに独立して家庭を持った今でも兄弟仲が悪く、法事などで顔を合わせた際も会話すらありません。「兄弟間の不仲の多くは、幼少期からの親の接し方に原因がある」といった話を聞くにつけ、子供たちには平等に愛情を注いできたつもりだったのに……と、後悔するばかり。この先が不安です。
(70代・女性)
A:2人を信じて、心から語り合おう
息子さんたち2人の不仲を案じられているようです。しかし、まずはそれぞれが独立して暮らしていることを「よくやっている」と肯定的に受け止めたいものです。息子さんたちがどのような性格で、どのような環境で成長されたのかは存じませんが、現状を自分1人の責任と考えるのはやめましょう。親の反省も大切ですが、ここは大人になった息子さんたちの考えを尊重しつつ、「親として努力したが至らない点もあった」という思いと、兄弟が仲良くやってくれることを願っている気持ちを、どのように伝えるかを考えてみましょう。
戦後80年近く、日本では個人の自由が何よりも尊重される風潮の中で、家庭内でも「親が子や孫を導きつつ、その成長を見守り、楽しむ」ということを大切にする意識が弱まってきたのではないでしょうか。戦前の親子関係に立ち戻るべきだと言いたいのではありません。「1人の人間として、親や祖先に感謝すること」「日本の良き伝統文化を大切にしつつ、一人ひとりの個性を伸ばしていける家庭」「対話のある明るい家庭」が理想と考えています。
兄弟が仲良く助け合うことは親の自然な願いですから、その点は素直に伝えればよいと思います。しかし子供たちの反応はそれぞれでしょう。家族といえども、一人ひとりの立場や価値観は同じではありません。親としては、性格も考え方も異なる子供の持ち味を認め、それぞれの息子さんとあなたが信頼し合い、親しく語り合うことを大切にしたいものです。
親も子も完全な存在ではありません。相手の考えや思いに耳を傾けるとともに、自分の意見を語る対話によって、お互いを理解し合う必要があります。親子3家族が助け合うことは理想ですが、まずはそれぞれの立場を認め合うことを優先してみてください。現実的には一人ひとりの立場や状況は異なるのですから、「自分の人生の主体は自分」と考えるのが原点でしょう。
一番大切なことは、現状を心配されているあなた自身がわが子を信じ、信頼と尊敬と愛情をもって一人ひとりと語り合う勇気です。可能なら、皆で語り合うことができれば最高です。決して相手を責めるのではなく、理解し合うことをめざして進めば、親子兄弟の間のことですから、きっと分かり合えるものと思います。子供を信じてください。
令和4年11月号
Q:完璧主義な自分に疲れる
昔から、何事もきちんとしておかないと落ち着かない性格です。仕事も綿密に計画を立ててから着手したいタイプなのですが、周囲の人たちのペースもあって計画通りに進まないとイライラしたり、些細な失敗でも頭の中が真っ白になったりしてしまいます。この几帳面な性格が幸いしたという経験も過去にはあるのですが、最近、こんな自分に少し疲れてきました。
(30代・男性)
A:「失敗を笑って振り返ることができる自分」に挑戦しよう
お子さんの同級生のお母さんに対する苦手意識。相手の方は、お付き合いをする上で少し戸惑いを感じるタイプであるようです。とはいえ、疎遠にできる御方でもなく、気持ち良く付き合っていくにはどのように振る舞えばよいのかと、一人思案しておられるようです。
まず心構えとしては、どのような人でも一癖や二癖、当人が努力しても克服し難い性格や性癖を持っているものであると認識しましょう。たとえ夫婦であっても、お互いの考えや生活習慣に違いがあることはお分かりでしょう。大なり小なりの違和感は、相手の個性によるものでもあります。我慢ならないほどの不品行や反社会的な人でない限りは、寛容であるように努めましょう。
幸いにして、あなたは不快なことをする相手に対して泣き寝入りするタイプではなく、時には冷たい意思表示もできる強さを持っておられるようです。それはそれであなたの持ち味ですから、大切にしましょう。しかし、長所は欠点でもあります。あなたが自分の態度を省みて「本当はもっと気楽に接したいのに」と反省されている点には共感を覚えます。
ここは「間違っているのは相手の方だ」というこだわりを捨てて、彼女はあなたの弱い面に気づかせてくれる仲間であると考えましょう。性格も性癖も生活習慣も違う人間同士の関わりですから、相手を裁こうとするのではなく、その違和感があなたの日常をかき乱すものにならないよう、お互いの違いを理解し、自分の器を大きくするように努めてください。
相手を否定する心は、自分の成長につながりません。相手の背後には、その方が幸せに生きていくことを祈っているであろう大勢の人たちの思いがあります。そうした人たちの思いを受けて、私たちは生かされて生きているのです。相手の人格を否定することは、自分の人間性を下げることにもつながります。
ここは一人で悩むのではなく、相手を信じ、自分自身も反省の気持ちを込めて、勇気を出して語り合う機会をつくれるとよいですね。決して自己正当化のためでなく、お互いの人間性が豊かになるように心がけてください。誠意は必ず通じるものです。その努力は、きっとあなたの心をたくましく美しく育ててくれると確信しています。
令和4年10月号
Q:苦手意識がある相手との接し方に悩む
子供の同級生のお母さんで、とても苦手な人がいます。距離感を考えず話しかけてきたり、時間を守らなかったりする彼女に対し、私は心の中ではダメだと思いながらも、露骨に冷たい態度を取ってしまいます。周囲の目もあるので不自然にならないように、また、できれば他の保護者と同じように気楽に接したいと思うのですが、どのように気持ちを切り替えたらよいでしょうか。
(40代・女性)
A:相手を信じ、誠意をもって語り合おう
お子さんの同級生のお母さんに対する苦手意識。相手の方は、お付き合いをする上で少し戸惑いを感じるタイプであるようです。とはいえ、疎遠にできる御方でもなく、気持ち良く付き合っていくにはどのように振る舞えばよいのかと、一人思案しておられるようです。
まず心構えとしては、どのような人でも一癖や二癖、当人が努力しても克服し難い性格や性癖を持っているものであると認識しましょう。たとえ夫婦であっても、お互いの考えや生活習慣に違いがあることはお分かりでしょう。大なり小なりの違和感は、相手の個性によるものでもあります。我慢ならないほどの不品行や反社会的な人でない限りは、寛容であるように努めましょう。
幸いにして、あなたは不快なことをする相手に対して泣き寝入りするタイプではなく、時には冷たい意思表示もできる強さを持っておられるようです。それはそれであなたの持ち味ですから、大切にしましょう。しかし、長所は欠点でもあります。あなたが自分の態度を省みて「本当はもっと気楽に接したいのに」と反省されている点には共感を覚えます。
ここは「間違っているのは相手の方だ」というこだわりを捨てて、彼女はあなたの弱い面に気づかせてくれる仲間であると考えましょう。性格も性癖も生活習慣も違う人間同士の関わりですから、相手を裁こうとするのではなく、その違和感があなたの日常をかき乱すものにならないよう、お互いの違いを理解し、自分の器を大きくするように努めてください。
相手を否定する心は、自分の成長につながりません。相手の背後には、その方が幸せに生きていくことを祈っているであろう大勢の人たちの思いがあります。そうした人たちの思いを受けて、私たちは生かされて生きているのです。相手の人格を否定することは、自分の人間性を下げることにもつながります。
ここは一人で悩むのではなく、相手を信じ、自分自身も反省の気持ちを込めて、勇気を出して語り合う機会をつくれるとよいですね。決して自己正当化のためでなく、お互いの人間性が豊かになるように心がけてください。誠意は必ず通じるものです。その努力は、きっとあなたの心をたくましく美しく育ててくれると確信しています。
令和4年9月号
Q:職場の後輩との接し方に迷う
近年、職場に新しく入ってくる若い人たちとの接し方に難しさを感じるようになりました。コミュニケーションが苦手なのか、業務上の必要なことも質問できず、分からないまま放置してしまう人も少なくありません。良かれと思って助言をしても、反応が薄かったり、逆に反感を買ってしまったり。こんな若い人たちとは、どのように接するべきでしょうか。
(50代・女性)
A:相手を尊重し、好意をもって見守ろう
毎年、職場に新しい空気を運んでくる新入社員。フォローする立場のあなたは、社会人としてのコミュニケーションに慣れていない「近頃の若者」の反応に戸惑っておられるようです。
少子高齢化、そして情報化が急激に進む中で、若者の意識や言動に少なからず変化が起きているのでしょうか。確かに情報通信技術が発達した今、職場の人間関係だけでなく学校教育のあり方にも大きな変化が見られるわけですから、そうした環境で育った若者が何らかの影響を受けることは想定できます。直接的に人と会わなくても、それなりの生活は送れるような環境が整っているのですから。
いつの時代も科学技術の進歩と合理化は進み、私たちの生活環境は絶えず変わっていきます。そして、その変化によって最も大きな影響を受けるのは、いつも子供や若者です。若者は先輩世代の価値観や生き方の影響を受けながらも、柔軟に新しい時代の創造に挑戦します。先輩世代から見ると危なっかしく思えますが、その若者がまた大人になって次の時代をリードし、絶えず世代交代が繰り返されていくのです。
ここではあなたも問題意識をお持ちのように、人間関係にまつわる変化もあるかもしれません。しかし「人間性そのものに、それほどの変化はないはずだ」と考えることにしましょう。人間性に関しては個人差も大きく、一概に「若者はこうだから」とはいえないように思います。
私たちは若い世代と職場を共にするとき、仕事を通して考え方や価値観をバトンタッチしていきます。しかし、ここで私たちの考えや価値観にこだわって押し付けるのではなく、若者が自発的に「職場や家庭、社会や国家の良き伝統を受け継いでいこう」と思えるように見守りつつ、良い環境を整えていけばよいのではないかと感じています。
従って、若者の言動に多少の違和感を覚えることがあったとしても、まずは相手を尊重し、温かく見守っていきましょう。行き過ぎには注意しなければなりませんが、相手の持ち味を認めつつ、好意をもって付き合う中で、あなた自身の仕事への誇りを明るい気持ちで伝えてみてはいかがでしょうか。好意は好意を生むものです。あなたの誠実な姿勢は、きっと若者の心を開くと信じています。
令和4年8月号
Q:お礼の手紙は手書きが常識と思うのに
私の若い頃は、手紙といえば手書きが当たり前でした。特に「お礼や返信はできるだけ早く」「目上の人には封書で」と教えられたものです。ところが時代の趨勢でしょうか。最近は手書きの手紙を受け取る機会が減りました。先日も贈り物をした相手から、パソコンで印刷された「お礼のはがき」が届きました。以前は丁寧な手書きの封書をくれた人だけに、寂しく思っています。
(70代・女性)
A:しなやかに変化を受け止めて
手紙やはがきもパソコンで印刷されたものが目立ち、直筆の便りをいただくことはまれになりました。あなたが嘆かれる気持ちに、私も共感しています。この時代の大きな変化に落ち着かない気持ちを抱いている人も少なくないのではないでしょうか。
特にコロナ禍によって直接的な対話や接触が制限される状況下では、情報通信技術の活用は加速するばかりです。教育から政治・経済まで、至る所で人間関係のつくり方や知識・情報の伝達方法に大きな変化が生じています。それほど急激に変わらなくてもよいのにという気持ちも湧いてきますが、この合理化への流れが止まることはないのでしょう。
ここで問われるのは、合理化をめざす中でも「流されてはならない部分」を見極めるという、冷静な判断力です。手紙に関する問題でいえば、形式やツール(道具)の変化に惑わされて、便りに心を込めるという人間性(精神性)を見失わないことです。
教育の世界でも「デジタル機器に頼っていて、人間教育はどうなるのか」という問題が浮かんできます。教育には「知識や情報を伝達する」という知的な側面だけでなく、「得られた知識や情報を内面化して、一人ひとりの感じ方や考え方を正しく育て、人間的成長をめざす」という道徳的な側面、すなわち「知徳一体の教育」が不可欠だからです。知的な教育に傾き過ぎると、道徳的な人格教育がおろそかになる。昔から知育と共に徳育が重視されてきたのは「それぞれのはたらきを見失わないように」という、先人たちの知恵でしょう。
世の中の変化が生活のさまざまな場面に及ぶ中でも、私たちはその変化を冷静に受け止めつつ、人間らしい情感あふれる生活を見失わないようにしたいものです。
知識と情報の世界の広がりは、とどまる所を知りません。一方、私たちが真の安心を得るのは、「人と人とのつながり」や「いのちのつながり」を実感するときではないでしょうか。信頼・尊敬・感謝に支えられた人間愛の精神の大切さは、変わることはないでしょう。
時代に応じて変化していく「器」に従いながらも、本質を見失うことのない「水のようなしなやかさ」をもって生きていこうと考えてはいかがでしょうか。
令和4年7月号
Q:心の曇りを晴らすには
私は幼い頃から巡り合わせの悪い人生を送っているような気がします。人と接するのが苦手で、あまり話もできません。学生時代は親しい友人もなく、1人で勉強をしたり音楽を聴いたりして過ごしていました。それでも昔のしきたりに従って25歳でお見合い結婚をし、現在に至りますが、夫とは相性が悪く、家族が嫌で仕方がありません。どうすれば心の中が晴れるでしょうか。
(60代・女性)
A:冷静に人生を振り返ってみよう
人生の後半に向けて、今日まで抱いてきた暗い気持ちを拭い去りたいという思いがひしひしと伝わってきます。友人に恵まれず、一人で過ごした若い日々への思い、さらに「夫とも相性が悪く、家族が嫌で仕方がない」という心の叫び。過去を変えることはできませんが、「過去の記憶の受け止め方」は変えられる可能性がありますから、一緒に考えてみましょう。
私たちの身の回りではさまざまなことが起こりますが、人は皆「その出来事をどう受け止め、この先をどのように歩んでいくのか」を決定する自由意思を持っています。通常はその時々の気分で、自分にとって都合のいいように決定するのですが、人間関係に関することでは二つの道、すなわち「孤立に向かう道」と「周りの人と仲良く生きるために自己研鑽をする道」のどちらかに分かれます。それは自分を変えることなく、周りが「自分の思うような状態」になってくれることを期待するか、自分が変わることで周りに少しずつ影響を与えていこうと考えるかの違いです。
人と人との支え合いがなければ、私たちの人生は成り立ちません。「自分は孤独でもいい」「自分さえ楽しければいい」という生き方に、喜びは訪れないように思います。
長い人生、楽しいことばかりが巡ってくるものではありません。うれしくない、つらく悲しい出来事の方が、たくさん記憶に残っているかもしれません。しかし、楽しいことも苦しいことも永遠に続くわけではなく、時がたてば状況も気持ちも変化するのが人生の味というものです。
あなたの人生も、他の人たちと大きく異なるものではないと考えます。多くの苦い体験の中にも、今日までの六十数年間を支えてくれた誰かがいたはずです。その人たちへの感謝の気持ちを忘れて、自分だけの「晴れ晴れとした世界」をつくれるでしょうか。
あなたが考える「幸せな人生」とは、どのようなものでしょうか。お金があって何不自由ない暮らしをすることでしょうか、貧しくとも誠実に生きることでしょうか。簡単に答えの出せる問題ではないかもしれません。私はただ、自分の置かれたその場所で、自分の人生に「イエス」と言えるように生きていただきたいと願うばかりです。ゆっくり考えてみてください。
令和4年6月号
Q:息子の妻との関係を改善したい
隣県で暮らす息子は年に4回ほど子供を連れて実家に来るのですが、妻が一緒に来ることはほとんどありません。小学生の孫に「お母さんは?」と聞くと、「今日は忙しいから」などと言います。孫の誕生日のほか、折々に米や果物などを贈っても、息子の妻からは電話一本来ません。社交辞令だったとしても、一言あれば、私の妻もイライラしないのですが。孫への影響も心配です。
(80代・男性)
A:信頼と勇気を持って見守り、祈って
息子さんのお嫁さんとの関係を何とかしたいとのこと。お嫁さんは、あなた方の家にほとんど顔を見せず、贈り物をしても何の音沙汰もないようです。このままではお孫さんにも悪い影響が出るのではと、心配されている気持ちが伝わってきます。
問題の背後には、必ず原因があるものです。親も子もお互いの思いをぶつけ合うだけでは、心の絆を結ぶことはできないでしょう。また、現代では「親の思いに子が応えるのは当たり前」という考えは通用しなくなっていることも心得て考えてみましょう。
親子という間柄であっても、相手に対する肯定的な思いがなければ、その関係を親密なものにすることはできません。高齢になった親の立場としては寂しい気持ちもありますが、子や孫に期待しながらも、まずはこちらが精神的に自立する必要があります。
従って、あなた方夫婦も現実を見つめ直す必要がありそうです。夫婦であっても親子であっても、相手の立場や状況を深く思いやる姿勢がなければ関係が壊れやすいものだという点を、再認識する必要があると思います。
今の息子さん夫婦は、子育てと経済的な基盤も含めた家庭の基礎づくりで手いっぱいなのではないでしょうか。あなた方の思いが正しいとしても、相手の心の内を察してやれるだけの温かさや柔軟さが必要だと考えます。
親子の関係には、家族の数だけさまざまな形があって、温かく思いやりの気持ちにあふれた関係を築いていくのは簡単なことではないと感じています。親としては愛情をかけているつもりでも、子の側がそれを感じ取ることができなければ、心の距離が縮まることはないでしょう。
ここは親であるあなた方と息子さん夫婦との間に、どれほどの信頼と尊敬の気持ちが育まれているかがポイントになると考えます。その気持ちがなければ、少しの行き違いでも感情的になり、関係が壊れてしまうことになるでしょう。
親子で考え方が異なると、親としては心配になる場合もあるかもしれません。そんなときも、子供たちが前向きに人生を歩んでいるとすれば、信頼と勇気を持って見守り、祈っていきたいものです。親子といえども、すべて自分の思うようにはならないと考えるのが賢明といえそうです。まずは相手を受け入れて。
令和4年5月号
Q:親に振り回された過去の記憶に苦しむ
実の両親との間に昔から確執があり、結婚を機に、親きょうだいからは徐々に距離を置くようにしました。完全に交流を断って10年ほどたちますが、幼い頃から受けてきた抑圧や、無神経な親の言動に振り回されたことなど、いまだに過去の記憶に苦しめられている自分がいます。許すことも忘れることもできないこの苦しみから解放される日は来るのでしょうか。
(40代・女性)
A:人間関係は一方通行ではありません
幼い頃から受けてきた抑圧から逃れるため、結婚を機に親きょうだいと距離を置く決心をされたようです。しかし10年ほどたった今でも過去の記憶に苦しんでいるとのこと。過去へのとらわれから抜け出したいという、悲痛な悩みですね。ここから抜け出すのは簡単ではありませんが、あなた自身の考え方がこの悩みに影響していることを心して、共に考えてみましょう。
昔、「40歳を過ぎれば自分の責任」と言われたことを思い出します。良きにつけ悪しきにつけ、40歳頃までは親の影響下にあった自分を受け止めた上で、40歳を過ぎれば「すべては自己責任」との自覚を持って生きるようにという教えです。あなたも今、記憶の中の親と同じ年頃になり、本当の意味での親離れをしたいという思いで苦しんでおられるのでしょう。
人間として未熟な間は、自分の嫌な性格は他人のせいにして、自己を正当化するものです。そして、親や他人から受けてきた恩恵には気づけず、嫌な思いだけが脳裏に焼き付くというのが、人間の記憶の特徴であるようです。
先人は「涙を流した分だけ心が深くなり、他人の痛みや喜びが分かるようになる。涙を流した分だけ眼が澄んでくる」などと言いました。他人を否定し、他人の過失や欠点にとらわれている間は、人は成長できないのです。
私は、今の苦しみは「親やきょうだいとの親密な関係を取り戻したい」という、あなたの心の内からの声ではないかと考えています。
前向きに生きるためには、過去と正面から向き合う必要があります。感情的に非難・攻撃するのではなく、相手の立場も視野に入れながら冷静に振り返ってみてください。親も不完全であれば自分も未熟で、嫌なことの多い生活であったかもしれません。そんな中でも、親もあなたも精いっぱい生きようと努力してきたのではないでしょうか。
過去の恨みにとどまるのではなく、許すことから始めるのです。許せるかどうかは大きな壁ですが、ここにすべてがかかっています。人間関係に一方通行はありません。こちらが痛いときは相手も痛い、相手が喜べばこちらもうれしい、それが人間の自然な感情です。聖書にも「許し合いなさい、あなたが許されるようになるであろう」とあります。心の平穏はここから始まると考えています。
令和4年4月号
Q:ミスを繰り返す自分が情けない
思い込みの激しい性格が災いして、仕事上のミスを繰り返しています。自分ではどんなに注意を払ったつもりでもミスが絶えず、周囲の人たちに迷惑をかけてしまい、自分でも情けなくなります。職場からも見限られたのか、つい先日、配置転換がありました。こんな自分がこれから先、仕事や人生とどのように向き合っていけばよいのでしょうか。
(20代・男性)
A:愚直に、そして誠実に生きよう
ミスを繰り返して周囲の人たちに迷惑をかけていることに落ち込み、今後の仕事や人生について真剣に悩んでいるあなたの心の内を想像しています。
もし、これまで「思い込みが激しい」といった自分の性格についての悩みはあるものの、日常生活に大きな支障がなかったのであれば、少し安心です。とはいえ、仕事を遂行する上での度重なる失敗は、自分の注意力の限界を超えているということでしょうか。そのことはあなたも冷静に受け止めておられるようですから、ここは少しゆっくりと、あなたの自立への道について考えてみることにしましょう。
まず、あなたの物心両面での生活を整えるために「自分の味方になってくれる人」を探しましょう。親や家族の協力には限界がありますから、あなたの身近なところで、何事も相談できる先輩や専門家の支援を受ける必要があるでしょう。自分の仕事ぶりについて報告し、相談できる環境をつくることは、自分を客観的に見直すことにも役立ち、自信を回復することにつながるでしょう。
とはいえ「自分の人生は自分の責任」という点は忘れないでください。すべてを他人頼みにするのではなく、自分の人生に対して誠実に、自分自身で道を切り開くという覚悟を持って、味方になってくれる人(理解者)を増やしていきたいものです。
同時に、自分の欠点ばかりに目を向けるのではなく、長所や美点、自分の得意なことに目を向けましょう。あなたが誠実に生きようとする限り、きっとその持ち味を生かせる道が開かれていくものです。もちろん向上心と粘り強さ、そして周囲から信頼される誠実さがなくては達成できるものではありませんが、誠実に努力する人には、ふさわしい仕事や使命、さらには良き伴侶とも巡り会うことができるものと信じています。
欠点には必ず長所が隠れているものです。「負けて覚える相撲かな」という言葉もあります。何回失敗しても明るさを失うことなく「自分にできる最善」を尽くすように心がけてください。反省と感謝を見失わないことが、道を開く基本であると考えます。愚直に、そして誠実に努力する姿は、きっと周囲にも勇気を与えることになるでしょう。応援しています。
令和4年3月号
Q:かわいがってくれるのはありがたいけど
0歳の子供を連れて外出した際、「あら、かわいいわね」と言って話しかけてきた見知らぬ老夫婦が、子供に触れようとしました。かわいがってくださるのはありがたいのですが、このご時世でもあり、できれば遠慮したいところ。相手の方には悪気がないことも分かっているので、強い拒絶もできず、されるがままになってしまいました。こんなとき、どう断ったらいいでしょうか。
(20代・女性)
A:リスクに備えつつも、他者の善意を大切にしたい
かわいい赤ちゃんを見た老夫婦の自然な反応が目に浮かびます。何ともほほ笑ましく思われ、つい触ってみたくなられたのでしょう。そんな老夫婦の様子に、あなたも強い拒絶はできず、相手に委ねてしまったようです。しかし、後になって思い返すと「あのときはどう対応したらよかったのだろうか」という気持ちも湧き起こり、すっきりしないのですね。
あなた自身も「相手の好意はありがたく受け止めよう」という気持ちと「リスクもないとはいえない相手の行為にどう対処するか」という問題意識の両方を持っておられるのでしょう。微妙な判断が問われる、難しい状況ですね。
好意を寄せてくれた相手に対して邪険に振る舞うのも、言うべきことを言えずに悔やむのも、後味の悪さが残ります。いつも適切な対応ができればいいのですが、それも簡単ではありません。時・場所・場合によって直面する出来事はさまざまで、突然の事態にもあるがままに振る舞うしかないのですから。しかし、いつも相手を敵対的に見るのではなく、人を信じ、その場にふさわしい振る舞いができるような「自分づくり」をしていけたら……などと、少し堅いことを考えてしまいます。リスクに備えつつも、好意と適度な距離感を大切に人と接していけたらいいですね。
その中で一番大切なことは「自他のいのちを尊重する」ということでしょう。自分と赤ちゃんのいのち、今回関わりを持つことになった老夫婦のいのち、周りの人たちのいのち。その全体に温かさを広げていくことが「善」といえるのではないかと考えます。
ここでいう「いのち」は、生命のみを指すのではなく、心も含めて考えるべきでしょう。直接的に「どうすればよかった」という答えを出すことは難しいのですが、この小さな出会いとどのように向き合うかを考えるとき、「自他を尊重する」という心づかいの積み重ねの重要性を改めて実感します。あなたのように「相手の心をむげにしない」という思いを持つ方もおられることが、一人ひとりが真に大切にされる安心に満ちた社会を築くことにつながっていくと考えるからです。
世の中は危険に満ちあふれていることも事実ですから、リスクには勇気をもって対応しながら、他者の善意を尊重する精神を大切に育んでいきたいものです。
令和4年2月号
Q:「どう思う?」と言われたら
専業主婦の妻は日常の出来事をよく話してくれるのですが、「今日、こんな嫌な出来事があったんだけど、どう思う?」と言われると返答に困ります。同調し過ぎて空気が悪くなるのは避けたいので、せめて傾聴をと思うと「自分の意見はないの?」と言われ、「こういう考え方もできるんじゃないかな」と返すと「あなたは正論ばかり」と言われます。どうすればよいでしょうか。
(30代・男性)
A:失敗を恐れず、思いを語り合おう
専業主婦の奥様は、あなたの帰りを待っておられ、その日の出来事や自分の思いを聴いてもらいたいのでしょう。お互いの「自分の気持ちを分かってほしい」「相手の思いに応えたい」という気持ちが空回りして、うまくかみ合わず、相手の捨て言葉に傷ついているという二人の雰囲気が伝わってきます。「もう少し冷静にお互いの気持ちを話し合えたら」と言いたいところですが、そこが簡単ではないようです。
「冷静に」と口で言うのは簡単ですが、相手の立場に立つという思いやりの訓練ができていないと、一方は自分の気持ちをぶつけるだけ、もう一方は受け止めるだけという、一方通行の関係になってしまいます。どちらがリードするかは分かりませんが、対話で一番大切なことは、自分の思いや考え方を押し付け合うのではなく、よく傾聴し合い、知識と感情をうまくはたらかせて、信頼と尊敬、感謝の気持ちを交わし合えるように努力することでしょう。
まずはその対話の後味を、お互いに共有してみましょう。後味の悪い思いをしているのは、あなただけでなく、奥様も同じではないでしょうか。それは双方とも、どこかにこだわっているところがある証拠です。
大切なことは「どちらか一方だけが悪い」というふうに決めつけないことです。相手を思いやって行動したつもりでも、実は自分一人の思い込みだったということは、よくあるからです。
夫婦とはいえ、お互いの気持ちや性格、持ち味を分かり合えるようになるまでには、それ相応の時間が必要です。衝突や失敗を繰り返しながら、その都度、粘り強く語り合い、許し合う中で、絆が強固なものになっていくのです。
従って、ここはあなた一人で「何とかしなければ」と悩むのではなく、その悩みを素直に奥様と語り合えるような場をつくることから始めてください。第三者に相談して解決策を探ろうとするよりは、相手を信じて、まずはお互いの思いを語り合う勇気を出してほしいものです。
喜怒哀楽の感情が起こるとき、不思議と自分の考え方や言動のゆがみに気づくことがあります。そうした「感情の知らせ」を受けて、失敗を恐れることなく相手を信じて語り合い、相互の信頼と円満な人格を育んでいってください。勇気を出して。
令和4年1月号
Q:自信を持って生きるには
昔から私が何かに挑戦しようとするたびに、親から「そんなにうまくいくわけがない」「それよりもこっちをやりなさい」というように、ダメ出しばかりされてきました。おかげで私は自信が持てなくなり、大人になった今でも当時のことを思い出して、親を恨みたい気持ちになります。このとらわれから抜け出し、自信を持って生きるには、どうすればよいのでしょうか。
(30代・女性)
A:自分に「イエス」と言える生き方を始めよう
幼い頃、親から否定的な言葉で押さえ付けられていたというあなた。今でも何かをしようとするときにはそのことが思い出され、やる気の妨げになっているようです。
幼少期の親子関係は、大なり小なり、その人の人生観や人間関係に影響を与えるものですが、たいていの人は「自分の人生の責任は自分にある」と思い直して気持ちに折り合いをつけ、親を乗り越えていくのです。従って、私も「このとらわれから抜け出せないということはない」と考えています。
さて、あなたの周りの人々を、素直な気持ちで観察してみてください。自信を持って元気に生きているように見える人も、実はあなたと同じように、さまざまな過去や現在の不安を抱えながら、懸命に生きているのではないでしょうか。一人ひとりの過去を尋ねてみれば、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」の話のように、誰もが悲喜交々の体験を背負いながら歩んでいるものと思います。私は、どのような人も、本質的には不完全で自信がない中で、何とか持ちこたえようとして、時には高慢になったり我慢したりもしながら自分を保っているという、弱い存在なのではないかと考えています。
そんな私たちに自信が生まれるとすれば、その自信はどこから来るのでしょうか。不思議と自分の心の内側から湧いてくるものとはいえ、それはやはり、身近な人たちから受ける精神的な支えや肯定的な感情があって、初めて湧いてくるものでしょう。
そこで、あなたが自信を取り戻すためには「あなたのことを正しく評価してくれる人」を身近に探すことから始めてみましょう。信頼できる人間関係を築いていくことが第一歩です。そして、自分の弱さも他人の弱さも受け止めた上で、今度は自分が誰かの支えになれるような「自分づくり」に挑戦することです。
恨みは恨みの連鎖を生むばかりで、成長にはつながりません。過去の恨みは早々に清算して、今ここに生を得ていることに感謝し、自分に「イエス(良し)」と言えるように歩んでいく決意をしてください。元気を出し、良き仲間と共に「人の役に立つ喜び」を味わっていかれることをお勧めします。いつか、今は見えない親の思いも理解できる日が来ることを信じています。
令和3年12月号
Q:夫亡き後、老年期をどう生きるか
これまで家族仲も良く、それなりに満足して楽しく暮らしていた私。ところが夫が逝ってから、気持ちが落ち込み、ぼんやりと寝たり起きたりの日々を送るようになりました。家族も周囲の人たちも優しく声をかけてくれますので、弱音を吐かずに頑張らなければと思うのですが……。これから自分の立ち位置をどのように定め、どのような心持ちで過ごしていけばよいでしょうか。
(80代・女性)
A:心身を休め、回復の時を待ちたい
大切なご主人に先立たれ、生きる支えを失った思いになり、どのように心の立て直しを図ればよいのか、戸惑っておられるようです。家族の優しさは十分に感じつつも、気持ちの落ち込みをどうすることもできず、心と体のバランスが取れていない状態なのかもしれません。
人は受け入れがたい悲嘆や苦悩に直面したとき、おのずから自己防衛の反応がはたらくようです。今の状態は、怠けているわけではなく、心と体が休息を必要としているのでしょう。中国の古典では、父母の死に際しては3年の喪に服することを教えています。最愛の伴侶を亡くされたあなたも、ゆっくりと体を休め、現実を受け止めるために「時を待つ」必要があるのでしょう。
死は人生最大の悲嘆です。身近な人の死に際しては、大なり小なり、自分を取り戻すのに時間を要するものと考えます。まずは自分を責めることなく、伴侶のこと、そして自分のこれからを、ゆっくりと思うことにしましょう。
優しい家族であればあるほど、あなたを一人にさせまいと気配りをしてくれるかもしれません。また、あなたも心配をかけないようにと頑張っているのかもしれません。しかし「何もしたくない、少し一人にしておいて」と体が言っているような気がしています。しばらくは、亡きご主人との対話の時間を大切にしましょう。そして家族の皆と語り合える気持ちになったとき、自分の素直な思いと心と体の状態を聴いてもらってはどうでしょうか。皆と語り合うことで、自分の心身の声に気づくこともあるでしょう。共に人生の意味を感じ合うことが、あなたと家族をより深いつながりへと導いてくれるように思います。
体に特別な異常がない限りは、時が癒やしとなり、心身が回復するにつれて、今生かされているいのちを精いっぱい、家族に感謝しつつ生きる元気が戻ってくることを信じています。
どうか焦ることなく、憂えることなく、家族とのつながりを感じつつ、感謝と祈りの中に、今生かされていることの素晴らしさを感じ取ってくださることを願っています。いつもご主人の心があなたと共にあることを感じながら。
令和3年11月号
Q:コロナ禍の憂鬱
1人でカフェを利用した折のことです。「隣の席の人たちがマスクをせずに会話をしている」と店員に苦情を言っていた2人連れの女性が、たまたま私の隣の席に移ってきました。その人たちが周囲の客や店への不満を話すのが終始聞こえてきて、気がめいってしまいました。感染対策は大切と思うものの、ピリピリして攻撃的になる人に出くわすと、やるせない気持ちになります。
(40代・女性)
A:持ちこたえて、自分の内面を磨こう
新型コロナウイルスの世界的な蔓延から2年近くになります。ワクチン接種が進みつつあるとはいえ、生活スタイルの変更や行動の制限による窮屈さ、そして不安は、誰もが感じていることでしょう。マスクの着用や身体的距離の確保など、皆で危機を乗り切ろうとする努力の中にも、他人に不満をぶつけたり、攻撃したりする姿に接することがあるのは、残念なことです。
台風や豪雨、さらには地震といった自然の猛威にさらされることの多い日本では、非常事態に遭遇すると、皆で助け合って被害を最小化しようと努める一方、それが高じて「外れた行動を取る人は許さない」とでもいうかのような態度をあらわにする傾向もあるようです。
あなたのおっしゃるような場面に遭遇するたびに、私も同じようにやるせない気持ちになります。しかし、直接的に関わることができる相手でない限り、心の中で人を批判するなど、自分の人間性を傷つけるような考えには流されないように努めましょう。
「過去と他人は変えられない」といわれます。他人の言動を不快に感じつつも、なんともすることができない憂鬱な気持ちを他人に向けるのではなく、自分の精神を鍛えることに意識を向けるのです。他人にはたらきかけることには勇気が要りますが、直接的に関わることなく見守るのにも精神力が必要です。自分の精神を強く美しく保つことによって、人を優しく包み込み、周囲に和やかな雰囲気をつくっていきたいものです。
自分の仕事や、興味を抱いている趣味、自分の心を満たしてくれる学びなどに集中しているときは、他人の言動を気にすることもなく、没頭できている自分がいることを思い起こしてください。他人の言動に影響されてしまうときは、案外、自分の心に隙があることが多いように感じるのですが、どうでしょうか。
とはいえ、決して「そんな人の言動は無視したらよい」と言っているわけではありません。「自分の不快感の原因を、すぐに周囲に求めることはしない」というのがポイントです。少し間をつくって、冷静に自分の内面を見つめていると、意外と心が落ち着いてくることがあるからです。不平不満の湧きやすいときだからこそ、少しスローペースに自他を見つめるようにして、自分の内面を磨いていけるように心がけたいものです。
令和3年10月号
Q:70代での初挑戦、仕事を続けるか
誰かのために働けたらと、10年以上前に介護の資格を取得していた私。両親や夫が亡くなって自営業を辞めた後、何かに挑戦したくなり、70歳にして介護の仕事を選びました。グループホームでのパートを始めて3か月、想像以上の忙しさに戸惑っています。周りの職員は皆若く、覚えの悪い私に冷たいです。挑戦を間違えたかも……と、このまま勤め続けるかどうか迷っています。
(70代・女性)
A:明るく生きることをモットーに
70代に入って、今までの人生経験を生かして誰かのために役立ちたいと、初めての仕事に挑戦されているあなたを、心から応援します。そのような挑戦ができたのは、心身共に健康であることの証しですから、その気持ちは大切にしたいものです。
ただ、体力や能力にはそれなりの自信があったとしても、仕事の内容や責任の重さ、職場の人間関係などによって、働く意欲が大きく左右され、時には気持ちが萎えることもあることでしょう。
介護現場の状況を考えますと、昨今のコロナ禍での危機意識に加えて、超高齢社会の現場で働く人たちの緊張感は非常に高いと言わなければなりません。したがって、パート勤務とはいえ、あなたが社会的責任を伴う介護の世界に身を置くというのは、少し覚悟がいる決断であったことでしょう。
しかし、若い人たちの中で、あなたにこそ果たせる役割はたくさんあると感じています。年長者がその場にいることで初めて、さまざまな世代の人間模様を味わうことができると考えるからです。それは高齢者の気持ちに寄り添うことや、若い人の活躍を後押しして喜びを分かち合うことにもつながっていくのではないかと感じます。
今、あなたは働き始めて3か月ということですが、少し意気込み過ぎていませんか。若い人と肩を並べて頑張らなければという意識も大切ですが、自分にできるペースでどこまでついていけるか、自分の持ち味は何かなどを考える心のゆとりも必要です。少しはつらい思いをしたり、叱られたりすることもあるでしょうが、「若い世代の応援者になろう」という気持ちで取り組んではどうかと感じます。
次の時代の主役となっていく若い世代を尊重し、無理をし過ぎることなく、自分の人間力に磨きをかけて、周囲に温かい感謝の心を広げていきたいものです。一人悩むのではなく、心の通う親しい人たちと語り合うことも大切です。人の役に立ちたいという考えで始められた挑戦ですから、決して自分を傷つけたり心の喜びを壊したりするような、自己防衛的な気持ちや他者批判的な気持ちに陥ることなく、明るく生きることをモットーに挑戦してください。とはいえ、決して無理をし過ぎることのないように心がけてください。
令和3年9月号
Q:せめて「ありがとう」を言ってくれたら
数年前に難病と診断されて自宅療養中の夫は、体の苦痛があると昼夜を問わず、何度でも私を呼びます。私はその都度、不満をこぼすことなく対応するのですが、夫からは感謝の言葉もありません。せめて「ありがとう。助かったよ」だけでも言ってくれたら疲れも取れるのに……と思ってしまう私は、間違っているのでしょうか。これからどのように接していけばよいでしょうか。
(60代・女性)
A:勇気を出して「愚痴」を語り合おう
難病のご主人を介護する中で生じてくる、感謝の言葉への期待。ご主人が心穏やかでいられるように尽くされているあなたの姿を想像しますと、そんな気持ちがわいてくるのも分かる気がします。
ご主人は今、言葉に表せないほどの苦痛に堪えておられるのでしょうか。長年連れ添ってきたあなたは、ご主人の性格も気持ちも、何に一番苦しんでいるかもよくお分かりでしょうから、あえて何も言わず、献身的にお世話をなさっているのでしょう。
夫婦の間柄は千差万別ですから一概には言えませんが、敬愛や思いやり、助け合いが大切なことは、言うまでもありません。しかし近しい間柄であればこそ、わがままが出ることもあれば、不機嫌や不快な思いをためてきた面もあるのかもしれません。ここはあなた方二人の問題として、心を通わせるためにはどうすればよいかを考えてみることにしましょう。
少し疑問に思う点は、あなたが尽くされているにもかかわらず、夫婦で心が通い合っているという雰囲気が感じられないことです。あなたの気持ちを素直に話すことができない状況に、橋を架けていく必要があるように感じます。ご主人とあなたの間にある心の距離を、どのように縮めるかという問題です。
大切なことは、要求心からは心の絆は生まれないということです。ここはご主人に対する信頼や思いやり、感謝の気持ちに磨きをかけて、自分の心の奥にあるモヤモヤを整理し、感謝と希望と喜びを共有できる間柄を築くために、勇気を持って語り合われることをお勧めします。
「今さら無理なこと」と思われるかもしれません。でも、それは失敗を恐れているからではないでしょうか。夫婦の成長と喜びは、お互いの弱さも認め合い、何事も共感できる相手がいてくれることへの感謝の気持ちを思い起こすことから始まると考えるのです。
今回のことをきっかけとして、相手を変えようとするのではなく、感謝の心を強くして、「お互いに生かされ、助け合って生きている」という実感を味わうことができますように願っています。ご主人の体調のいいときに、あなたの愚痴を聞いてもらえるように語りかけてみてください。心が通じ合えば「ありがとう」の言葉も、おのずと聞こえてくるでしょう。
令和3年8月号
Q:相手を気づかっただけなのに
老人ホームへの入居当初、よく私を頼ってくれる同年配の女性がいました。ある日、彼女が苦しそうに階段を上っていくのを見てエレベーターの利用を勧めたところ、急に不機嫌になり、私を避けるような態度を見せ始めました。体調を気づかった言葉を「不快な指図」と受け取られたようです。最近は挨拶すら無視され、返事のない相手に声をかけ続けるのも苦痛になってきました。
(70代・女性)
A:自分の善意を信じ、いつも明るく穏やかな心で
老人ホームの入居者仲間との関係に悩んでおられるようです。あなたとしては「相手のことを気づかって声をかけただけなのに」という思いでしょうから、心を痛められる気持ちも分かります。
ふだん私たちは、相手の様子を見て直観的に挨拶をはじめとした言葉がけをしていますが、相手の心の内まで深く慮っていることは少ないようです。ですから感情的な行き違いが生じたときも、相手の痛みには気づかず「あの穏やかな人がどうして」と不審に思ったり、ただ不快に思ったりすることがあります。相手の気持ちも状況も絶えず変化していますし、それは自分自身にもいえることですから、行き違いがあっても不思議ではないでしょう。
まずは「誤解は起こり得るもの」「失礼があったらごめんなさい」を基本として、責める気持ちを使わず、許し合うことを心がけましょう。人は無意識のうちに自分にとって都合のよいように考え、感情の赴くままにふるまってしまうもの。きっと相手も「素直になりきれない自分」に戸惑っておられるところがあるのではないでしょうか。
しかし、このような日常の些細な喜怒哀楽があってこその人生です。そこから逃げたり、不満に思ったり、落ち込んだりするのではなく、年とともに、人の心の負の部分をも受け入れていく大らかさを養いたいものです。
身近な生活の場での人間関係ですから、お互いに無視し合っていくわけにもいかないでしょう。ここは自分の善意を信じましょう。そして相手に対する尊敬の気持ちを失うことなく、相手の幸せを見守りましょう。誰かがあなたの幸せを祈ってくださっていることを、あなた自身が気づいていないこともあるはずです。生かされて生きていることに感謝して、自分の中の「人の幸せを祈る心」を大きく育みながら生きていきたいものです。こちらがいつも穏やかで、感謝と慈しみの心を持って素直に生きていれば、蜂が蜜を求めて花に寄ってくるように、よき仲間が集ってくださるものと信じています。
人は事あるごとに反省し、許し合うことで、心が成長していきます。生涯をかけて、自分の心を美しく磨き上げていきたいものです。どうか、いつも人にほほ笑みを向けることができるような明るさを失わないでください。
令和3年7月号
Q:在宅勤務中に不機嫌になる夫
このご時世で、夫も在宅勤務をする機会が増えました。夫は仕事でうまくいかないことがあると、あからさまに不機嫌になります。家族に当たり散らすことはないまでも、リビングで仕事をしているため、雰囲気だけでも子供によくない影響を与えるのではと心配になります。不機嫌の原因が仕事では、そっとしておくくらいしかできません。こんなとき、どうしたらよいでしょうか。
(40代・女性)
A:対話こそ「温かい家庭づくり」の原点です
コロナ禍の中で、私たちの生活スタイルが大きく変化しています。学校や職場をはじめ、生活全般がIT化していくという加速度的な変化に、誰もが戸惑いを覚えているようです。
かつては「仕事は家に持ち込まない」というように、家庭と職場の間には境界線が引かれていました。しかし、その境界線がなくなり、働き方が多様化しただけに、家族全員の協力と自覚がいっそう必要になってきています。お互いに余裕があれば「家族の団欒」と「学びや仕事の領域」を分けて確保することができるのでしょうが、うまくいかないことも多いようです。
今回のご相談も、その根っこには、環境の変化という時代の大きな力が絡んでいることを感じます。それは個人の思いを越えたところから迫ってくる変化ですが、私たちはそうした大きな時代の流れにも適応しつつ、知恵を絞り、安心のある家庭をつくっていかなければなりません。
私たちは、特別に困ったことが起きない限り、自分の考え方や生き方を変えられないものです。ここはご主人の仕事の状況やその気持ちを見守り、お互いの考えや希望を語り合うことのできる、賢明で温かい家庭へと変わっていくチャンスにしてください。
お互いがわがままな気分で言い合いをするのではなく、冷静に「困っているお互いの気持ち」を語り合いましょう。相手を否定せずに話を聴き、お互いを認め合うという雰囲気の中で、対話が実現するように努めることが大切です。そのような夫婦の対話の時間をつくることが、問題解決の第一歩だと考えます。
決して解決を急いではなりません。時代の変化に対応していくための知恵を出し合うのですから、お互いの気持ちや考えを共有するだけでも大きな進歩です。
悩みの解決に向けて、家族それぞれの思いを共有し、間違い探しをするのではなく、元気が出るように新しい約束事をつくり、試行錯誤しつつ、家庭をよくしていってください。そして、対話の中で少しずつ社会の問題にも認識を広げ、感覚を共有していけたなら、家庭に強い一体感が生まれるでしょう。
まずは勇気を出して、思いやりの心を発揮し、ご主人と気持ちを分かち合ってください。それができれば、ほぼ成功したようなものです。
令和3年6月号
Q:老いていく母との接し方
隣町に1人で暮らす70代の実母は、ふだんは自分で家事をこなしており、私は月に何度か頼まれた物を届け、その日は実家で一緒に過ごします。ところが最近、たびたび電話をかけてきて「何もできなくなった」などと、体の衰えを嘆くようになりました。母には自分の老いを受け入れて、無理をせず、穏やかに生活してほしいのですが……。どのように接したらよいでしょうか。
(40代・女性)
A:明るく、笑顔で、感謝して
健康状態等には個人差もありますから、あいまいな話になることを了解いただいたうえで、どのように接していけばよいかを考えてみましょう。
お母様は一人暮らしの中で日常の家事をこなし、身の回りのことには不自由なく過ごされているようです。でも時折、心細さに襲われ、気弱になって「何もしたくない」と訴えてこられるようですね。
あなた自身の生活状況は分かりませんが、隣町に住まわれていて、用事のあるときは実家でお母様と一緒に過ごされるなど、精いっぱいの努力をされていることがよく分かります。ここでは、あなた個人の心の持ち方についても考えてみたいと思います。
高齢者ばかりでなく、人が生きる気力を失いそうになるのは、周囲との関係が希薄になり、心のつながりが実感できないときのようです。そのとき、人は孤独という寂しさに取りつかれ、誰かと会いたい、そして誰かと話したいという気持ちでいっぱいになるのです。
その意味で、お母様が「何もできない」と嘆いて電話してこられるのは、あなたに対する信頼と甘えがあるからで、素直で健全な反応といえるでしょう。ここは「私は今、あなたに会いたいの」というメッセージとして受けとめ、あなた自身が深刻にならず、穏やかな気持ちで対応することにしましょう。その中で、お母様の気持ちや生活の様子を聴き、身近に親しい友人はいるか、楽しめる趣味はあるか、あなたにできることは何かなどを探りつつ、明るく温かい気持ちがわいてくるような言葉がけに心しましょう。
お母様の希望をすべてかなえることはできなくても、つながりを保つためには辛抱も大切であることを学び合えるとよいですね。一人でできる支援は限られますが、お互いの心のつながりを大切にすることが、寂しさに堪える原動力になり、自分も誰かを支えているという喜びを味わうことにもつながるでしょう。
「十分なことがしてあげられない」と悩むこともあるでしょうが、あなたの一つ一つの対応に、お母様への感謝の気持ちがあるとすれば、その気持ちは必ずお母様に通じるものだと思います。粘り強く「明るく、笑顔で、感謝して」を目標に歩んでください。
令和3年5月号
Q:「家事のやり方」の押しつけに不満
結婚して半年が過ぎました。共働きなので、家事はできるだけ分担するようにしています。洗濯物を干したり畳んだりするときは2人で一緒にやることが多いのですが、妻は干し方や畳み方に細かく注文を付けてきます。私はマイペースな性格でもあり、妻がどんなやり方をしていても気にならないのですが、自分だけが相手のやり方を押しつけられるのは、なんだかモヤモヤします。
(30代・男性)
A:雨降らざれば地は固まらず
共働きということで、家事の分担など生活上の役割は2人で決められたのでしょう。でも、性格や生活習慣、それに考え方の癖は、それぞれに異なるもの。最初はうまくいっても、要求心が出てくるとお互いに不愉快な思いが起こるのは、よくあることです。
一番身近な人との間で日常的に起こり得る葛藤を、どのように受けとめ、対処していくかということは、小さなことのようですが、実は人生を充実させるための最初の試金石であろうと感じています。なぜなら、人はこうした葛藤を繰り返しながら成長していくものだからです。
夫婦は一対ですから「勝った、負けた」という関係ではなく、どれほど相手の安心と喜びのために尽くすことができるかという点に結婚の真の意味があると考えます。相手を心から信頼して、お互いの未熟な面をもさらし合い、許し合いながら、よき人生を共につくっていこうと決めた2人なのですから、何事も賢明に考えて答えを出すという覚悟を持ってください。
卑屈になってはいけません。高慢になってもいけません。相手を責めるだけでもいけません。ここは自分を謙虚に振り返り、長所も欠点も受けとめながら、お互いが成長していけるように努力する、共同作業のチャンスと考えましょう。誠実に語り合える間柄をつくり上げることが、2人の人生を実りあるものにできるか否かの分岐点になると思います。
冷静に考えてみれば、自分1人で納得していた生活習慣の偏りや、自分では気づかず相手に押しつけている面があることにも気づくでしょう。心の中のモヤモヤをしっかりと受けとめつつ、正しく対処していけば、「雨降って地固まる」というように、愛情や信頼が深まります。それは葛藤があなた方の人間的成長につながった証です。感情に流されることなく、気は長く、冷静に語り合う場をつくってください。こだわりや押しつけは、決して人を成長へといざなうことはありません。
家庭は夫婦が共に成長し合う道場です。相手の言葉の背後にある思いに心を巡らし、お互いに了解し合えるところから徐々に改めていくことが賢明でしょう。お互いの痛みを分かち合い、補い合うところに、信頼と愛情が育まれるものだと信じています。相手を立てる気持ちを忘れずに。
令和3年4月号