慈悲寛大自己反省

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 慈悲はもともと仏教の用語で、古来、中国でも日本でも、苦しみを抜いて楽しみを与えること(抜苦与楽)と解釈されています。モラロジーでは、この仏教の慈悲を、孔子の仁やイエスの愛その内容がほぼ同一であるとみなし、これらに一貫している本質的内容を「慈悲」と呼んでいます。これは、利己心を取り去って、生きとし生けるものを慈しみ育てようとする純真無我の精神と実行を意味しています。その源は神の心、すなわち万物を生成化育する大自然のはたらきにあります。

「寛大」とは、一切のものを受けいれ育む、広くて大きな心のことです。

「自己反省」とは、たとえどのような事態に直面しても、自分の道徳的努力の足りないことを反省し、決して他人を責めることなく、ますます至誠心を奮い起こして人生を開拓していく精神作用をさします。

 したがって「慈悲寛大自己反省」とは、聖人の教えに従い、神の心を体得して慈悲となり、伝統を尊重し、世界の人心を開発し救済しようという偉大な希望のうえから、他人を愛し、他人の過失悪行を許し、どのような場合にもすべての責任を自分に負って反省し、無我の至誠をもって努力するということです。

 

『最高道徳の格言』(モラロジー道徳教育財団刊より抜粋)

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