「善意」を実らせるために
誰かのためを思って行動しても、時にはちょっとした行き違いやタイミングの悪さから、相手を不快な気持ちにさせ、ギスギスとした空気が残る場合もあります。
例えば「電車の中で席を譲る」という善意の行為が相手に受け入れられなかったとき、私たちは何を思うでしょうか。“人が親切でやってあげたのに……”という気持ちになっては、せっかくの善意も台無しでしょう。こうしたときは、自分の善意を押し付けようとするのではなく、相手の立場や気持ちに思いをめぐらして「どうしたら相手の心が和むのか」という思いやりの心で冷静に対処したいものです。
自分に非があったのならともかく、相手の勘違いや誤解から非難を受けた場合の対応はことのほか難しいものですが、その際も“まだ自分に足りないものがあるかもしれない”と自分を省みることができれば、自身の成長の糧となるでしょう。
『ニューモラル』497号,『366日』10月14日