横田滋さんへ贈る言葉(西岡力教授)

「拉致問題有志の会」で講演される横田滋さん
(平成16年12月22日 於:モラロジー研究所 廣池千九郎記念講堂)

 

 横田滋さんのご逝去に際し、当研究所の歴史研究室室長・教授で、救う会会長の西岡力氏の告別式における言葉を掲載し、ご冥福をお祈り申し上げます。

 


 

◆横田滋さん告別式の際の言葉-西岡力

 私もキリスト者の末席を汚す者ですので、聖書の言葉をまず引きます。

 新約聖書エペソ書2章8-10節

 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 滋さんとお目にかかって23年以上が経ちます。滋さん、早紀江さんご夫婦と、日本全国そして米国、韓国などさまざまなところにご一緒させていただきました。その中で、日曜日にあたり、なおかつ少し時間の余裕があるときは早紀江さんと近所の教会に行ったり、ホテルにて二人で聖書を開き祈る時をもつことがありました。そのとき、滋さんはあまり良い顔をされませんでした。

「早紀江がキリスト教を信じることは、それがなければ悲しみのため精神がおかしくなったかも知れないから良かったと思う。しかし、自分は信じない。神がいるならなぜ、愛する娘を突然奪うこのような不条理を許しているのか。どの神さまでも拝んだらめぐみを連れてきてくれるなら拝みます。神は弱い人間が心の安定を図るために拝むものだ。一番苦しいのは北朝鮮にとらわれている娘だ。彼女が苦しんでいるのに、父である自分だけが宗教に頼って心の安定を得たら申し訳ない」

 このような趣旨のことを話されるのを何回か聞いたことがあります。ただの人間にしか過ぎない私には、なぜ、神さまがめぐみさんと横田滋、早紀江ご夫妻にこのような過酷な試練を与え、いまだに解決を与えないことについて、理由を説明できません。わからないことの方が多いです。しかし、滋さんがキリストを信じて洗礼を受けられました。それは滋さん本人や早紀江さんなどの努力によるものではありません。滋さんが良い行いをしてきたことへの報いでもないです。ただ、不思議な神さまの賜物、プレゼントでした。

 しかし、聖書は言います。人にはこの世でなすべき良き行いがあらかじめ備えられている。滋さんにとってそれは強いられた「良い行い」だったかもしれません。しかし、その道を勇敢に戦い抜きました。よくやった、もうこれくらいでいいよ、天国で休んでめぐみさんを待ちなさいと神さまに言われて、天国に旅立ちました。

 滋さんは戦い続けました。23年間、私もすぐ横でともに戦ってきたのでその勇敢さがよく分かります。安倍晋三総理大臣も〈滋さんとは本当に長い間、めぐみさん始め、拉致被害者の方々の帰国を実現するために、共に戦ってまいりました〉と6月5日に会見で話されました。すぐ横で敵と戦っていた戦友が倒れたかのような感覚です。

 滋さんの戦いを一言で言うとウソとの戦いでした。平成9年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されていることが明らかになったとき、北朝鮮は、拉致はないとウソをつき、日本国内でもまさか外国の工作員が日本までやってきて13才の少女たちを拉致するはずはないという、北朝鮮の政治宣伝に同調する勢力が圧倒的多数でした。大きなタブーがありました。そのとき、被害者に危害が加わるかも知れないという恐怖の下で、滋さんは実名を出して訴えるという勇気ある決断を下しました。それを見て、ここにいらっしゃる方がたをはじめとする他の家族も勇気を出して実名公表に踏み切り家族会ができ、その勇気に感動した私たち少数の専門家や有志がやはりここにいらっしゃる櫻井よしこ先生の力添えを得て、全国で救う会をつくって救出運動が始まりました。

 小泉訪朝の数年後、お酒も入った懇談の席で、救う会の当時の佐藤勝巳会長と私が滋さんに叱責されたことがあります。平成9年1月滋さんが実名を出すという決断をする前に、救う会の母体になった現代コリア研究所がネットに新潟日報の報道を引用する形で横田めぐみという実名を明らかにしていたことを、なぜ、家族の了解なしにそのようなことをしたのかと責められたのでした。そのとき、私と佐藤会長は申し訳なかったと謝罪した上で、だからこそ、世論を盛り上げてめぐみさんたち全員を取り戻す運動をさいごまでいっしょに続けますとお誓いしました。

 ちなみに私は西村真悟議員が平成9年2月国会でめぐみさん拉致について初めて質問する際、実名を出すかどうか、専門家の西岡の判断に任せるといわれ、胃がキリキリするほど悩みました。そこで、政府の治安当局の専門家にこのような質問をしたらきちんと答弁してくれるかと事前に問い合わせをしました。政府答弁が「知らない」などという冷たいものだと、北朝鮮は日本政府はめぐみさん拉致について証拠を持っていないと考えて、証拠隠滅のために被害者に危害を加える危険が高まると判断したからです。そのとき、当局の専門家は、ぜひ質問してほしいと言って、大韓機爆破事件の犯人の金慶姫さんの本の中に、「拉致された日本人少女は洗濯も自分でできなかった、と招待所で聞いた」という記述があることを教えてくれました。政府はめぐみさん拉致について証拠を持っているなと実感したので西村先生に実名を出しましょうとお伝えしたことを覚えています。

 滋さんと私たちが戦った第一のウソは、拉致など存在しないというものでした。産経以外の全てのマスコミが拉致疑惑と書いて、北朝鮮側の言い分と私たちの言い分を両論併記していました。街頭署名をしているとビラを投げ捨てて踏みつけたり、署名用紙をたたき落とされたりしました。冷たい視線を送って無視されることが普通でした。それでも全国どこでも行くという姿勢で、各地で救う会の仲間と集会を開きました。新幹線と特急を乗り換えて4時間近くかけて到着した会場に待っていたのは10人未満ということもありました。集会出席者より警備の警官の方が多いこともありました。それでも愚直に、娘が拉致されています。どうか世論を盛り上げて救出して下さいと滋さんは訴え続けました。そして、2002年9月、拉致を命じた金正日が小泉首相に拉致したことを認めて謝罪するという大きな成果がありました。拉致は存在しないというウソを打ち破ることができたのです。

 しかし、そのとき北朝鮮は拉致したのは13人だけでめぐみさんたち8人は死亡した、蓮池さんたち5人は返したから拉致問題は解決したという新たなウソをつきました。残念なことに、日本国内でも死亡を認めて日朝国交正常化に向かうべきだと考える勢力が出てきました。新しいウソに対する滋さんと私たちの戦いが続きました。

 温厚な滋さんは人の前で怒りをあらわにすることはほとんどありません。しかし、私は滋さんが顔を真っ赤にして激怒して記者会見に臨む姿を2回、覚えています。

 1回目は平成14年9月、小泉訪朝の当日に政府から呼び出されて、お宅の娘さんは亡くなっていますと断定形で通報された翌日、平壌から戻った外務省幹部に面会して、「死亡を確認する作業は行っていない」という衝撃的な事実を告げられ、「人の命をここまで粗末に扱うのか」と激怒されていました。

 2回目は平成16年12月、めぐみさんの遺骨と称されるものから、めぐみさん以外の2人のDNAが検出されたときです。北朝鮮の説明はすべてでたらめだと語気を強めて批判していました。

 この二つ目のウソを打ち破るため、滋さんと私たちは日本国としての怒りのメッセージを伝えるため経済制裁を発動してほしいと炎天下の国会前で座り込みをしました。また、繰り返し訪米、国連訪問、韓国、タイ、ルーマニア、レバノン、米国などの拉致家族との交流を行い国際連携を強めました。

 平成18年、第一次安倍政権が成立すると、私たちが運動の最初から求めてきた、政府に拉致を専門に担当する部署ができました。拉致担当大臣とその下の事務局が新設されたのです。また、北朝鮮人権法が成立し、政府と地方公共団体が拉致問題の啓発行事を行うことが義務づけられました。世論を動かすという滋さんの決断が生んだ大きな成果でした。

 しかし、超過密スケジュールは滋さんの体をむしばんでいきました。早紀江さんや二人の息子さん、そして私などが繰り返し、すこし休んで下さいとお願いしましたが、滋さんはそれを聞き入れて下さらなかった。そして、平成28年頃から体調を崩し、対外活動がほとんどできなくなりました。ついに2年前に倒れて入院されました。毎年2回、総理大臣を迎えて開催してきた国民大集会では最後の出席が平成28年の9月でした。平成30年4月の国民大集会では不自由な体の中、次のようなめぐみさんへのビデオメッセージを寄せて下さいました。

〈めぐみちゃん、お父さんですよ。ここら辺で、かならず解放されると信じて、今めぐみが隣の部屋で、待っているようなと、同じような感じがします。もうすぐ会えるかもしれませんが、体だけは気を付けていてください。もうほんのわずかですから、がんばってください。〉

 その集会で司会をしていた私は次のような反省の言葉を述べました。その気持ちは今も変わっていません。

〈私は少し反省をしています。我々はこの間20年間運動をしてきましたが、家族の人を先頭に立てすぎたのではないだろうか。ある集会に行きますと、家族会の人に「頑張ってください」という声がかかります。

 そうではないはずです。今滋さんがおっしゃっていましたが、向こうにいる被害者に、「もう少しですよ、頑張ってください」と言わなければならないんです。そして、助け出すのは家族ではなく、日本国政府、日本国国会、日本国の国民が一体になって助け出さなければならない。家族が助けようとしているのを我々が助けるのではない。

 しかし、横田滋さんは、どこに呼ばれても行く。もう手帳がまっ黒でした。今あれだけしかしゃべれないようになられたのは、歳相応の老いではない。自分の身をすり減らして、ここにも来られないような身体になられた。

 それでよかったのか。家族が身をすり減らさなければならないような運動を我々がしてきたとしたら、反省しなければならない。日本人が日本人を助ける。

「家族の人たちは安心して待ってください」と言えるような運動をしなければならなかった。

 そして何よりも、家族がいない人たちも助けなければいけないのです。これから家族の訴えを聞いていただきますが、想像力を、その家族ではなく、向こうにいる人たち、被害者の人たちがこの瞬間どう思っているのかというところまで想像力を働かせて、「もうちょっとですよ」と先ほど滋さんが言った声を届けようではありませんか。〉

 滋さんは我が身をすり減らして世論に訴えるという戦いの先頭に立たれました。それが滋さんに準備されていた「良き行い」だったと私は信じます。神さまがもういいよ、あなたは良くやった、あとは任せて天国で休みなさいと滋さんを天国に召されました。

 だからこそ、残された私たちがこの戦いを勝利して、めぐみさんたち全被害者の即時一括帰国という絶対譲れない課題を実現させなければならない、そう決意を固めています。滋さん、どうか天国でめぐみさんたちが帰ってくることを見ていて下さい。かならず、みなの力で助け出します。

以上

 

救う会ホームページより)