平成30年1月20日(土)、柏生涯学習センターにおいて、本年度第4回目の公開教養講話を開催。今回は福島稲荷神社宮司・福島県神社庁長の丹治正博氏に「守りぬかねばならぬもの」と題して講演いただきました。
東日本大震災からまもなく7年、福島は地震、津波だけでなく原発事故の後遺症を抱えています。「今の福島がどうなっているか皆様にお伝えしたい」と原発事故にともなう風評被害、風化被害を取り上げながら、復興のために必要なことを語りました。
福島県内ではいまだ7%の敷地が避難区域指定とされていますが、当初16万人いた県内外への避難民は5万人にまで減少しました。しかし、病院、学校、買い物する場所などの生活環境が整わないために、福島に戻ってくる人は1割程度に過ぎません。一方、震災関連死と認定された人は福島県だけで2000人以上いて、人口も確実に少しずつ減少しています。こうした人口減少が復興に影を落としており、人口の減少で産業は衰退、また風評が固定化され、さらには日本人の中で記憶が薄れて風化しつつある、と丹治講師は指摘します。
科学的に安全性が確認されているにもかかわらず、福島県産の農産物が忌避されるどころか、ある遊園地で福島ナンバーをつけた車は他の車から離れた場所に止めるようにいわれるなどの風評被害を受け、「事実と異なる風評を信じてしまう“人の心の危うさを”学んだ。」と丹治講師。そう言った後に、「しかし、風評被害とは事実を正しく理解してもらえないことであり、そういう意味では人は誰でも風評被害にあっていると思うのです。先入観やうわさで人を判断するという危うさは、誰にでもあるのですから」と続けました。
また、丹治講師は宮司という立場から、神社の成り立ちを「“天変地異や災害は神の怒り”と考えた古人たちが、その怒りを鎮めようと神を祀ったのではないか」と論じ、花火や祭りは本来慰霊鎮魂といった目的があったと説明。また正しいお参りは、お願い事の前に神様に感謝を捧げることだとも述べました。
「大災害に備えて、日本人はお互いに思いやりの心を持って心を寄せ合うことが大切です。福島から発信し続けるとともに、福島の現状を皆さんに正しくご理解いただいて、福島が立ち直る日まで継続して復興を応援していただきたい」と締めくくりました。
福島稲荷神社宮司・福島県神社庁長
丹治正博(たんじ まさひろ)
昭和30年、福島稲荷神社の社家、丹治家の30代目として生まれる。福島大学附属小学校、同附属中学校を経て、49年福島県立福島高等学校を卒業、53年慶応義塾大学文学部英米文学科を卒業、54年國學院大学文学部神道学専攻科を修了の後、東京代々木の明治神宮に奉職、59年権禰宜拝命、60年に福島稲荷神社禰宜を拝命、平成6年より神道青年全国協議会の副会長を務める。平成19年 福島稲荷神社 第32代宮司を拝命。神職歴40年。平成19年より、福島県内3,037神社を束ねる福島県神社庁の副庁長を2期6年務め、25年に庁長に就任、現在2期目。