道徳サロン

人物教材の活用―明治天皇の場合(下)―

植草学園大学名誉教授、教育者講師 野口 芳宏

3、明治天皇の大業

①五箇条の御誓文(承前)

前回の「明治天皇の場合」では、五箇条の御誓文「一」と「明治維新の宸翰」を紹介するにとどまった。若干、補うことから始めたい。

一、官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す

これは、三番めに書かれているもので、本来は「三」とすべきだろうが、それぞれが「一」とある。一つ一つに価値の順位があるのではなく、それぞれが対等に独立して固有の価値があるとの意向から全て「一」として位置づけられているのであろう。原文は漢字と片仮名で全て濁音表記はされていない。つまり「倦マサラシメン事ヲ」のようにある。当時の公文書は「濁音表記」を基本的に採っていない。

さてこの文意は明快、簡潔である。「官」とは中央政府、「武」とは地方の諸侯、「庶民に至る迄」は言うまでもあるまい。「各」は「おのおの」と読む。今は「各々」と書くが、本来は「各」の一字で「おのおの」と読むのだが、やや崩れた形が一般的となっている。「各其志を遂げ」は、「それぞれの本務に精励し」の意である。

後段の「人心をして倦まざらしめん事を要す」からは、明治維新の気概が見てとれる。開国によって西欧の文明の進展が大きく日本の現実を引き離していることを悟った中央政府は、今後の日本のあり方を重大視した。人々の心の「怠惰」を最も強く戒め、真剣、不撓、正対、積極を求めたものと言えよう。「明治人の気骨」などとよく言われるが、その淵源はここにあるのではないかというのが私的な解釈である。この気概を「官武一途庶民に至る迄」と共有したことによって、日本は急速かつ着実な近代化を遂げていくことになる。

国家の進展、命運の鍵は、このような「挙国一致」の「根本精神の共有」こそが握っているのだ、と私は強く考えている。そのような観点に立つと、「個性の重視」と「多様性の尊重」が強く主張されている現代の風潮、教育行政のあり方に対して、どうも私は釈然としないものを感じてしまう。これでよいのだろうか、と思うのだが諸賢はどのようにお考えだろうか。

②明治天皇の六大巡幸

教育の立場からは「明治天皇の大業」としては「教育勅語」を取り上げたいところだが、それについては、私は別のところでも触れているので、今回は明治天皇によって始められた「巡幸」に関して子供たちに知らせる意義を述べておきたい。

まずは「巡幸」の経過、意義について『明治の御代』の著者、勝岡寛次氏は次のように述べている。(同書P29)

高き屋にのぼりて見れば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり(『新古今集』)

(略)このような「国見」は、古代の天皇にはしばしば見られたもので、後述する明治の巡幸はそうした古来の伝統を引き継がれたものに外なりません。

この伝統が久しく途絶えていたことについて大久保利通(参与)は次のような建白を天皇に奉っている。

「皇居外に一度も出ないほどに過度に天皇を尊び、また天皇御自身も尊大高貴のもののように思われた結果、ついに上下が隔絶して今日の弊習を招いた。最近では外国でも帝王が随員を従えて国中を歩き万民に親しんでいるがこれは君道の行いと言うべきだ。」(抄訳)

大久保のこの建白は奏功する。明治天皇は、この言を容れ、「御誓文」布告から僅か一週間の後、京都御所を出発され、大阪に約五十日間滞在され、大いに君主としての学びをされることになる。これが、近代君主御巡幸の嚆矢となった、と同書にある。

「六大巡幸」というのは次の六回を指している。それ以前の大阪、東京は「巡幸」ではなく、「行幸」である。

①西国巡幸(明治五年、五月〜七月)

②奥羽巡幸(九年、六月〜七月)

③北陸、東海巡幸(十一年、九月〜十一月)

④山梨、三重、京都巡幸(十三年、六月〜七月)

⑤北海道、秋田、山形巡幸(十四年、七月〜十月)

⑥山陽道巡幸(十八年、七月〜八月)

これらのそれぞれの御巡幸の成果については、前掲書に詳しいが、ここでは割愛し、この御巡幸の総括的な意義について抄録しておきたい。明治という激動の時代を、天皇としてリードされていく大きな土台となったこの御壮挙の意義について、勝岡寛次氏は大略次のように記している。

ア、二つの実り

巡幸中に様々な場面、できごとに遭遇された天皇は、それらの全てを終えられた時に、「どんな苦労をも厭わぬ強靭な精神力」を学ばれた。これが第一の実りである。

もう一つは「国民を良き方向に導かんとする確乎たるリーダーシップ」を確立された。

このように結論づける事例として次のような事実を挙げている。

イ、巡幸のエピソード

・しもさゆる冬のよどこにねざめして衾かさねぬ人をこそおもへ(明治十九年)

各地で極貧の民の暮らしも目にされ、極寒の今夜、民の耐乏を思う心を持たれた。これは、国民との一体感を強くする上で大きな実りである。

・第二回巡幸の折、大雨で河川が氾濫、行路危険のため、巡幸の予定一日繰り延べを進言したが、天皇はそれを許さなかった。

その理由は、「行く先々はすでに準備ができている。それを狂わせれば民を煩わすことになる」というものだった。常に「民を思う」大御心を持たれている。「迎える方も大変だろうが。向かう方はもっと大変」とは、著者勝岡寛次氏の感想である。

・東北地方には巡幸を二度重ねた。その間の望ましい進展を「余程実著である。他県もかくありたい」と述べられた。「浮薄の風潮」を去った国民の堅実な実りを喜ばれたのだ。

<『モラロジー道徳教育』NO. 152 平成30年9月1日発行より>

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