心づかいQ&A

ニューモラルで人気のコーナー。

モラロジー道徳教育財団の玉井哲講師が、さまざまなお悩みに答えます!!

Q:兄弟仲が悪い子供たちに悩む

 2人の息子たちは、それぞれに独立して家庭を持った今でも兄弟仲が悪く、法事などで顔を合わせた際も会話すらありません。「兄弟間の不仲の多くは、幼少期からの親の接し方に原因がある」といった話を聞くにつけ、子供たちには平等に愛情を注いできたつもりだったのに……と、後悔するばかり。この先が不安です。
(70代・女性)

A:2人を信じて、心から語り合おう

 息子さんたち2人の不仲を案じられているようです。しかし、まずはそれぞれが独立して暮らしていることを「よくやっている」と肯定的に受け止めたいものです。息子さんたちがどのような性格で、どのような環境で成長されたのかは存じませんが、現状を自分1人の責任と考えるのはやめましょう。親の反省も大切ですが、ここは大人になった息子さんたちの考えを尊重しつつ、「親として努力したが至らない点もあった」という思いと、兄弟が仲良くやってくれることを願っている気持ちを、どのように伝えるかを考えてみましょう。
 戦後80年近く、日本では個人の自由が何よりも尊重される風潮の中で、家庭内でも「親が子や孫を導きつつ、その成長を見守り、楽しむ」ということを大切にする意識が弱まってきたのではないでしょうか。戦前の親子関係に立ち戻るべきだと言いたいのではありません。「1人の人間として、親や祖先に感謝すること」「日本の良き伝統文化を大切にしつつ、一人ひとりの個性を伸ばしていける家庭」「対話のある明るい家庭」が理想と考えています。
 兄弟が仲良く助け合うことは親の自然な願いですから、その点は素直に伝えればよいと思います。しかし子供たちの反応はそれぞれでしょう。家族といえども、一人ひとりの立場や価値観は同じではありません。親としては、性格も考え方も異なる子供の持ち味を認め、それぞれの息子さんとあなたが信頼し合い、親しく語り合うことを大切にしたいものです。
 親も子も完全な存在ではありません。相手の考えや思いに耳を傾けるとともに、自分の意見を語る対話によって、お互いを理解し合う必要があります。親子3家族が助け合うことは理想ですが、まずはそれぞれの立場を認め合うことを優先してみてください。現実的には一人ひとりの立場や状況は異なるのですから、「自分の人生の主体は自分」と考えるのが原点でしょう。
 一番大切なことは、現状を心配されているあなた自身がわが子を信じ、信頼と尊敬と愛情をもって一人ひとりと語り合う勇気です。可能なら、皆で語り合うことができれば最高です。決して相手を責めるのではなく、理解し合うことをめざして進めば、親子兄弟の間のことですから、きっと分かり合えるものと思います。子供を信じてください。

 

令和4年11月号

Q:完璧主義な自分に疲れる

 昔から、何事もきちんとしておかないと落ち着かない性格です。仕事も綿密に計画を立ててから着手したいタイプなのですが、周囲の人たちのペースもあって計画通りに進まないとイライラしたり、些細な失敗でも頭の中が真っ白になったりしてしまいます。この几帳面な性格が幸いしたという経験も過去にはあるのですが、最近、こんな自分に少し疲れてきました。
(30代・男性)

A:「失敗を笑って振り返ることができる自分」に挑戦しよう

 お子さんの同級生のお母さんに対する苦手意識。相手の方は、お付き合いをする上で少し戸惑いを感じるタイプであるようです。とはいえ、疎遠にできる御方でもなく、気持ち良く付き合っていくにはどのように振る舞えばよいのかと、一人思案しておられるようです。
 まず心構えとしては、どのような人でも一癖や二癖、当人が努力しても克服し難い性格や性癖を持っているものであると認識しましょう。たとえ夫婦であっても、お互いの考えや生活習慣に違いがあることはお分かりでしょう。大なり小なりの違和感は、相手の個性によるものでもあります。我慢ならないほどの不品行や反社会的な人でない限りは、寛容であるように努めましょう。
 幸いにして、あなたは不快なことをする相手に対して泣き寝入りするタイプではなく、時には冷たい意思表示もできる強さを持っておられるようです。それはそれであなたの持ち味ですから、大切にしましょう。しかし、長所は欠点でもあります。あなたが自分の態度を省みて「本当はもっと気楽に接したいのに」と反省されている点には共感を覚えます。
 ここは「間違っているのは相手の方だ」というこだわりを捨てて、彼女はあなたの弱い面に気づかせてくれる仲間であると考えましょう。性格も性癖も生活習慣も違う人間同士の関わりですから、相手を裁こうとするのではなく、その違和感があなたの日常をかき乱すものにならないよう、お互いの違いを理解し、自分の器を大きくするように努めてください。
 相手を否定する心は、自分の成長につながりません。相手の背後には、その方が幸せに生きていくことを祈っているであろう大勢の人たちの思いがあります。そうした人たちの思いを受けて、私たちは生かされて生きているのです。相手の人格を否定することは、自分の人間性を下げることにもつながります。
 ここは一人で悩むのではなく、相手を信じ、自分自身も反省の気持ちを込めて、勇気を出して語り合う機会をつくれるとよいですね。決して自己正当化のためでなく、お互いの人間性が豊かになるように心がけてください。誠意は必ず通じるものです。その努力は、きっとあなたの心をたくましく美しく育ててくれると確信しています。

 

令和4年10月号

Q:苦手意識がある相手との接し方に悩む

 子供の同級生のお母さんで、とても苦手な人がいます。距離感を考えず話しかけてきたり、時間を守らなかったりする彼女に対し、私は心の中ではダメだと思いながらも、露骨に冷たい態度を取ってしまいます。周囲の目もあるので不自然にならないように、また、できれば他の保護者と同じように気楽に接したいと思うのですが、どのように気持ちを切り替えたらよいでしょうか。
(40代・女性)

A:相手を信じ、誠意をもって語り合おう

 お子さんの同級生のお母さんに対する苦手意識。相手の方は、お付き合いをする上で少し戸惑いを感じるタイプであるようです。とはいえ、疎遠にできる御方でもなく、気持ち良く付き合っていくにはどのように振る舞えばよいのかと、一人思案しておられるようです。
 まず心構えとしては、どのような人でも一癖や二癖、当人が努力しても克服し難い性格や性癖を持っているものであると認識しましょう。たとえ夫婦であっても、お互いの考えや生活習慣に違いがあることはお分かりでしょう。大なり小なりの違和感は、相手の個性によるものでもあります。我慢ならないほどの不品行や反社会的な人でない限りは、寛容であるように努めましょう。
 幸いにして、あなたは不快なことをする相手に対して泣き寝入りするタイプではなく、時には冷たい意思表示もできる強さを持っておられるようです。それはそれであなたの持ち味ですから、大切にしましょう。しかし、長所は欠点でもあります。あなたが自分の態度を省みて「本当はもっと気楽に接したいのに」と反省されている点には共感を覚えます。
 ここは「間違っているのは相手の方だ」というこだわりを捨てて、彼女はあなたの弱い面に気づかせてくれる仲間であると考えましょう。性格も性癖も生活習慣も違う人間同士の関わりですから、相手を裁こうとするのではなく、その違和感があなたの日常をかき乱すものにならないよう、お互いの違いを理解し、自分の器を大きくするように努めてください。
 相手を否定する心は、自分の成長につながりません。相手の背後には、その方が幸せに生きていくことを祈っているであろう大勢の人たちの思いがあります。そうした人たちの思いを受けて、私たちは生かされて生きているのです。相手の人格を否定することは、自分の人間性を下げることにもつながります。
 ここは一人で悩むのではなく、相手を信じ、自分自身も反省の気持ちを込めて、勇気を出して語り合う機会をつくれるとよいですね。決して自己正当化のためでなく、お互いの人間性が豊かになるように心がけてください。誠意は必ず通じるものです。その努力は、きっとあなたの心をたくましく美しく育ててくれると確信しています。

 

令和4年9月号

Q:職場の後輩との接し方に迷う

 近年、職場に新しく入ってくる若い人たちとの接し方に難しさを感じるようになりました。コミュニケーションが苦手なのか、業務上の必要なことも質問できず、分からないまま放置してしまう人も少なくありません。良かれと思って助言をしても、反応が薄かったり、逆に反感を買ってしまったり。こんな若い人たちとは、どのように接するべきでしょうか。
(50代・女性)

A:相手を尊重し、好意をもって見守ろう

 毎年、職場に新しい空気を運んでくる新入社員。フォローする立場のあなたは、社会人としてのコミュニケーションに慣れていない「近頃の若者」の反応に戸惑っておられるようです。
 少子高齢化、そして情報化が急激に進む中で、若者の意識や言動に少なからず変化が起きているのでしょうか。確かに情報通信技術が発達した今、職場の人間関係だけでなく学校教育のあり方にも大きな変化が見られるわけですから、そうした環境で育った若者が何らかの影響を受けることは想定できます。直接的に人と会わなくても、それなりの生活は送れるような環境が整っているのですから。
 いつの時代も科学技術の進歩と合理化は進み、私たちの生活環境は絶えず変わっていきます。そして、その変化によって最も大きな影響を受けるのは、いつも子供や若者です。若者は先輩世代の価値観や生き方の影響を受けながらも、柔軟に新しい時代の創造に挑戦します。先輩世代から見ると危なっかしく思えますが、その若者がまた大人になって次の時代をリードし、絶えず世代交代が繰り返されていくのです。
 ここではあなたも問題意識をお持ちのように、人間関係にまつわる変化もあるかもしれません。しかし「人間性そのものに、それほどの変化はないはずだ」と考えることにしましょう。人間性に関しては個人差も大きく、一概に「若者はこうだから」とはいえないように思います。
 私たちは若い世代と職場を共にするとき、仕事を通して考え方や価値観をバトンタッチしていきます。しかし、ここで私たちの考えや価値観にこだわって押し付けるのではなく、若者が自発的に「職場や家庭、社会や国家の良き伝統を受け継いでいこう」と思えるように見守りつつ、良い環境を整えていけばよいのではないかと感じています。
 従って、若者の言動に多少の違和感を覚えることがあったとしても、まずは相手を尊重し、温かく見守っていきましょう。行き過ぎには注意しなければなりませんが、相手の持ち味を認めつつ、好意をもって付き合う中で、あなた自身の仕事への誇りを明るい気持ちで伝えてみてはいかがでしょうか。好意は好意を生むものです。あなたの誠実な姿勢は、きっと若者の心を開くと信じています。

 

令和4年8月号

Q:お礼の手紙は手書きが常識と思うのに

 私の若い頃は、手紙といえば手書きが当たり前でした。特に「お礼や返信はできるだけ早く」「目上の人には封書で」と教えられたものです。ところが時代の趨勢でしょうか。最近は手書きの手紙を受け取る機会が減りました。先日も贈り物をした相手から、パソコンで印刷された「お礼のはがき」が届きました。以前は丁寧な手書きの封書をくれた人だけに、寂しく思っています。
(70代・女性)

A:しなやかに変化を受け止めて

 手紙やはがきもパソコンで印刷されたものが目立ち、直筆の便りをいただくことはまれになりました。あなたが嘆かれる気持ちに、私も共感しています。この時代の大きな変化に落ち着かない気持ちを抱いている人も少なくないのではないでしょうか。
 特にコロナ禍によって直接的な対話や接触が制限される状況下では、情報通信技術の活用は加速するばかりです。教育から政治・経済まで、至る所で人間関係のつくり方や知識・情報の伝達方法に大きな変化が生じています。それほど急激に変わらなくてもよいのにという気持ちも湧いてきますが、この合理化への流れが止まることはないのでしょう。
 ここで問われるのは、合理化をめざす中でも「流されてはならない部分」を見極めるという、冷静な判断力です。手紙に関する問題でいえば、形式やツール(道具)の変化に惑わされて、便りに心を込めるという人間性(精神性)を見失わないことです。
 教育の世界でも「デジタル機器に頼っていて、人間教育はどうなるのか」という問題が浮かんできます。教育には「知識や情報を伝達する」という知的な側面だけでなく、「得られた知識や情報を内面化して、一人ひとりの感じ方や考え方を正しく育て、人間的成長をめざす」という道徳的な側面、すなわち「知徳一体の教育」が不可欠だからです。知的な教育に傾き過ぎると、道徳的な人格教育がおろそかになる。昔から知育と共に徳育が重視されてきたのは「それぞれのはたらきを見失わないように」という、先人たちの知恵でしょう。
 世の中の変化が生活のさまざまな場面に及ぶ中でも、私たちはその変化を冷静に受け止めつつ、人間らしい情感あふれる生活を見失わないようにしたいものです。
 知識と情報の世界の広がりは、とどまる所を知りません。一方、私たちが真の安心を得るのは、「人と人とのつながり」や「いのちのつながり」を実感するときではないでしょうか。信頼・尊敬・感謝に支えられた人間愛の精神の大切さは、変わることはないでしょう。
 時代に応じて変化していく「器」に従いながらも、本質を見失うことのない「水のようなしなやかさ」をもって生きていこうと考えてはいかがでしょうか。

 

令和4年7月号

Q:心の曇りを晴らすには

 私は幼い頃から巡り合わせの悪い人生を送っているような気がします。人と接するのが苦手で、あまり話もできません。学生時代は親しい友人もなく、1人で勉強をしたり音楽を聴いたりして過ごしていました。それでも昔のしきたりに従って25歳でお見合い結婚をし、現在に至りますが、夫とは相性が悪く、家族が嫌で仕方がありません。どうすれば心の中が晴れるでしょうか。
(60代・女性)

A:冷静に人生を振り返ってみよう

 人生の後半に向けて、今日まで抱いてきた暗い気持ちを拭い去りたいという思いがひしひしと伝わってきます。友人に恵まれず、一人で過ごした若い日々への思い、さらに「夫とも相性が悪く、家族が嫌で仕方がない」という心の叫び。過去を変えることはできませんが、「過去の記憶の受け止め方」は変えられる可能性がありますから、一緒に考えてみましょう。
 私たちの身の回りではさまざまなことが起こりますが、人は皆「その出来事をどう受け止め、この先をどのように歩んでいくのか」を決定する自由意思を持っています。通常はその時々の気分で、自分にとって都合のいいように決定するのですが、人間関係に関することでは二つの道、すなわち「孤立に向かう道」と「周りの人と仲良く生きるために自己研鑽をする道」のどちらかに分かれます。それは自分を変えることなく、周りが「自分の思うような状態」になってくれることを期待するか、自分が変わることで周りに少しずつ影響を与えていこうと考えるかの違いです。
 人と人との支え合いがなければ、私たちの人生は成り立ちません。「自分は孤独でもいい」「自分さえ楽しければいい」という生き方に、喜びは訪れないように思います。
 長い人生、楽しいことばかりが巡ってくるものではありません。うれしくない、つらく悲しい出来事の方が、たくさん記憶に残っているかもしれません。しかし、楽しいことも苦しいことも永遠に続くわけではなく、時がたてば状況も気持ちも変化するのが人生の味というものです。
 あなたの人生も、他の人たちと大きく異なるものではないと考えます。多くの苦い体験の中にも、今日までの六十数年間を支えてくれた誰かがいたはずです。その人たちへの感謝の気持ちを忘れて、自分だけの「晴れ晴れとした世界」をつくれるでしょうか。
 あなたが考える「幸せな人生」とは、どのようなものでしょうか。お金があって何不自由ない暮らしをすることでしょうか、貧しくとも誠実に生きることでしょうか。簡単に答えの出せる問題ではないかもしれません。私はただ、自分の置かれたその場所で、自分の人生に「イエス」と言えるように生きていただきたいと願うばかりです。ゆっくり考えてみてください。

 

令和4年6月号

Q:息子の妻との関係を改善したい

 隣県で暮らす息子は年に4回ほど子供を連れて実家に来るのですが、妻が一緒に来ることはほとんどありません。小学生の孫に「お母さんは?」と聞くと、「今日は忙しいから」などと言います。孫の誕生日のほか、折々に米や果物などを贈っても、息子の妻からは電話一本来ません。社交辞令だったとしても、一言あれば、私の妻もイライラしないのですが。孫への影響も心配です。
(80代・男性)

A:信頼と勇気を持って見守り、祈って

 息子さんのお嫁さんとの関係を何とかしたいとのこと。お嫁さんは、あなた方の家にほとんど顔を見せず、贈り物をしても何の音沙汰もないようです。このままではお孫さんにも悪い影響が出るのではと、心配されている気持ちが伝わってきます。
 問題の背後には、必ず原因があるものです。親も子もお互いの思いをぶつけ合うだけでは、心の絆を結ぶことはできないでしょう。また、現代では「親の思いに子が応えるのは当たり前」という考えは通用しなくなっていることも心得て考えてみましょう。
 親子という間柄であっても、相手に対する肯定的な思いがなければ、その関係を親密なものにすることはできません。高齢になった親の立場としては寂しい気持ちもありますが、子や孫に期待しながらも、まずはこちらが精神的に自立する必要があります。
 従って、あなた方夫婦も現実を見つめ直す必要がありそうです。夫婦であっても親子であっても、相手の立場や状況を深く思いやる姿勢がなければ関係が壊れやすいものだという点を、再認識する必要があると思います。
 今の息子さん夫婦は、子育てと経済的な基盤も含めた家庭の基礎づくりで手いっぱいなのではないでしょうか。あなた方の思いが正しいとしても、相手の心の内を察してやれるだけの温かさや柔軟さが必要だと考えます。
 親子の関係には、家族の数だけさまざまな形があって、温かく思いやりの気持ちにあふれた関係を築いていくのは簡単なことではないと感じています。親としては愛情をかけているつもりでも、子の側がそれを感じ取ることができなければ、心の距離が縮まることはないでしょう。
 ここは親であるあなた方と息子さん夫婦との間に、どれほどの信頼と尊敬の気持ちが育まれているかがポイントになると考えます。その気持ちがなければ、少しの行き違いでも感情的になり、関係が壊れてしまうことになるでしょう。
 親子で考え方が異なると、親としては心配になる場合もあるかもしれません。そんなときも、子供たちが前向きに人生を歩んでいるとすれば、信頼と勇気を持って見守り、祈っていきたいものです。親子といえども、すべて自分の思うようにはならないと考えるのが賢明といえそうです。まずは相手を受け入れて。

 

令和4年5月号

Q:親に振り回された過去の記憶に苦しむ

 実の両親との間に昔から確執があり、結婚を機に、親きょうだいからは徐々に距離を置くようにしました。完全に交流を断って10年ほどたちますが、幼い頃から受けてきた抑圧や、無神経な親の言動に振り回されたことなど、いまだに過去の記憶に苦しめられている自分がいます。許すことも忘れることもできないこの苦しみから解放される日は来るのでしょうか。
(40代・女性)

A:人間関係は一方通行ではありません

 幼い頃から受けてきた抑圧から逃れるため、結婚を機に親きょうだいと距離を置く決心をされたようです。しかし10年ほどたった今でも過去の記憶に苦しんでいるとのこと。過去へのとらわれから抜け出したいという、悲痛な悩みですね。ここから抜け出すのは簡単ではありませんが、あなた自身の考え方がこの悩みに影響していることを心して、共に考えてみましょう。
 昔、「40歳を過ぎれば自分の責任」と言われたことを思い出します。良きにつけ悪しきにつけ、40歳頃までは親の影響下にあった自分を受け止めた上で、40歳を過ぎれば「すべては自己責任」との自覚を持って生きるようにという教えです。あなたも今、記憶の中の親と同じ年頃になり、本当の意味での親離れをしたいという思いで苦しんでおられるのでしょう。
 人間として未熟な間は、自分の嫌な性格は他人のせいにして、自己を正当化するものです。そして、親や他人から受けてきた恩恵には気づけず、嫌な思いだけが脳裏に焼き付くというのが、人間の記憶の特徴であるようです。
 先人は「涙を流した分だけ心が深くなり、他人の痛みや喜びが分かるようになる。涙を流した分だけ眼が澄んでくる」などと言いました。他人を否定し、他人の過失や欠点にとらわれている間は、人は成長できないのです。
 私は、今の苦しみは「親やきょうだいとの親密な関係を取り戻したい」という、あなたの心の内からの声ではないかと考えています。
 前向きに生きるためには、過去と正面から向き合う必要があります。感情的に非難・攻撃するのではなく、相手の立場も視野に入れながら冷静に振り返ってみてください。親も不完全であれば自分も未熟で、嫌なことの多い生活であったかもしれません。そんな中でも、親もあなたも精いっぱい生きようと努力してきたのではないでしょうか。
 過去の恨みにとどまるのではなく、許すことから始めるのです。許せるかどうかは大きな壁ですが、ここにすべてがかかっています。人間関係に一方通行はありません。こちらが痛いときは相手も痛い、相手が喜べばこちらもうれしい、それが人間の自然な感情です。聖書にも「許し合いなさい、あなたが許されるようになるであろう」とあります。心の平穏はここから始まると考えています。

 

令和4年4月号

Q:ミスを繰り返す自分が情けない

 思い込みの激しい性格が災いして、仕事上のミスを繰り返しています。自分ではどんなに注意を払ったつもりでもミスが絶えず、周囲の人たちに迷惑をかけてしまい、自分でも情けなくなります。職場からも見限られたのか、つい先日、配置転換がありました。こんな自分がこれから先、仕事や人生とどのように向き合っていけばよいのでしょうか。
(20代・男性)

A:愚直に、そして誠実に生きよう

 ミスを繰り返して周囲の人たちに迷惑をかけていることに落ち込み、今後の仕事や人生について真剣に悩んでいるあなたの心の内を想像しています。
 もし、これまで「思い込みが激しい」といった自分の性格についての悩みはあるものの、日常生活に大きな支障がなかったのであれば、少し安心です。とはいえ、仕事を遂行する上での度重なる失敗は、自分の注意力の限界を超えているということでしょうか。そのことはあなたも冷静に受け止めておられるようですから、ここは少しゆっくりと、あなたの自立への道について考えてみることにしましょう。
 まず、あなたの物心両面での生活を整えるために「自分の味方になってくれる人」を探しましょう。親や家族の協力には限界がありますから、あなたの身近なところで、何事も相談できる先輩や専門家の支援を受ける必要があるでしょう。自分の仕事ぶりについて報告し、相談できる環境をつくることは、自分を客観的に見直すことにも役立ち、自信を回復することにつながるでしょう。
 とはいえ「自分の人生は自分の責任」という点は忘れないでください。すべてを他人頼みにするのではなく、自分の人生に対して誠実に、自分自身で道を切り開くという覚悟を持って、味方になってくれる人(理解者)を増やしていきたいものです。
 同時に、自分の欠点ばかりに目を向けるのではなく、長所や美点、自分の得意なことに目を向けましょう。あなたが誠実に生きようとする限り、きっとその持ち味を生かせる道が開かれていくものです。もちろん向上心と粘り強さ、そして周囲から信頼される誠実さがなくては達成できるものではありませんが、誠実に努力する人には、ふさわしい仕事や使命、さらには良き伴侶とも巡り会うことができるものと信じています。
 欠点には必ず長所が隠れているものです。「負けて覚える相撲かな」という言葉もあります。何回失敗しても明るさを失うことなく「自分にできる最善」を尽くすように心がけてください。反省と感謝を見失わないことが、道を開く基本であると考えます。愚直に、そして誠実に努力する姿は、きっと周囲にも勇気を与えることになるでしょう。応援しています。

 

令和4年3月号

Q:かわいがってくれるのはありがたいけど

 0歳の子供を連れて外出した際、「あら、かわいいわね」と言って話しかけてきた見知らぬ老夫婦が、子供に触れようとしました。かわいがってくださるのはありがたいのですが、このご時世でもあり、できれば遠慮したいところ。相手の方には悪気がないことも分かっているので、強い拒絶もできず、されるがままになってしまいました。こんなとき、どう断ったらいいでしょうか。
(20代・女性)

A:リスクに備えつつも、他者の善意を大切にしたい

 かわいい赤ちゃんを見た老夫婦の自然な反応が目に浮かびます。何ともほほ笑ましく思われ、つい触ってみたくなられたのでしょう。そんな老夫婦の様子に、あなたも強い拒絶はできず、相手に委ねてしまったようです。しかし、後になって思い返すと「あのときはどう対応したらよかったのだろうか」という気持ちも湧き起こり、すっきりしないのですね。
 あなた自身も「相手の好意はありがたく受け止めよう」という気持ちと「リスクもないとはいえない相手の行為にどう対処するか」という問題意識の両方を持っておられるのでしょう。微妙な判断が問われる、難しい状況ですね。
 好意を寄せてくれた相手に対して邪険に振る舞うのも、言うべきことを言えずに悔やむのも、後味の悪さが残ります。いつも適切な対応ができればいいのですが、それも簡単ではありません。時・場所・場合によって直面する出来事はさまざまで、突然の事態にもあるがままに振る舞うしかないのですから。しかし、いつも相手を敵対的に見るのではなく、人を信じ、その場にふさわしい振る舞いができるような「自分づくり」をしていけたら……などと、少し堅いことを考えてしまいます。リスクに備えつつも、好意と適度な距離感を大切に人と接していけたらいいですね。
 その中で一番大切なことは「自他のいのちを尊重する」ということでしょう。自分と赤ちゃんのいのち、今回関わりを持つことになった老夫婦のいのち、周りの人たちのいのち。その全体に温かさを広げていくことが「善」といえるのではないかと考えます。
 ここでいう「いのち」は、生命のみを指すのではなく、心も含めて考えるべきでしょう。直接的に「どうすればよかった」という答えを出すことは難しいのですが、この小さな出会いとどのように向き合うかを考えるとき、「自他を尊重する」という心づかいの積み重ねの重要性を改めて実感します。あなたのように「相手の心をむげにしない」という思いを持つ方もおられることが、一人ひとりが真に大切にされる安心に満ちた社会を築くことにつながっていくと考えるからです。
 世の中は危険に満ちあふれていることも事実ですから、リスクには勇気をもって対応しながら、他者の善意を尊重する精神を大切に育んでいきたいものです。

 

令和4年2月号

Q:「どう思う?」と言われたら

  専業主婦の妻は日常の出来事をよく話してくれるのですが、「今日、こんな嫌な出来事があったんだけど、どう思う?」と言われると返答に困ります。同調し過ぎて空気が悪くなるのは避けたいので、せめて傾聴をと思うと「自分の意見はないの?」と言われ、「こういう考え方もできるんじゃないかな」と返すと「あなたは正論ばかり」と言われます。どうすればよいでしょうか。
(30代・男性)

A:失敗を恐れず、思いを語り合おう

 専業主婦の奥様は、あなたの帰りを待っておられ、その日の出来事や自分の思いを聴いてもらいたいのでしょう。お互いの「自分の気持ちを分かってほしい」「相手の思いに応えたい」という気持ちが空回りして、うまくかみ合わず、相手の捨て言葉に傷ついているという二人の雰囲気が伝わってきます。「もう少し冷静にお互いの気持ちを話し合えたら」と言いたいところですが、そこが簡単ではないようです。
「冷静に」と口で言うのは簡単ですが、相手の立場に立つという思いやりの訓練ができていないと、一方は自分の気持ちをぶつけるだけ、もう一方は受け止めるだけという、一方通行の関係になってしまいます。どちらがリードするかは分かりませんが、対話で一番大切なことは、自分の思いや考え方を押し付け合うのではなく、よく傾聴し合い、知識と感情をうまくはたらかせて、信頼と尊敬、感謝の気持ちを交わし合えるように努力することでしょう。
 まずはその対話の後味を、お互いに共有してみましょう。後味の悪い思いをしているのは、あなただけでなく、奥様も同じではないでしょうか。それは双方とも、どこかにこだわっているところがある証拠です。
 大切なことは「どちらか一方だけが悪い」というふうに決めつけないことです。相手を思いやって行動したつもりでも、実は自分一人の思い込みだったということは、よくあるからです。
 夫婦とはいえ、お互いの気持ちや性格、持ち味を分かり合えるようになるまでには、それ相応の時間が必要です。衝突や失敗を繰り返しながら、その都度、粘り強く語り合い、許し合う中で、絆が強固なものになっていくのです。
 従って、ここはあなた一人で「何とかしなければ」と悩むのではなく、その悩みを素直に奥様と語り合えるような場をつくることから始めてください。第三者に相談して解決策を探ろうとするよりは、相手を信じて、まずはお互いの思いを語り合う勇気を出してほしいものです。
 喜怒哀楽の感情が起こるとき、不思議と自分の考え方や言動のゆがみに気づくことがあります。そうした「感情の知らせ」を受けて、失敗を恐れることなく相手を信じて語り合い、相互の信頼と円満な人格を育んでいってください。勇気を出して。

 

令和4年1月号

Q:自信を持って生きるには

 昔から私が何かに挑戦しようとするたびに、親から「そんなにうまくいくわけがない」「それよりもこっちをやりなさい」というように、ダメ出しばかりされてきました。おかげで私は自信が持てなくなり、大人になった今でも当時のことを思い出して、親を恨みたい気持ちになります。このとらわれから抜け出し、自信を持って生きるには、どうすればよいのでしょうか。
(30代・女性)

A:自分に「イエス」と言える生き方を始めよう

 幼い頃、親から否定的な言葉で押さえ付けられていたというあなた。今でも何かをしようとするときにはそのことが思い出され、やる気の妨げになっているようです。
 幼少期の親子関係は、大なり小なり、その人の人生観や人間関係に影響を与えるものですが、たいていの人は「自分の人生の責任は自分にある」と思い直して気持ちに折り合いをつけ、親を乗り越えていくのです。従って、私も「このとらわれから抜け出せないということはない」と考えています。
 さて、あなたの周りの人々を、素直な気持ちで観察してみてください。自信を持って元気に生きているように見える人も、実はあなたと同じように、さまざまな過去や現在の不安を抱えながら、懸命に生きているのではないでしょうか。一人ひとりの過去を尋ねてみれば、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」の話のように、誰もが悲喜交々の体験を背負いながら歩んでいるものと思います。私は、どのような人も、本質的には不完全で自信がない中で、何とか持ちこたえようとして、時には高慢になったり我慢したりもしながら自分を保っているという、弱い存在なのではないかと考えています。
 そんな私たちに自信が生まれるとすれば、その自信はどこから来るのでしょうか。不思議と自分の心の内側から湧いてくるものとはいえ、それはやはり、身近な人たちから受ける精神的な支えや肯定的な感情があって、初めて湧いてくるものでしょう。
 そこで、あなたが自信を取り戻すためには「あなたのことを正しく評価してくれる人」を身近に探すことから始めてみましょう。信頼できる人間関係を築いていくことが第一歩です。そして、自分の弱さも他人の弱さも受け止めた上で、今度は自分が誰かの支えになれるような「自分づくり」に挑戦することです。
 恨みは恨みの連鎖を生むばかりで、成長にはつながりません。過去の恨みは早々に清算して、今ここに生を得ていることに感謝し、自分に「イエス(良し)」と言えるように歩んでいく決意をしてください。元気を出し、良き仲間と共に「人の役に立つ喜び」を味わっていかれることをお勧めします。いつか、今は見えない親の思いも理解できる日が来ることを信じています。

 

令和3年12月号

Q:夫亡き後、老年期をどう生きるか

 これまで家族仲も良く、それなりに満足して楽しく暮らしていた私。ところが夫が逝ってから、気持ちが落ち込み、ぼんやりと寝たり起きたりの日々を送るようになりました。家族も周囲の人たちも優しく声をかけてくれますので、弱音を吐かずに頑張らなければと思うのですが……。これから自分の立ち位置をどのように定め、どのような心持ちで過ごしていけばよいでしょうか。
(80代・女性)

A:心身を休め、回復の時を待ちたい

 大切なご主人に先立たれ、生きる支えを失った思いになり、どのように心の立て直しを図ればよいのか、戸惑っておられるようです。家族の優しさは十分に感じつつも、気持ちの落ち込みをどうすることもできず、心と体のバランスが取れていない状態なのかもしれません。
 人は受け入れがたい悲嘆や苦悩に直面したとき、おのずから自己防衛の反応がはたらくようです。今の状態は、怠けているわけではなく、心と体が休息を必要としているのでしょう。中国の古典では、父母の死に際しては3年の喪に服することを教えています。最愛の伴侶を亡くされたあなたも、ゆっくりと体を休め、現実を受け止めるために「時を待つ」必要があるのでしょう。
 死は人生最大の悲嘆です。身近な人の死に際しては、大なり小なり、自分を取り戻すのに時間を要するものと考えます。まずは自分を責めることなく、伴侶のこと、そして自分のこれからを、ゆっくりと思うことにしましょう。
 優しい家族であればあるほど、あなたを一人にさせまいと気配りをしてくれるかもしれません。また、あなたも心配をかけないようにと頑張っているのかもしれません。しかし「何もしたくない、少し一人にしておいて」と体が言っているような気がしています。しばらくは、亡きご主人との対話の時間を大切にしましょう。そして家族の皆と語り合える気持ちになったとき、自分の素直な思いと心と体の状態を聴いてもらってはどうでしょうか。皆と語り合うことで、自分の心身の声に気づくこともあるでしょう。共に人生の意味を感じ合うことが、あなたと家族をより深いつながりへと導いてくれるように思います。
 体に特別な異常がない限りは、時が癒やしとなり、心身が回復するにつれて、今生かされているいのちを精いっぱい、家族に感謝しつつ生きる元気が戻ってくることを信じています。
 どうか焦ることなく、憂えることなく、家族とのつながりを感じつつ、感謝と祈りの中に、今生かされていることの素晴らしさを感じ取ってくださることを願っています。いつもご主人の心があなたと共にあることを感じながら。

 

令和3年11月号

Q:コロナ禍の憂鬱

1人でカフェを利用した折のことです。「隣の席の人たちがマスクをせずに会話をしている」と店員に苦情を言っていた2人連れの女性が、たまたま私の隣の席に移ってきました。その人たちが周囲の客や店への不満を話すのが終始聞こえてきて、気がめいってしまいました。感染対策は大切と思うものの、ピリピリして攻撃的になる人に出くわすと、やるせない気持ちになります。
(40代・女性)

A:持ちこたえて、自分の内面を磨こう

 新型コロナウイルスの世界的な蔓延から2年近くになります。ワクチン接種が進みつつあるとはいえ、生活スタイルの変更や行動の制限による窮屈さ、そして不安は、誰もが感じていることでしょう。マスクの着用や身体的距離の確保など、皆で危機を乗り切ろうとする努力の中にも、他人に不満をぶつけたり、攻撃したりする姿に接することがあるのは、残念なことです。
 台風や豪雨、さらには地震といった自然の猛威にさらされることの多い日本では、非常事態に遭遇すると、皆で助け合って被害を最小化しようと努める一方、それが高じて「外れた行動を取る人は許さない」とでもいうかのような態度をあらわにする傾向もあるようです。
 あなたのおっしゃるような場面に遭遇するたびに、私も同じようにやるせない気持ちになります。しかし、直接的に関わることができる相手でない限り、心の中で人を批判するなど、自分の人間性を傷つけるような考えには流されないように努めましょう。
「過去と他人は変えられない」といわれます。他人の言動を不快に感じつつも、なんともすることができない憂鬱な気持ちを他人に向けるのではなく、自分の精神を鍛えることに意識を向けるのです。他人にはたらきかけることには勇気が要りますが、直接的に関わることなく見守るのにも精神力が必要です。自分の精神を強く美しく保つことによって、人を優しく包み込み、周囲に和やかな雰囲気をつくっていきたいものです。
 自分の仕事や、興味を抱いている趣味、自分の心を満たしてくれる学びなどに集中しているときは、他人の言動を気にすることもなく、没頭できている自分がいることを思い起こしてください。他人の言動に影響されてしまうときは、案外、自分の心に隙があることが多いように感じるのですが、どうでしょうか。
 とはいえ、決して「そんな人の言動は無視したらよい」と言っているわけではありません。「自分の不快感の原因を、すぐに周囲に求めることはしない」というのがポイントです。少し間をつくって、冷静に自分の内面を見つめていると、意外と心が落ち着いてくることがあるからです。不平不満の湧きやすいときだからこそ、少しスローペースに自他を見つめるようにして、自分の内面を磨いていけるように心がけたいものです。

 

令和3年10月号

Q:70代での初挑戦、仕事を続けるか

誰かのために働けたらと、10年以上前に介護の資格を取得していた私。両親や夫が亡くなって自営業を辞めた後、何かに挑戦したくなり、70歳にして介護の仕事を選びました。グループホームでのパートを始めて3か月、想像以上の忙しさに戸惑っています。周りの職員は皆若く、覚えの悪い私に冷たいです。挑戦を間違えたかも……と、このまま勤め続けるかどうか迷っています。
(70代・女性)

A:明るく生きることをモットーに

 70代に入って、今までの人生経験を生かして誰かのために役立ちたいと、初めての仕事に挑戦されているあなたを、心から応援します。そのような挑戦ができたのは、心身共に健康であることの証しですから、その気持ちは大切にしたいものです。
 ただ、体力や能力にはそれなりの自信があったとしても、仕事の内容や責任の重さ、職場の人間関係などによって、働く意欲が大きく左右され、時には気持ちが萎えることもあることでしょう。
 介護現場の状況を考えますと、昨今のコロナ禍での危機意識に加えて、超高齢社会の現場で働く人たちの緊張感は非常に高いと言わなければなりません。したがって、パート勤務とはいえ、あなたが社会的責任を伴う介護の世界に身を置くというのは、少し覚悟がいる決断であったことでしょう。
 しかし、若い人たちの中で、あなたにこそ果たせる役割はたくさんあると感じています。年長者がその場にいることで初めて、さまざまな世代の人間模様を味わうことができると考えるからです。それは高齢者の気持ちに寄り添うことや、若い人の活躍を後押しして喜びを分かち合うことにもつながっていくのではないかと感じます。
 今、あなたは働き始めて3か月ということですが、少し意気込み過ぎていませんか。若い人と肩を並べて頑張らなければという意識も大切ですが、自分にできるペースでどこまでついていけるか、自分の持ち味は何かなどを考える心のゆとりも必要です。少しはつらい思いをしたり、叱られたりすることもあるでしょうが、「若い世代の応援者になろう」という気持ちで取り組んではどうかと感じます。
 次の時代の主役となっていく若い世代を尊重し、無理をし過ぎることなく、自分の人間力に磨きをかけて、周囲に温かい感謝の心を広げていきたいものです。一人悩むのではなく、心の通う親しい人たちと語り合うことも大切です。人の役に立ちたいという考えで始められた挑戦ですから、決して自分を傷つけたり心の喜びを壊したりするような、自己防衛的な気持ちや他者批判的な気持ちに陥ることなく、明るく生きることをモットーに挑戦してください。とはいえ、決して無理をし過ぎることのないように心がけてください。

 

令和3年9月号

Q:せめて「ありがとう」を言ってくれたら

数年前に難病と診断されて自宅療養中の夫は、体の苦痛があると昼夜を問わず、何度でも私を呼びます。私はその都度、不満をこぼすことなく対応するのですが、夫からは感謝の言葉もありません。せめて「ありがとう。助かったよ」だけでも言ってくれたら疲れも取れるのに……と思ってしまう私は、間違っているのでしょうか。これからどのように接していけばよいでしょうか。
(60代・女性)

A:勇気を出して「愚痴」を語り合おう

 難病のご主人を介護する中で生じてくる、感謝の言葉への期待。ご主人が心穏やかでいられるように尽くされているあなたの姿を想像しますと、そんな気持ちがわいてくるのも分かる気がします。
 ご主人は今、言葉に表せないほどの苦痛に堪えておられるのでしょうか。長年連れ添ってきたあなたは、ご主人の性格も気持ちも、何に一番苦しんでいるかもよくお分かりでしょうから、あえて何も言わず、献身的にお世話をなさっているのでしょう。
 夫婦の間柄は千差万別ですから一概には言えませんが、敬愛や思いやり、助け合いが大切なことは、言うまでもありません。しかし近しい間柄であればこそ、わがままが出ることもあれば、不機嫌や不快な思いをためてきた面もあるのかもしれません。ここはあなた方二人の問題として、心を通わせるためにはどうすればよいかを考えてみることにしましょう。
 少し疑問に思う点は、あなたが尽くされているにもかかわらず、夫婦で心が通い合っているという雰囲気が感じられないことです。あなたの気持ちを素直に話すことができない状況に、橋を架けていく必要があるように感じます。ご主人とあなたの間にある心の距離を、どのように縮めるかという問題です。
 大切なことは、要求心からは心の絆は生まれないということです。ここはご主人に対する信頼や思いやり、感謝の気持ちに磨きをかけて、自分の心の奥にあるモヤモヤを整理し、感謝と希望と喜びを共有できる間柄を築くために、勇気を持って語り合われることをお勧めします。
「今さら無理なこと」と思われるかもしれません。でも、それは失敗を恐れているからではないでしょうか。夫婦の成長と喜びは、お互いの弱さも認め合い、何事も共感できる相手がいてくれることへの感謝の気持ちを思い起こすことから始まると考えるのです。
 今回のことをきっかけとして、相手を変えようとするのではなく、感謝の心を強くして、「お互いに生かされ、助け合って生きている」という実感を味わうことができますように願っています。ご主人の体調のいいときに、あなたの愚痴を聞いてもらえるように語りかけてみてください。心が通じ合えば「ありがとう」の言葉も、おのずと聞こえてくるでしょう。

 

令和3年8月号

Q:相手を気づかっただけなのに

老人ホームへの入居当初、よく私を頼ってくれる同年配の女性がいました。ある日、彼女が苦しそうに階段を上っていくのを見てエレベーターの利用を勧めたところ、急に不機嫌になり、私を避けるような態度を見せ始めました。体調を気づかった言葉を「不快な指図」と受け取られたようです。最近は挨拶すら無視され、返事のない相手に声をかけ続けるのも苦痛になってきました。
(70代・女性)

A:自分の善意を信じ、いつも明るく穏やかな心で

 老人ホームの入居者仲間との関係に悩んでおられるようです。あなたとしては「相手のことを気づかって声をかけただけなのに」という思いでしょうから、心を痛められる気持ちも分かります。
 ふだん私たちは、相手の様子を見て直観的に挨拶をはじめとした言葉がけをしていますが、相手の心の内まで深く慮っていることは少ないようです。ですから感情的な行き違いが生じたときも、相手の痛みには気づかず「あの穏やかな人がどうして」と不審に思ったり、ただ不快に思ったりすることがあります。相手の気持ちも状況も絶えず変化していますし、それは自分自身にもいえることですから、行き違いがあっても不思議ではないでしょう。
 まずは「誤解は起こり得るもの」「失礼があったらごめんなさい」を基本として、責める気持ちを使わず、許し合うことを心がけましょう。人は無意識のうちに自分にとって都合のよいように考え、感情の赴くままにふるまってしまうもの。きっと相手も「素直になりきれない自分」に戸惑っておられるところがあるのではないでしょうか。
 しかし、このような日常の些細な喜怒哀楽があってこその人生です。そこから逃げたり、不満に思ったり、落ち込んだりするのではなく、年とともに、人の心の負の部分をも受け入れていく大らかさを養いたいものです。
 身近な生活の場での人間関係ですから、お互いに無視し合っていくわけにもいかないでしょう。ここは自分の善意を信じましょう。そして相手に対する尊敬の気持ちを失うことなく、相手の幸せを見守りましょう。誰かがあなたの幸せを祈ってくださっていることを、あなた自身が気づいていないこともあるはずです。生かされて生きていることに感謝して、自分の中の「人の幸せを祈る心」を大きく育みながら生きていきたいものです。こちらがいつも穏やかで、感謝と慈しみの心を持って素直に生きていれば、蜂が蜜を求めて花に寄ってくるように、よき仲間が集ってくださるものと信じています。
 人は事あるごとに反省し、許し合うことで、心が成長していきます。生涯をかけて、自分の心を美しく磨き上げていきたいものです。どうか、いつも人にほほ笑みを向けることができるような明るさを失わないでください。

 

令和3年7月号

Q:在宅勤務中に不機嫌になる夫

このご時世で、夫も在宅勤務をする機会が増えました。夫は仕事でうまくいかないことがあると、あからさまに不機嫌になります。家族に当たり散らすことはないまでも、リビングで仕事をしているため、雰囲気だけでも子供によくない影響を与えるのではと心配になります。不機嫌の原因が仕事では、そっとしておくくらいしかできません。こんなとき、どうしたらよいでしょうか。
(40代・女性)

A:対話こそ「温かい家庭づくり」の原点です

 コロナ禍の中で、私たちの生活スタイルが大きく変化しています。学校や職場をはじめ、生活全般がIT化していくという加速度的な変化に、誰もが戸惑いを覚えているようです。
 かつては「仕事は家に持ち込まない」というように、家庭と職場の間には境界線が引かれていました。しかし、その境界線がなくなり、働き方が多様化しただけに、家族全員の協力と自覚がいっそう必要になってきています。お互いに余裕があれば「家族の団欒」と「学びや仕事の領域」を分けて確保することができるのでしょうが、うまくいかないことも多いようです。
 今回のご相談も、その根っこには、環境の変化という時代の大きな力が絡んでいることを感じます。それは個人の思いを越えたところから迫ってくる変化ですが、私たちはそうした大きな時代の流れにも適応しつつ、知恵を絞り、安心のある家庭をつくっていかなければなりません。
 私たちは、特別に困ったことが起きない限り、自分の考え方や生き方を変えられないものです。ここはご主人の仕事の状況やその気持ちを見守り、お互いの考えや希望を語り合うことのできる、賢明で温かい家庭へと変わっていくチャンスにしてください。
 お互いがわがままな気分で言い合いをするのではなく、冷静に「困っているお互いの気持ち」を語り合いましょう。相手を否定せずに話を聴き、お互いを認め合うという雰囲気の中で、対話が実現するように努めることが大切です。そのような夫婦の対話の時間をつくることが、問題解決の第一歩だと考えます。
 決して解決を急いではなりません。時代の変化に対応していくための知恵を出し合うのですから、お互いの気持ちや考えを共有するだけでも大きな進歩です。
 悩みの解決に向けて、家族それぞれの思いを共有し、間違い探しをするのではなく、元気が出るように新しい約束事をつくり、試行錯誤しつつ、家庭をよくしていってください。そして、対話の中で少しずつ社会の問題にも認識を広げ、感覚を共有していけたなら、家庭に強い一体感が生まれるでしょう。
 まずは勇気を出して、思いやりの心を発揮し、ご主人と気持ちを分かち合ってください。それができれば、ほぼ成功したようなものです。

 

令和3年6月号

Q:老いていく母との接し方

隣町に1人で暮らす70代の実母は、ふだんは自分で家事をこなしており、私は月に何度か頼まれた物を届け、その日は実家で一緒に過ごします。ところが最近、たびたび電話をかけてきて「何もできなくなった」などと、体の衰えを嘆くようになりました。母には自分の老いを受け入れて、無理をせず、穏やかに生活してほしいのですが……。どのように接したらよいでしょうか。
(40代・女性)

A:明るく、笑顔で、感謝して

 健康状態等には個人差もありますから、あいまいな話になることを了解いただいたうえで、どのように接していけばよいかを考えてみましょう。
 お母様は一人暮らしの中で日常の家事をこなし、身の回りのことには不自由なく過ごされているようです。でも時折、心細さに襲われ、気弱になって「何もしたくない」と訴えてこられるようですね。
 あなた自身の生活状況は分かりませんが、隣町に住まわれていて、用事のあるときは実家でお母様と一緒に過ごされるなど、精いっぱいの努力をされていることがよく分かります。ここでは、あなた個人の心の持ち方についても考えてみたいと思います。
 高齢者ばかりでなく、人が生きる気力を失いそうになるのは、周囲との関係が希薄になり、心のつながりが実感できないときのようです。そのとき、人は孤独という寂しさに取りつかれ、誰かと会いたい、そして誰かと話したいという気持ちでいっぱいになるのです。
 その意味で、お母様が「何もできない」と嘆いて電話してこられるのは、あなたに対する信頼と甘えがあるからで、素直で健全な反応といえるでしょう。ここは「私は今、あなたに会いたいの」というメッセージとして受けとめ、あなた自身が深刻にならず、穏やかな気持ちで対応することにしましょう。その中で、お母様の気持ちや生活の様子を聴き、身近に親しい友人はいるか、楽しめる趣味はあるか、あなたにできることは何かなどを探りつつ、明るく温かい気持ちがわいてくるような言葉がけに心しましょう。
 お母様の希望をすべてかなえることはできなくても、つながりを保つためには辛抱も大切であることを学び合えるとよいですね。一人でできる支援は限られますが、お互いの心のつながりを大切にすることが、寂しさに堪える原動力になり、自分も誰かを支えているという喜びを味わうことにもつながるでしょう。
「十分なことがしてあげられない」と悩むこともあるでしょうが、あなたの一つ一つの対応に、お母様への感謝の気持ちがあるとすれば、その気持ちは必ずお母様に通じるものだと思います。粘り強く「明るく、笑顔で、感謝して」を目標に歩んでください。

 

令和3年5月号

Q:「家事のやり方」の押しつけに不満

結婚して半年が過ぎました。共働きなので、家事はできるだけ分担するようにしています。洗濯物を干したり畳んだりするときは2人で一緒にやることが多いのですが、妻は干し方や畳み方に細かく注文を付けてきます。私はマイペースな性格でもあり、妻がどんなやり方をしていても気にならないのですが、自分だけが相手のやり方を押しつけられるのは、なんだかモヤモヤします。
(30代・男性)

A:雨降らざれば地は固まらず

 共働きということで、家事の分担など生活上の役割は2人で決められたのでしょう。でも、性格や生活習慣、それに考え方の癖は、それぞれに異なるもの。最初はうまくいっても、要求心が出てくるとお互いに不愉快な思いが起こるのは、よくあることです。
 一番身近な人との間で日常的に起こり得る葛藤を、どのように受けとめ、対処していくかということは、小さなことのようですが、実は人生を充実させるための最初の試金石であろうと感じています。なぜなら、人はこうした葛藤を繰り返しながら成長していくものだからです。
 夫婦は一対ですから「勝った、負けた」という関係ではなく、どれほど相手の安心と喜びのために尽くすことができるかという点に結婚の真の意味があると考えます。相手を心から信頼して、お互いの未熟な面をもさらし合い、許し合いながら、よき人生を共につくっていこうと決めた2人なのですから、何事も賢明に考えて答えを出すという覚悟を持ってください。
 卑屈になってはいけません。高慢になってもいけません。相手を責めるだけでもいけません。ここは自分を謙虚に振り返り、長所も欠点も受けとめながら、お互いが成長していけるように努力する、共同作業のチャンスと考えましょう。誠実に語り合える間柄をつくり上げることが、2人の人生を実りあるものにできるか否かの分岐点になると思います。
 冷静に考えてみれば、自分1人で納得していた生活習慣の偏りや、自分では気づかず相手に押しつけている面があることにも気づくでしょう。心の中のモヤモヤをしっかりと受けとめつつ、正しく対処していけば、「雨降って地固まる」というように、愛情や信頼が深まります。それは葛藤があなた方の人間的成長につながった証です。感情に流されることなく、気は長く、冷静に語り合う場をつくってください。こだわりや押しつけは、決して人を成長へといざなうことはありません。
 家庭は夫婦が共に成長し合う道場です。相手の言葉の背後にある思いに心を巡らし、お互いに了解し合えるところから徐々に改めていくことが賢明でしょう。お互いの痛みを分かち合い、補い合うところに、信頼と愛情が育まれるものだと信じています。相手を立てる気持ちを忘れずに。

 

令和3年4月号

 

令和2年度

令和2年度

Q:ご近所付き合いになじまない知人

昔ながらのご近所付き合いが残る地域に住んでいます。ところが私と同年配で、ここに住んで何十年もたつのに、そうした付き合いになじまない人がいます。寄り合いでもわがまま勝手な言動が目立ち、雰囲気が悪くなることもしばしばです。周囲が気をつかっても本人には伝わらず、態度を改めてくれません。皆が集まるせっかくの機会、気持ちよく過ごせたらと思うのですが……。
(70代・女性)

A:人の弱さを見守れる人に

 近所付き合いになじまず、気ままな言動を改めようとしない仲間。「皆と気持ちよく過ごせるように、なんとかしてあげたい」と気をつかっても相手に通じず、思案に暮れる気持ちはよく分かります。
 若者世代なら、しっかり意見を述べ合って、明るく解決していけるのかもしれませんが、年を重ねるほどに、かたくなな心をほぐすのは難しくなりますね。私たちは幼少期からの生活環境の影響や、その後の生き方の姿勢が習性となり、中には心を開いて他人と付き合うことができない人もいます。それが個人的な考えによるものか、家庭や社会との関係により生じたものかは分かりませんが、寂しい姿であることに変わりはありません。生老病死の苦しみを説いたお釈迦様の言葉が身にしみる人生の後半だからこそ、皆で気持ちよく過ごせたらと願われるあなたの気持ちに添って、ご一緒に考えたいと思います。
 一般論に聞こえるかもしれませんが、これは日常の人間関係の中で直面する不快感や他人の不品行とどのように向き合うかという問題でもあります。避けられない関係の相手であれば、それだけ丁寧で慎重に、こちらの思いを押し付けないことが大切です。そして、自分にできる最大限の誠意と配慮で対応しても、相手に通じないことが分かったとき、どのようにふるまうかというところに、私たちの人間性が現れると考えることにしましょう。
 直接自分に降りかかる火の粉は払わなければなりませんが、そうでない限り、相手への誠意を失うことなく、自己責任(自助)を原則に接することです。相手が心の中にわだかまりを抱えているとしたら、隣近所の人だからといって簡単に心を開けるものではないでしょう。「巧言令色鮮し仁」とは孔子の言葉ですが、表面的な言葉がけでなんとかしたいという思いは、真の思いやりではないことがあります。相手の行く末を案じ、まずは見守っていくことです。
 人は一生のうちに愚痴を語り、許し合い、共に歩める相手を何人持てるでしょうか。真の友を1人でも持つことができれば、人は明るく素直な心になれると思うのです。私たちは、誰しも思い込みにとらわれ、自分で自分の人生を傷つけているのかもしれません。ここは少し距離を置いて、人の弱さに寄り添う気持ちで見守りたいものです。

 

令和3年3月号

Q:ママ友に都合よく使われている?

小学生と幼稚園児の2児の母です。幼稚園で仲よくしているママ友は、未就園児を含む3児の母。彼女が下の子を病院に連れて行くときは、うちの子と同学年の子を何度も預かりました。ところが私が同じような事情で「子供を預かってほしい」と頼むと、何かと理由をつけて断られます。都合よく使われているだけのようにも思えてきました。今後、どう付き合えばよいでしょうか。
(30代・女性)

A:「包容力のある自分」をめざす気持ちで

 あなたは相手の都合に合わせて協力してきたつもりなのに、相手は何かと理由をつけて手助けをしてくれない。そんなことが重なって「私は都合よく使われているだけなのではないか」と、ママ友との関係に疑問を抱き始めておられるようです。
 そのママ友が、あなたにとってどれほど大切な人かは分からないのですが、今、友人の1人として、その方とのかかわりの中で味わう喜怒哀楽の感情もあなたの日々の成長を織りなしていることを考えると、こうして悩まれることには大切な意味があるのではないかと思います。
 不完全な人間同士のこと、時には気持ちの行き違いがあることは分かっていても「良縁なら残したいが、悪縁は切ってしまいたい」と考えるのが人情です。しかし、私たちはその時々の気分や感情によって人間関係(縁)のよしあしを判断してしまう傾向がありますから、そこは慎重になる必要があると考えます。
 ここで相手のママ友との関係を、冷静に振り返ってみましょう。あなたにとって本当に大切な人と思える相手であれば、多少の犠牲を払っても今の関係を続けていこうと思えるのではないでしょうか。子供が2人か3人か、また未就園児を抱えているかどうかという立場の違いによって、体力的にも精神的にも負担に差が生じることは想像に難くありません。そんな中、懸命に子育てをしている友人を温かく見守り、エールを送ることができるとすれば、あなたの献身は、きっとお互いの将来にとって意味あるものになると思われます。
 手助けを断られたときは、相手を責めるのではなく「相手の都合を素直に受けとめよう」と思い定めることができるとよいですね。少々都合よく使われているような気がしたとしても、あなたの側に大きな支障がない限りは被害者意識を持たず、卑屈にならず、包容力のある自分をめざす気持ちで明るく生きてくださることを願っています。
 子が親の無償の愛を受けて成長するように、私たちは世の中の多くの人々の献身の上に生かされて生きています。そのことを認め合い、「お互いさま」「おかげさま」という気持ちを共有できたなら、相手のために多少の犠牲を払うことにも意味が感じられると思うのです。明るく元気に子育てに励んでください。

 

令和3年2月号

Q:「結論の見えない話」にイライラする

「とりとめのない雑談」が苦手です。余計な前置きが長く、なかなか結論にたどり着かない話を聞かされると、ついイライラしてしまいます。忙しいときに限ってそういう相手につかまることが多い気がするのですが、早く話を切り上げたいという気持ちが態度にも出てしまい、不穏な空気になることもしばしばです。心に余裕を持つには、どうしたらよいでしょうか。
(30代・男性)

A:自分を変えるチャンスに

 結論のはっきりしない「とりとめのない雑談」が苦手なあなた。できることなら、そんな相手とも快く付き合える自分になりたいという気持ちを抱いておられるようです。
 人にはそれぞれ、性格や癖というものがありますから、「苦手な相手」や「苦手な物事」に遭遇することもあるものです。とはいえ、私たちの人生には雑談も大切な要素です。ここは「自分の成長」につなげていく方向で考えてみることにしましょう。
 時・場所・場合にもよりますが、とりとめのない雑談にいつでも喜んで付き合うという人は、あまり多くはないでしょう。息抜きの際の雑談ならともかく、働き盛りの世代が寸暇を惜しんで仕事をしているときは、なおのこと「無駄口に巻き込まれるのはごめんだ」と思われるのは自然です。もし仕事中の雑談に悩まされているのなら、あなたがイライラするまでもなく、本人も周りの冷たい視線に気づくのではないでしょうか。
 ところで、あなたがそのような相手にイライラし、自分のペースを乱されることに悩んでいるというのは、あなた自身にも問題があると考えるのが賢明ではないでしょうか。相手に問題があるにせよ、あなた自身が他人の言動に振り回されることなく、自分のなすべきことに集中できる力を身につけることも大切であると考えるからです。
 あなたは優しく控え目な性格なのでしょうか。相手の話を途中で遮ることができず、自分の意見や都合を伝えることにも慣れていないようです。これは対決を嫌い、和を大切にする日本人一般の傾向でもあるようですが、共通の目標に向けて柔軟に意見を積み重ねていくという対話の習慣を持ちたいものです。対話や議論によって相互理解を深めるためにも「関係を損なうことなく、自分の考えを正しく伝える力」を身につける必要がありそうです。
 あなたをイライラさせる相手とのかかわりも、そうした力を育むチャンスと考えてはどうでしょうか。尊敬と信頼を基本に、素直な気持ちを言葉にして伝える訓練をするのです。胸襟を開いて語り合える相手がいれば、なお効果的です。失敗をも糧としてこの能力を養うことができれば、その相手への対応力だけでなく、人間力を磨くことにもつながるでしょう。今が自分を変えるチャンスと考え、勇気を出して挑戦してください。

 

令和3年1月号

Q:家庭生活と将来への不安

 20代のころに病を得て、長い療養生活を送ってきました。近年やっと健康になり、働けるようになりましたが、40代になった今も独身で両親と同居しています。家族との間には昔から確執があり、特に父親との関係がよくありません。今の生活に出会いのチャンスはほとんどなく、このまま結婚できずに家庭環境が悪いまま一生を送ることになるのかと思うと、不安になります。
(40代・女性)

A:無心になって感謝して

 あなたの心の痛みを癒すことはできないかもしれませんが、これからどのように人生と向き合っていくのかを、共に考えてみたいと思います。
 病という大きな試練を、長い療養生活を経て克服されたことに、まずはおめでとうと申し上げたいと思います。ここまで持ちこたえてきたあなた自身の精神力もさることながら、ご両親をはじめ、関係者の皆さんの支援や努力を考えますと、喜びはいかばかりかと拝察します。
 しかし、人生は一つ山を越えれば、また次の山(課題)が現れるものです。健康が回復すれば、過ぎ去った過去への思いや、やり残したことへの焦り、将来への不安などがわき上がってくるのでしょう。不安になる気持ちもよく分かります。
 しかし、ここは焦ることなく自分を見つめ直し、新しく生まれ変わる気持ちで毎日と向き合いたいものです。結婚のことや、家族との確執も気になっているようですが、今は元気な自分づくりに集中するときかと考えます。今の段階で先の人生を案じても、不安がわくばかりで、プラスにはならないからです。
 今は「生きる力」をつけることに集中しましょう。人生を生き抜くうえで大切なものは、体力や知力ばかりではなく、何事も感謝で受けとめる「感謝力」です。
 まず、健康の回復を一番喜んでくれている家族に感謝。常に言葉や態度で感謝の気持ちを表していきましょう。自分を支える人たちとの親密な関係は、あなたを勇気づけてくれるはずです。親や友人を味方にできれば、仕事をするうえでも他の人たちとかかわるうえでも、自信が生まれるからです。
 人と比較するのではなく、あなた自身の人生をさわやかに過ごしてください。将来を不安に思うより、「今の自分にできること」に集中しましょう。
 聖書にも「野の花を見なさい」とあります。たくましく無心に咲く花は美しいものです。私たちも、何事に遭遇しても受けとめるべきは受けとめ、置かれた場所で感謝して咲くことを心がけたいものです。自分で自分を傷つけることなく、感謝の心で生きることが、周りの人をも輝かせることになることを忘れないでください。そして、人生の生きがいは感謝の量に比例することを忘れないでください。

 

令和2年12月号

Q:厚意が受け入れられなかったとき

 よかれと思ってしたことなのに、その厚意を相手に受け入れてもらえない――そんなことがよくあります。例えば、電車やバスで席を譲ったのに、冷たく断られたとき。知人に挨拶をしても、一方的に嫌われているのか、無視されてしまったとき。こういう相手には、どのように対応すればよいのでしょうか。
(20代・男性)

A:不快や失敗を肥やしにして

 自分の厚意を相手に受け入れてもらえないという体験に“こちらは純粋な善意だったのに……”と、少し不快になられる気持ちも分かります。
 最近は子供の教育でも、地域の人と挨拶を交わすことを教えるより「見知らぬ人の声かけには気をつけなさい」と言われるようになりました。思いがけない事件が起こる中で、他人に対する警戒感が強くなっているようです。善意でかかわろうとする場合も、自分の言葉がけに注意を払う必要性を感じるようになりました。また、都市化や国際化が進むほどに、異なる文化や習慣の中で育ってきた人同士のかかわりが増えますから、さまざまな配慮が必要です。「隣近所は皆仲間」という感覚は過去のものになりつつある今、思いやりを行動に移すにも、知恵や勇気や気配りが必要な時代だと感じます。
 とはいえ人間不信になっては、社会に潤いがなくなります。道徳的にも他人を信じ、相手を尊重する態度は大切にしたいものです。
 そうした場面に直面したとき、私は「相手の反応を素直に受け入れること」を心がけています。相手の反応に動揺しないようにしつつ、その結果は後で冷静に振り返り、自分自身の成長の糧にしていくのです。不快な思いをすることがあっても「人間は失敗から多くのことを学ぶものである」と考え、少々のことに動じない、強い精神力を鍛えていけたらと考えています。
 純粋な厚意からしたことであれば、卑屈にならず「失礼しました」と、相手の反応を素直に受け入れましょう。自分には落ち度がないと思っていても、相手の都合もさまざまですから、相手を責めず、謙虚に学んでいきたいものです。その相手が信頼する仲間であったなら、自分の気持ちを丁寧に伝え、「自分の気づかないところで不快な気持ちにさせていたのではないか」と尋ねるだけの勇気を持ってほしいものです。そして、人はこうした体験を通して真に思いやりのある大人に成長していくものだと理解してくださることを願っています。
 人生は、毎日が新しい体験への挑戦だともいえます。その一つ一つの体験にどのような意味づけをし、どのように自分自身を育てていくかは、あなた自身の決断にかかっています。大地に根を張った太い幹に、味わい深い実をつけられますよう祈ります。

 

令和2年11月号

Q:「昔はよかった」から抜け出せない

 現在、仕事や家庭に大きな問題はないのですが、50代も後半にさしかかり、昔を思い出すことが多くなりました。「去年の今ごろはこんなことがあったな」と懐かしく思うだけならよいのですが、結局「ああ、昔はよかった。若くてたくさん夢があった」という、どうしようもない結論にしかたどり着きません。心身が衰えていくのを実感する今、不満や不安ばかりで憂鬱になります。
(50代・男性)

A:人生は、これからに味わいがある

 50代も半ばを過ぎた今、希望にあふれ、無我夢中で過ごしていた昔のことが、懐かしく思い出されるのでしょう。そして、心身が衰えていく不安や焦燥感とどう向き合うかという悩みのようです。
 孔子は「五十にして天命を知る」と言っています。今は人生100年の時代ですから、40、50はまだ半ばですが、この時期に自分の歩んできた道を振り返る人は少なくないようです。現在あなたが抱いている感慨はきわめて自然なもので、ここは、あなたらしい人生の円熟期に入っていくための準備期間であると考えたいですね。
 子供たちが自立するにつれて日々の生活に感動が少なくなり、自分の健康上の問題も含め、先の見えない不安に襲われるのは分かります。しかし、本当の人生はあきらめから始まるのです。
 あえて厳しいことを言いますが、「昔はよかった」という感情から抜け出せないのは、これまでの人生を無事に送れたことに対する感謝が足りないからではないでしょうか。そんな心のすきから愚痴が生まれると考えましょう。
 ここは自分の人生をしっかり受けとめるときが来ていることを自覚しましょう。人の一生は、どれほど栄耀栄華を極めても、やがて死を迎え、自然に返っていきます。ここからの時間は自己満足のために使うのではなく、周りの人たちと人生の味を分かち合うときと考えたいものです。
 自分は後世に何を遺すか。財産か、事業か、精神か。それを誰に遺すのか。考えれば考えるほど、さまざまなことが浮かんでくるはずです。時間をかけて、未来につながる「自分らしい生き方」を探してください。「太く短い人生でよい」「楽しく過ごせたらそれでよい」「財を遺せなくても子孫を遺せたら」等、さまざまな考え方があると思いますが、そこはあなた自身の決断にかかっています。
 不満や不安を抱えたままでいたくないというのが本音なら、まずは現状に感謝することから始めましょう。そして家族や同僚、信頼できる先輩など、身近な人たちとのつながりを大切に、明るく、人の喜びに役立てる生き方を探してください。決して焦ることなく、支えられていることに感謝しつつ、謙虚に歩んでいくのです。あなたの人生に真の味わいが生まれるのは、これからなのですから。

 

令和2年10月号

Q:周囲の「おせっかい」が気になる

 私の周囲には、頼んでもいないのに助言をしてきたりする「おせっかいな人たち」がいます。職場でも、これからやろうと思っていた仕事を勝手に済まされていたり……。相手にしてみれば、よかれと思ってしたことなのでしょうが、された側としては「ありがた迷惑」を通り越して不愉快になることもしばしばです。こういう人たちとは、どのように付き合えばよいでしょうか。
(30代・女性)

A:「おせっかい」に負けない対話力のある自分づくりを

 頼んでもいないおせっかいをしてくる人たち。相手は善意のつもりなのでしょうが、あなたは「ありがた迷惑」と感じ、どのように付き合っていけばよいかと、困っておられるようです。
 最近の人間関係を眺めていますと、他人への親切には慎重で、個人の意志や自己責任を重視・尊重する傾向が強くなっているのを感じます。あなたが「おせっかいな人たち」を不愉快に感じておられるのも、今の時代の自然な感覚なのかもしれません。
 人のふるまいは習慣的なもので、育った環境や生活経験の中で無意識のうちに身につけてきたものです。ですから「おせっかいな行為」についても、相手に悪意がないのであれば、相手を非難することなく、あなたの気持ちや考えを素直に伝えることが大切ではないかと考えます。
 素直に自分の気持ちを表現することの大切さは分かっていても、相手にどのように受けとめられるか分からないために、自分の胸にとどめて、悶々としてしまうことはよくあるものです。
 世間一般の感覚は、時代とともに少しずつ変わっていくものですが、日本人には、人間関係の「和」を第一に考えるという国民性があるようです。「和をもって貴しとなす」は日本人の美徳ですが、その実現には、それなりの知恵と対話力が必要です。
 島国の日本は、異文化の脅威にさらされることなく守られてきた時代が長いためか、自分と異なる考えを持つ人との対決や論争を繰り返しながらの相互理解・相互調整を図っていく経験が乏しいようです。国際化の進む今日、相手を否定することなく、尊重しつつ対話する力を磨いて、和を実現する人間力を身につけていく必要性を感じます。
 善意の相手であっても、こちらの思いに反する言動に直面することはあるでしょう。あなたの周囲には、あなたに好意的で、「日本的な思いやり」を持った人が多いのかもしれません。その中で不愉快に感じることがあったなら、感情に流されることなく、自分と相手を信じて「自分の表現力を磨くチャンス」ととらえてはいかがでしょうか。かかわることを避けるのではなく、相手を変えようとするのでもなく、素直な気持ちで語りかける勇気を持ってください。「素直な心」は共鳴し合うものと信じています。

 

令和2年9月号

Q:他人の「非常識」を目にしたとき

 地元の図書館で読書を楽しんでいたときのことです。閲覧スペースで中年の女性が2人、読書を楽しむ様子もなく、おしゃべりに夢中になっていました。一利用者である自分の立場から声をかけるのはためらわれ、そのまま帰途に就いたものの、不愉快な気持ちが残りました。公共の場で他人の非常識な言動を目にしたときは、どのように受けとめたらよいでしょうか。
(60代・女性)

A:自分を見つめ、自分を磨こう

 静かに読書をする場所で、ルールを破っておしゃべりに夢中になっている人が許せない――よくある場面に思えますが、後々まで残った不愉快な気持ちを、自分の中でどのように整理したらよいのかと悩んでおられるようです。その場面でうまく対処できなかった自分へのもどかしさもあるようですが。
 常識・非常識に対する感じ方は人それぞれで、生活感覚や生活態度などによって異なりますので、一概には言えないところがあります。ただ、自分の中に不愉快な感情が残っていること自体を悪いと思う必要はないでしょう。そのように感じた自分を否定するのではなく、後味のよい対応の仕方ができるように努力しましょう。
 人は他人のさまざまなふるまいを見聞きして、自分をつくり上げていきます。今回のような小さな「気づき」の積み重ねが、その人の人格や人生をつくり、さらには社会の空気をつくり、世論を形成していくのだろうと考えます。
 人は「自分の判断に間違いはない」と確信すればするほど、自分の思いにこだわってしまうものです。また、相手の欠点を指摘するにしても、相手に失礼のないように、それなりの礼儀や配慮が必要です。人間は完全ではありませんから、誰にでも失敗はあるものですし、私たちの心の中では常に本能的に自分を守ろうとする気持ちがはたらきますので、自分の非に気づいたとしても素直に行動できないことはあるでしょう。
「自分の判断を押し付けるのではなく、相手の人間性を傷つけることなく、率直に自分の思いを伝えることができたら」と願いながらもうまくいかないとき、私は「自分自身の訓練」と考え、理想の自分に近づけるように努力しています。その時々の対応を振り返ると、失敗したなと思うことも多いのですが、それも人生の楽しみの一つであり、生きている証です。
 今回の経験を大切に「自分も相手も、その周りの人々とも、お互いに配慮し合いつつ成長していけばよい」という気持ちを再確認しましょう。人を非難する気持ちからは、よき知恵はわいてこないものです。後味のよい人間関係をめざして、何事も自分を一歩成長させる契機と考え、自他の関係も周りの雰囲気も美しくなっていくような生き方を志していってください。

 

令和2年8月号

Q:ご近所同士の「愚痴の言い合い」に閉口

 ご近所同士の不和に巻き込まれています。世代は違っても仲よくしてきた2人なのに、最近、別々にわが家に来ては、お互いへの不満を訴えるようになりました。若い方には折に触れて「年長者をいたわって、あなたが一歩引いてあげて」、年配の方には「若い方のことは大目に見てあげましょうよ」と言うのですが、あまりにも頻繁に愚痴を聞かされるので閉口しています。
(70代・女性)

A:鏡のように、無心で明るく

 ご近所同士の世代の違う2人の不満をそれぞれから頻繁に聞かされ、うまく仲を取り持つことができずに困っておられるようです。
 最近まで親しくしてこられたお2人なのに、何か気に入らないことが起きたようですね。原因は分かりませんが、あなたのアドバイスに耳を貸す冷静さもないようで、2人の気持ちが簡単に治まらないことだけは分かります。あなたにとっては無視したくない2人のことなのでしょうから、なんとか解決して元どおりの仲にと思う気持ちも分からないわけではありません。
 しかし、2人の熱が冷めるまで、当面は聞き役に徹するしかないでしょう。どちらが正しいなどという判断はせず、一方に傾く気持ちを捨て、中立を保つのです。あなたにどれほどの時間的余裕があるかは分かりませんが、2人に対する好意と尊敬の気持ちは失うことなく、自分の忍耐力や信頼を培う機会ととらえてはいかがでしょうか。
 愚痴とは、その人の人間性をよく表すものですから、よほど心を許せる人にしか言えないものです。あなたのように無心で耳を傾けてくれる人がいたら、もともと親しい間柄の2人のこと、当人たちも少しずつ冷静さを取り戻して、相手の思いを受け入れることもできるでしょう。
 また、この事態に困らなくてはならないのは当人たちであって、あなたではないことも自覚しましょう。この状況にあなたが「困った」と感じているとすれば、あなたは2人に振り回されていることになり、あなたにとっても2人にとっても、よき友人関係を失うことになりかねません。あなたが冷静に、鏡のように澄んだ気持ちで和顔愛語(和やかな笑顔と思いやりに満ちた言葉)に徹せられるならば、2人はそれぞれに自分の気持ちを振り返り、落ち着かれると考えましょう。
 人間というものは、小さないさかいを何度も繰り返しながら日々を過ごし、周囲の人たちから許され、そして生かされることで、今ここに存在できるのだと感じています。小さなことの積み重ねの上に自分の人生が形づくられていることを考えるとき、目の前に起きてくる一つ一つの出来事も、すべて自分に与えられた宿題として、逃げることなく前向きな気持ちで応えていこうと思えるのです。信じて見守りましょう。

 

令和2年7月号

Q:長く付き合える友人が欲しい

 夫や子供には恵まれているものの、友人がいないことが悩みです。ママ友は何人かいましたが、子育てが終わると離れていきました。年賀状だけでもお付き合いを続けたかったのですが、返事が来なくなったり、「もうやめましょう」と言われたりして、期限付きの仲で終わっています。習い事で顔を合わせる方とは挨拶を交わす程度で、パート仲間とも勤めている間だけの仲。長く付き合える友人は、どうしたらできるのでしょうか。私が友人としてふさわしくないのでしょうか。
(50代・女性)

A:自分の周りを感謝の目で見つめてみよう

  家庭的に恵まれ、さまざまな縁で出会った人たちとも、その時々には仲よく過ごしてこられた様子です。しかし振り返ってみると、親しい付き合いを続けられるような友人がいないことに気づき、少し悩んでおられるようです。
 ご主人との関係は良好で、子供たちも自立し、安心できる生活を送っておられるようです。これまで家族を守ることを最優先としてこられたあなたが、ようやく自分自身を見つめ、これからをどのように過ごそうかと考えられる時なのでしょう。ふと自分の周りを見つめると「心を許せる友人がいない」という気持ちが膨らんで、これは若いころから出会ってきた人たちとのかかわり方に、何か足りないところがあったのではないかと考えるに至ったようです。
 人生百年時代、まさに第二、第三の人生をどのように生きていくかという折り返し地点でもあります。人は一人では生きていけませんから、家族をはじめ隣人や友人など、親しい関係を求めるのは自然なことです。一人で閉じこもるのではなく、他人の笑顔に出会い、心を許せる友との語らいに喜びを感じながら過ごすことができれば、生きる喜びにつながります。したがって、あなたが家族以外に親しい友を求めようとすること自体は、ほかに大きな悩みや心配事がないという、きわめて恵まれた状況におられることの表れと考えてよいのでしょう。
 ただ、そのようなあなたが、あえて「長く付き合える友人が欲しい」と言われることには、少し違和感を覚えます。私には、そうした友人を新しく探す必要はないように思えるからです。心が通い合う親しい関係というものは、たとえ夫婦であっても、日ごろの接し方や語らいの一つ一つを大切に、相手を尊重する心づかいと態度を積み重ねていくことによってできてくるものと考えるからです。今、あなたは、そのような関係を育んでいけそうな友人がいないと感じておられるのでしょうか。
 私には、あなたはすでにそのような友人を持っておられるように思えるのです。まずは今のあなたが置かれた状況や、これまでに得られた出会いに、もう一歩深く感謝することから始めてみてください。子育ての途上で出会った友人、習い事やパートで出会った友人、さらには隣人などとの出会いを、もう一度、丁寧に振り返ってみてください。あなたの生き方や考え方に共感し、見守り、支えてくれていた人がそこにいたことに気づかれることでしょう。
 その感謝の気持ちを忘れずに、これから出会う一人ひとりに対しても親しみと尊敬の心で接していかれるなら、きっと「すばらしい友に恵まれた」と感じられる日も来ると確信しています。

 

令和2年6月号

Q:新しいクラスになじめない娘

 最近、中学2年生の娘から「新しいクラスになじめない」と、毎日のように聞かされます。娘は明るい性格なのですが、気の合った友人たちとはクラスが分かれてしまい、おとなしく真面目な生徒の多いクラスの中で、遠慮をしながら過ごすのが疲れるようです。いじめがあるわけでもないので、ぜいたくな悩みなのかもしれませんが……。女の子は固定のグループをつくりがちなので、少々心配ではあります。親として、どのように見守ったらよいでしょうか。
(40代・女性)

A:弱みを受けとめるたくましさを育てたい

 中学2年生に進級した明るい性格の娘さんが、おとなしく真面目な生徒の多いクラスにうまくなじむことができず、悩んでおられるようです。明るく育ってきたはずの娘さんの思いもよらない悩みに、あなたはどのように受けとめ、かかわったらよいのかと、戸惑いを感じておられるのですね。
 天真爛漫に育ってきた娘さんの初めての弱音といってもよいのでしょうか。娘さんにも友達にも非があるわけではないようですが、このまま友達をつくれずに孤立し、人間不信や不登校にでもなったらと案じられるのでしょう。しかしここは、お母さんには先生と上手に連絡を取って、「性格や生活習慣の違った人々との人間関係を学ぶチャンスにする」というプラスの思いを持って受けとめたいものです。
 人生の喜びや楽しみは、順調で穏やかな生活環境のもとで味わえるに越したことはないのでしょうが、実は悲しみや苦しみの体験を克服することを通じて、その深い味わいを知ることのほうが多いものです。生活環境も考え方も性格も異なる大勢の人たちと、協力や闘争、喜びや失敗の体験を共にする中で学び合い、自分を確立していくところに真の成長の喜びが味わえるものだと考えるのです。
 自分をより大きく育て、仲間と協力して未来を創る。そのためには、より多くの人たちと協力し、支え合っていくことが必要となります。それは、自分とは違った考え方や生き方の人たちともつながっていこうとするたくましさや、相手を信頼する勇気がなくては実現しないでしょう。
 お母さんとしては、どのようなアドバイスをしたらよいかと悩まれるでしょうが、ここはあえて早く答えを出そうとはせず、家族や周囲の人たちの意見も参考に、娘さんの悩みに寄り添いながら、他人を否定することなく勇気づけ、成功体験につながるように見守りたいものです。
 過干渉や押しつけにならないように、娘さんが友達を避けることなく、自分のことも振り返り、相手を信じて心を開き、お互いの長所や欠点に共感できるような、柔軟でたくましい、温かくて包容力のある強い心の持ち主に育つことを願ってかかわりたいものです。
 娘さんの今回の弱音は、親子の絆のしるしです。ピンチはチャンスといわれるように、娘さんもクラスの友達も、寛やかな心の持ち主に成長されるための一里塚となることを祈っています。少し時間をかけても共に学び、成長していく娘さんたちを応援してください。そしていつも明るく、どんな人からも学び合えるたくましさを育むチャンスにしてください。

 

令和2年5月号

Q:押しつけられてばかりの人生

 昔から、日常の些細なことから進学・就職といった大きな問題まで、親をはじめとした上の立場の人たちにすべてのことを決められ、押しつけられてきました。それらは私の希望とは一切かみ合っていませんでした。もちろんやる気はまったく起こらず、いろいろなことを「失敗させられ」ました。「おまえのためを思って」は通用しません。大人になった今でも、いろいろな人から善意の押しつけを受けることがあり、「意地でもそうはしない!」という決意だけを強めています。
(30代・男性)

A:他人のせいにしない自分をめざそう

 これまでの30年あまりの人生を振り返ったとき、大小さまざまな判断や決断にいつも上の立場の人たちが干渉して、あなたの考えや思いが無視され、押しつけられてきたことに強い憤りを感じておられるようです。あなたの心中は不平ばかりで、やる気はわかず、失敗したことのほうが多く、被害者意識ばかりが増大しているのは無理もないことと思いつつも、少し案じています。
 どのような状況であなたの自由意思が無視されることになったのかは分からないのですが、あなたは長い間、自分の気持ちを押さえつけられながらも、反社会的な道に走ることなく自分を律し、持ちこたえてきたのでしょう。ここでは、そのあなたが今、自分の意志と決断によって自分の人生を歩んでいきたいと強く望んでおられることを後押ししつつ、考えてみたいと思います。
 私たちは、自分の思いが他者の力で押さえつけられ、自分の存在が無視されるようなことが続くと、親や周りの人たちを信じることができなくなるばかりか、本来の自分を見失い、自分の人生そのものを傷つけてしまうものです。一人ひとりの人格を尊重し、学び合い、痛みを分かち合って、互いの非を許し合うといった「人間の弱さへの共感」の欠如。世の中で起こる事件の大部分は、そこに原因があるのではないかと感じます。
 しかし、人間社会の理不尽さや不合理がまったくなくなることはないでしょうから、この理不尽さの中でもどうにか持ちこたえ、自分の人生を切り拓いていくことは、私たちが生きていくうえでの基本的な課題ともいえましょう。
 あなたにも、少し考え方を変えてはどうかと思う点があります。現在のあなたを取り巻くすべての状況を、他人の押しつけや社会の理不尽さのせいだけにしないこと。そして、自分のことは自分で守っていけるだけの生活力と人間力を身につけるように、意識を切り替えてくださることを願っています。
 いろいろな小さな善意にも敏感に「押しつけ」を感じ取り、「意地でもそうはしない!」と強く反発されている表現を見ますと、他人の言動に対して少々過度に反応しすぎているように思われます。過去に親や大人たちから受けた過干渉的態度がトラウマとして残り、真の善意と過干渉との見分けがつかなくなり、人間関係を円満にしていきたいという思いまで蝕まれてはいないでしょうか。
 他人の考えに振り回されることなく自分の考えを調和させ、自分らしい道を歩むということは、あなたが努力しない限り、実現するものではありません。しかし私は、あなたがその努力を続ける限り、きっと「生きる喜び」を取り戻して、成熟し、自分や他人を好きになれると信じています。

 

令和2年4月号

 

令和元年度

令和元年度

Q:友人との「比較」がやめられない

 30代後半になりましたが、未婚で、もちろん子供もいません。仕事は非正規のパートで、親と同居しているため、独立もしていません。友人は皆、結婚して子供がいたり、順調にキャリアを積んでいたりして、いわゆる「勝ち組」ばかりです。自分の状況と比較すると悔しさもあり、つい「独身のほうが気楽でよい」などと、友人に対していやみを言ってしまいます。こんな自分を変えることはできるでしょうか。
(30代・女性)

A:人は、うぬぼれるために生まれてきたわけではない

 未婚で親と同居、非正規のパートで働いているという状況に、自立・独立しているという実感を持てないでいるようです。したがって、どうも友人に対して引け目を感じ、やせ我慢をしている自分を好きになれず、生き方を変えたいと悩んでおられるのでしょう。
 これまでの人生がどのようであったかは存じませんが、あなた自身が今までの生き方を振り返ってみたとき、親や家族との関係、他人や社会との関係で自分がなしてきたことについて、完全とはいえないにしても、その折々に誠実に、精いっぱい歩んできたとすれば、立派に自分の責務を果たしてきたと考えていいのではありませんか。
 人は「他人と比較する心」にとらわれると、自分を守りたい、負けたくない、正当化したいという悪循環に陥ります。そして際限なく他人をうらやんだり、ねたんだり、見下したりして、人間に対する見方、考え方がますます惨めになってしまうようです。
 地上に生きるあらゆる存在の中で、人間だけが「他者と比較する」という感情や意識、さらには自由意思を授かっています。その感情や意識や自由意思は、自分を成長させ、周囲の人たちと共存するために「他者に学び、自分を省みる」というように前向きに活用する限り、自分の強い味方になります。しかしその反対に、自分を誇示したり、ひがんだり、やせ我慢をしたり、嘘をついたり、自分や他人を傷つけたりという方向に使ってしまうと、心の喜びや充実感を味わうことができなくなり、自分の人間性を下げ、ついには大切ないのちを傷つけてしまうことさえあるのです。
 私たちは、他人と比較して他人より優れていることをよしとするために生まれてきたのではありません。自分に与えられた気質や諸能力、また、授かったいのちを生かして、他者との親しい信頼関係の中に奉仕し合うという共生・共存・協力に向かうべく生まれてきたという考えを大切にしたいと考えます。
 あなたが今、弱気になって、他人との比較意識に悩まれていることは、一つには「自分の今までの生き方の中で何かに徹底して取り組むことができなかったのは、自助努力が足りなかったからではないか」という反省心の表れなのかもしれません。また、一方では「自分の置かれている場所で、与えられたいのちをもっと輝かせ、自分らしく、無心に自分の道を歩んでいきたい」という心の声と考えてもいいでしょう。
 思うようにいかないことの多い人生に、イエスと言うかノーと言うかを決めるのは、他人でも社会でもありません。あなた自身が自分の人生の主役であることを忘れないでください。
令和2年3月号

Q:再婚に踏み切れない

 5年前に離婚をした後、結婚相談所の紹介で、先妻を病気で亡くした男性と知り合いました。最近、再婚に向けて相手の家で同居を始めたのですが、前の奥様のことがどうにも気になって仕方がありません。仏壇には毎日手を合わせ、私なりに供養は大切にしているのですが、知人に「大丈夫なの?」と言われるたびに、なんとも言えない気持ちが膨らんでいきます。こんな気持ちのまま再婚をしても、相手にも亡き奥様にも申し訳のないことになると思い、迷うばかりです。
(50代・女性)

A:勇気を出して語り合う機会を

 再婚を考えて通い始めた結婚相談所での気の合う男性との出会い。ところが彼の家での同居を始めた後、あなた自身の気持ちの問題として、彼の前の奥様のことが気になって、前向きな思いが浮かばず、再婚にも迷いが生じているようです。
 結婚は人生の一大事ですから、いくつになっても慎重になるのは当然です。最近は個人の結婚や離婚についての自由度が高まっているようですが、それぞれの運命を背負った2人が結婚の意志を固め、条件が整って成婚に至るということは、奇跡に近いという認識に変わりはありません。まして再婚となると、より多くの条件に思いをめぐらされることになるでしょう。しかし「苦悩なくして喜び少なし」といわれます。あなたが今回の結婚に迷われるのも大切な意味があってのことだと、前向きに考えたいものです。
 知人が何かと気にしながらかけてくれる言葉を軽く流してしまうこともできるのでしょうが、「その言葉に何か真実が含まれているかもしれない」というあなた自身の心の内からの声に、謙虚に耳を傾けることは大切です。あなたが自分の人生を悔いのない、深い人間愛に基づいたものにするための大切な機会であると考えたとしても、決して相手に対して不誠実ということにはならないでしょう。
 あなたは彼のことを大切に思い、彼の先妻のことをも祈りながら同居に踏み切ったのですから、素直な気持ちで自分の心配事や身近な人間関係のことなどを彼に伝え、さらにはそれに対する彼の考えを聞くなど、理解し合うことに集中するよい機会と考えます。すべてを語り尽くすことはできないにせよ、彼との今後の人生のためにも心の中にわだかまりを残さず、信頼と尊敬の関係を築けるように努めることです。
 心の中の小さな不安や心配がちょっとしたきっかけで膨らんでしまうことは、よくあるものです。特に人生の後半に入る時期に出会った2人が新しい関係を創造するための迷いや苦悩には、大きな意味があるように思えます。
 相手のことを大切に思えば思うほど、今までの何十年というお互いの人生の重みを理解し合い、心の喜びやわだかまりを分かち合う時間は必要でしょう。そう考えれば、そのきっかけとなった知人の言葉がけも、感謝の心で受けとめることができるのではないでしょうか。
 知人の小さな言葉にも自分自身を振り返ることができるあなたの心の柔軟さは、ぜひ大切にしていただきたいと思います。まだ出会ったばかりの彼のことを大切に思い、それぞれの義務と責任を果たしていくという覚悟と努力の積み重ねのうえに、新しい道が開けていくことを信じます。どうか勇気を出して語り合ってください。

 

令和2年2月号

Q:「助け合いの精神」を大切にしたい

 私自身も高齢になりましたが、近隣の独居老人の方への声かけをはじめ、今でもボランティア活動にいそしんでいます。ところが最近は、訪問しても「放っておいてほしい」と冷たく断られたり、町内で火災があった際も近隣世帯からのお見舞いの話がまとまらなかったりと、ボランティアも難しい世の中になったことを感じています。「助け合いの精神」が忘れられつつある世の中に、やるせなさを感じてしまいます。
(70代・女性)

A:相手の人格を尊重する精神で

 隣近所の一人暮らしの方への声かけや支援活動などに励んでいるものの、皆で助け合おうという意識が浸透せず、一人心を痛めておられる様子が伝わってきます。隣近所との温かいお付き合いがあった昔とは様変わりし、人間関係が希薄になってきていることを憂えるあなたの思いには共感します。
 都市型の生活の浸透や「個人の自由」が優先される風潮の影響でしょうか。親子や家族の間でも遠慮をし、お互いに許し合い、助け合い、支え合うことが難しくなっているようです。まして他人に対し、好意よりも警戒感を抱きつつ接する人が増えるのは無理もないことでしょう。自分の内面を見られたくはない、懸命に生きている自分をさらけ出せるほど強くもなければ親しい人でもないということになると、どうしても「あまり他人とかかわりたくはない」と思ってしまう気持ちも分かるような気がします。
 とはいえ、いざというときのことを考えると、行政などの公の力に期待するのは限界があります。個人個人で置かれた状況も異なれば必要とする支援も異なるわけですから、民間のボランティアの協力なしには対応しきれません。やはり助け合いの精神は不可欠でしょう。
 しかし、助け合いやボランティアの精神の必要性を説くだけでは、この問題は解決しないようです。私たちは個人の自由を尊重するだけでなく、もっと「家庭の一員として、国家の一員としての自分の責任」についての認識を深めていく必要があるのではないでしょうか。
 個々人の「自分らしい生き方」とは、もちろん自分自身でつくるものです。まずは個人が精いっぱいの努力をしながらも、自分一人の力で乗り切れない事態に直面している人に対しては周囲の皆で手を差し伸べる。そうした場合も、さまざまな試練を乗り越えて今ここにいる代理不可能な一人ひとりに対して、尊敬と感謝とねぎらいをもって接したいものです。
 付き合いが悪いからとか、寂しそうにしているからとか、一人で住んでいるからといった表面的なことや、その場の気分でかかわり方を決めるのではありません。同じ時代に生き、そこでのさまざまな課題を共に解決していこうとする仲間として、敬意を持って接するのです。
 孤独のすべてが悪いわけではありません。ただ、人は病や死という孤独に立ち向かうべく、お互いを支え合うのだという自覚のうえにボランティアの精神を充実させる必要がありましょう。一人ひとりへの愛情と尊敬を抱きつつ助け合うこと、それは相手の人格と人生全体を肯定し、「弱い傷だらけの自分」をさらしているお互いへの共感のうえに成り立つものではないかと感じるのですが、いかがでしょうか。どうか強い心で仲間をつくっていってください。

 

令和2年1月号

Q:引きこもりの息子とどう向き合うか

 40代後半の息子と私たち夫婦の3人暮らしです。息子は大学卒業後、なかなか職場に恵まれず、転職を繰り返すうちに挫折してしまったようで、近年は仕事もせず、引きこもりのような状態になっています。暴力を振るうことはないまでも、イライラすると大きな声を出すことがあり、どのように接したらよいか分かりません。夫も80に手が届く年齢で、今後のことを思うと、途方に暮れるばかりです。
(70代・女性)

A:社会のケアの力を借りて

 40代後半の息子さんが引きこもりの状態で、同居の自分たちも高齢になり、どのように接していけばよいかと途方に暮れる気持ちはよく分かります。
 今日では子供から大人まで、うつ病や引きこもりに悩んでいる方が多くおられ、それが日本の活力や労働力不足につながっているともいわれます。物質的には豊かな国と思える日本で暮らしていながら、なんらかの原因で心が折れ、生きる目標を見失い、漠然とした時代の空気の中で自分を取り戻すきっかけが見つけられない。挫折の原因も多様であいまいなだけに、特定の解決法があるわけでもなく、行政や社会福祉関係者が対応を模索しているというのが実情のようです。
「本人の考え方や気持ちが変われば……」といわれることもありますが、事はそれほど簡単ではないようです。対応する専門家も時間をかけ、一歩家の外に出させることにも粘り強く、何か月も試行錯誤を繰り返しつつ取り組んでいるようです。当人がなんとかしたいと思っていても、思うようにいかず、長引けば長引くほど状況が悪化し、改善が難しくなっているようです。
 人の意識や行動が活性化されるには、愛情というプラスのエネルギーが心に蓄積される必要があります。当人が自分で心を開こうとするきっかけが得られるような機会を、慎重に粘り強くつくっていくというケア以外に道はないのが現状でしょう。ご両親には、ご子息の負担にならないように見守り、共に粘り強く生きることを心がけるとともに、自分自身の心のケアのためにも、同じ悩みを抱える仲間との語らいの場に参加されることをお勧めします。
 この状態が長く続いているようですから、これまでにも専門の医師やカウンセラーと相談され、対処してこられたと思われます。たとえ当人が専門医にかかることを拒む場合でも、両親が近況報告などに心がけ、相談し、アドバイスをもらうなど、親としてのあり方や将来への対策などについて考える機会をつくっておくことが大切でしょう。
 民間の機関でも、当人の働き方や財産管理などを含め、さまざまな分野の専門家の協力を得て相談に応じるという体制づくりが進んでいるようです。今回のような事例には、家族でサポートしていくという気持ちは大切ですが、家族の力だけでできることには限界があると心得ましょう。そして、このような明確な答えを出しにくい問題に対する対策は、将来的に起こりうる事態に対し、いかに自分たちの考えや態度を定めておくかが大切であって、決して過度な不安を抱いて右往左往することではないことを心したいものです。
 1日1日、厳しい状況の中にも大らかに生きたいものです。

 

令和元年12月号

Q:現状を前向きに受けとめるには

 同居の義母と自閉症の長男、近くに住む私の両親の暮らしを夫と2人で長年支えてきましたが、最近、夫が進行性の難病と診断されました。これまで必要に応じて遠方に住むきょうだいや独立した子供にも協力を求めてきましたし、介護サービスもありがたく利用させていただいていますが、サービスの利用は経済的に限度があり、自分の体力にも不安があります。感謝の気持ちで日々を送るように努力はしていますが、現状を前向きに受けとめるにはどうしたらよいのでしょうか。
(60代・女性)

A:今こそ生きる意味を考えるとき

 高齢の両親の介護に加え、自閉症の長男、さらには協力者であったご主人の難病と、あなたの肩にかかっている責務の大きさは、よく分かります。これまでもきょうだいや子供たちと相談し、協力を求めてきたということですから、介護サービスの利用者負担などに関しても協力を得ておられるのでしょう。
 しかし、皆の前向きな協力が得られても、ご主人の病気により発生した孤立感とこの先への不安は大きなものでしょう。どこまで耐えられるかといった体力や気力についての不安、経済上の不安、さらには日常生活の中で起きる感情のやりどころのなさなども、一番近くにいて分かち合ってきたご主人です。寂しく弱気になるあなたの気持ちも分かります。
 人生の後半に向けて、現状が好転していく可能性が少ない状況の中で、どのように自分の心を前向きにさせるか、どこに目標を定めて生きていけばよいのか。ここはまさに自分の生きていく原点を問われる窮地に立たされているように感じます。
 ここはあなたの踏ん張りどころ。あらためて自分の、そして夫との人生にどのような意味を与えるかを考えるときです。あなたは父や母、夫や子供と、どのような家庭を実現しようと考えてこられましたか。生活信条はなんでしたか。父や母から受け継いだこと、「このような考えを大切にして生きていきなさいよ」と教えられたことはありませんか。
 私は両親から、学ぶことの大切さを教えられました。偉人に学ぶ、先人に学ぶ、他人に学ぶ等々、学ぶ対象も学ぶ領域も学ぶときも、限りなく広く無限です。新しい環境に出会うたびに新しい自分に挑戦し、学んでいくものだと教えられました。
 人生には、いくつになっても新しい課題が起こってくるものです。そうした諸課題を、素直に謙虚に受けとめて生きていくところに、人間の尊さを感じています。
 現実に起きてくる喜ばしいことやうれしくないことに、一人で有頂天になったり落ち込んだりすることなく、素直に受けとめる。すべてに感謝はできないまでも、他人とのつながりの中に、自分にできる最大限の義務を果たす。そんな覚悟ができればいいなと考えます。
 あなたが今の現実にどのような意味を与えるかは、あなたの意志と決断にかかっています。他人にはつらい現状に見えても、自分と家族の尊厳を守るために、強く美しく生きていくことを心がけてください。きっとあなたの人生は無意味なものではなく、あなたの周りの人にも、生きることの尊さや喜びを伝えることになるでしょう。今与えられている現状は、自分が蓄えてきた叡智と強い心を発揮する最善の機会なのだと受けとめてくださることを祈っています。

 

令和元年11月号

Q:隣家との関係に悩む

 隣家の老夫婦との関係に長年悩まされてきました。そのお宅では猫を放し飼いにされているようで、糞尿に困っていることをお伝えしたところ、敵視されるようになってしまいました。年齢を重ねるほどにひどくなってきているようで、いやがらせのような行為を受けることもあります。仕返しをしたいという思いはまったくなく、人の心の痛みを知っていただきたいという思いだけなのですが、そう願うのはいけないことでしょうか。
(50代・女性)

A:誠意をもってもう一度

 隣家の老夫婦とのトラブルに心を痛めておられるようです。猫の放し飼いにまつわる問題は、動物への愛着の持ちようによって感じ方が変わるものでしょうが、あなたが困っていることを隣家の老夫婦には理解してもらえず、長年悩んでこられた気持ちもよく分かります。
 少子高齢化が進む昨今、動物との同居を心のよりどころにしている方もおられることでしょう。一方では、自分で動物を飼おうとは思わないし、飼っている人に対しても「他人に迷惑をかけることは御免だ」と、自己管理を求める方もおられます。動物を飼う・飼わないは、好き嫌いの感情の問題であるだけに、感覚的に対立しやすい一面もありそうです。
 冷静に考えてみると、お互いの生活空間を侵すことなく、助け合いながら、安心と快適さを分かち合えるような付き合いを、誰もが望んでいるはずです。しかし今、都市化や核家族化が進む中で、隣人への不信、他人への敵対的感情、自己正当化というマイナス感情が増大して、相手の気持ちや立場を思いやり、許し合うという心のゆとりが失われつつあるようです。あなたにもその影響が及んでいないか、今一度、見つめていただきたいと願っています。
 一人ひとりが高齢になったときのことを考えても、隣近所との親しいお付き合いや助け合いは、お互いに安心と喜びを実現していくうえで不可欠ではないでしょうか。
 ここはあなたに、より賢明でより深い人間性を発揮していただきたいと念います。心の痛みを分かってもらいたいというあなたの思いは理解できますが、隣家の老夫婦の側に心の余裕がないと思われる現状では、あなたが「正義の立場」にとどまる限り、お互いに傷つけ合うばかりです。
 正しいと思える側が一歩引いて道を譲る。健康な人が弱った方のお手伝いをする。分かっている人が相手の足りないところを補い、カバーする……。そうしたことの大切さは、お互いに分かっていても、実行するには大きな勇気が必要です。
 世の中が物質的には豊かで便利になっても、社会に潤いをもたらすのは、やはり心の痛みや喜びを共有できる家族や隣人とのつながりです。
 できれば、あなたがもう一度歩み寄って、相手を非難する心ではなく、「自分の気持ちをうまく伝えられずに、今日まで不快な気持ちを味わわせてしまった」という思いで語りかけることです。相手がどう受けとめるかではなく、まず、あなた自身が強く美しい、清い心で。その心がけと実行が、隣人の心をも美しくしていくのだと信じています。

 

令和元年10月号

Q:子育てと家事、どう向き合うか

 出張が多く多忙な夫と1歳の娘との3人暮らしです。先日、夫の母親が自宅へ遊びに来た際、家の中が片付いていないことを指摘されました。私も反省し、もう少しきれいにしようと思ったのですが、いざ掃除を始めると、娘は片付けたそばから散らかしていくので、思うようにはかどりません。仕方なくベビーベッドに入れたところ号泣し、やがて泣き疲れて寝てしまいました。娘の心を傷つけているのではないかと思い、自己嫌悪に陥っています。
(20代・女性)

A:子育ては自分育てです

 多忙な夫と1歳の子供との3人暮らしで、日々子育てや家事に奮闘されている様子が伝わってきます。また、様子をうかがいに来られた夫のお母さんの指摘に反省し、努力される素直さが感じられます。掃除中も思うようにいかない娘のふるまいに心を痛め、泣かせてしまったことで自己嫌悪に陥るあなたは、優しい性格のようです。
 子育てというものは、誰が何度経験しても、その都度変わる子供の反応には完璧に対応できるものではありません。まずは深刻になりすぎないように心がけましょう。
 家庭の状況、子供の様子、家族の協力、当事者の性格など事情はさまざまですが、1人で子育てを担わなければならないとすれば、たいていのお母さんはパニックに陥ることでしょう。したがって、自分が失敗しても温かく見守ってくれる家族や周囲の存在は重要です。夫やお母さんを味方につけ、明るく朗らかに、なんでも相談できる和らいだ関係をつくっていきたいものです。
 何事によらず、人は「自分1人で取り組んでいる」と感じるときは、孤独で被害者的な感情に陥りやすいものです。夫のお母さんの指摘も、素直に受けとめることは大切ですが、「自分の気にしているところを指摘された」と反省するだけでなく、明るく感謝しつつ、お母さんとの信頼関係をつくるように心がけていくことをお勧めします。
 私が大切にしたいと考えることは、あなたが少々の失敗をしても、あなたの子育てへの努力を見守り、受け入れ、励ましてくれる夫や家族との好意的な関係を築き、喜びと感謝の言葉をたくさん発信できるような「自分育て」をすることです。
 子育ての中で、自分の心にわいてくる思いには、愛情や「健やかに育つように」という祈りばかりでなく、言うことを聞いてくれず、意に添わない子供のふるまいに、いら立ったり、反省したりの繰り返しでしょう。その自然な感情は肯定的に受けとめましょう。そして一時の感情から子供に対して声を荒げたり、危害を加えるといった考えや行為に走らない限り、母親としての対応に自信を持って、温かくも厳しく育んでいかれればいいのではないかと考えます。
 子育ての専門書やアドバイスは参考にしながらも、私が一番大切に思うことは、子育てに奮闘する母親が孤立することなく、精神的に安心と安定が感じられるような家庭をつくることです。そのためには、まず夫婦の間に信頼と尊敬と愛情を育むことが、何よりも大切なことです。忙しい夫や母親をも味方につける自分になることは、子育てを後押ししてもらうためだけでなく、あなた自身の「自分育て」につながることになると考えてみてください。

 

令和元年9月号

Q:見捨てられることへの不安

 子供のころから「いい子でいなければ愛してもらえない」といった思いが強く、ずっと「自分は見捨てられるのではないか」という不安を抱えてきました。そのため、友人や恋人との距離感もうまくつかむことができず、メールの返信がすぐに来ないだけで不安になったり、相手の意に沿えるようにと必要以上に頑張ったりしてしまいます。この不安を、どうすれば克服できるでしょうか。
(30代・女性)

A:強い自分に挑戦してください

 子供のころから「いい子でいなければ見捨てられるのではないか」という不安を抱えてきたために、日常の会話やメールのやり取りにも神経をすり減らしているようです。そんな自分を変えたいと願っておられる気持ちが伝わってきます。
 まず、あなたが抱かれている気持ちは、素直に幼少期を送ってきた人がたいてい一度は通らねばならない道だと理解しましょう。人が成長していくうえで、親や年長者の意見を素直に受け入れることは、大切な生活態度と考えるからです。
 一般に「いい子でいなければ」という思いは、他人から認められたいという承認の欲求に基づくもので、大なり小なり誰の意識の中にもあり、人間の向上心につながっています。それは尊重される人間になりたいとか、他人や社会の役に立てるようにという気持ちの原動力だからです。しかし、幼少期のいい子であろうとする努力が適切に評価されず、親や他人から無視されたり拒否されたりすると、無意識的に「もっといい子にならなくては」と思い、相手からの評価に過度に反応して、自分を見失ってしまうのです。
 人は年齢とともに「他人は他人、私は私」と、一人ひとりの考え方や立場の違いを客観的に理解できるようになり、「時には『いい子』でなくてもいい」ということも学ぶのです。とはいえ、人は社会的動物ですから、たいていの場合は相手に認められ、好感を待たれるようにふるまっているわけで、その思いの強さは人それぞれです。
 ここで、あなたの意識を変える道を考えてみましょう。まず「いい子でいなければ」という意識の背後にある、「他人に認められたい」という気持ちを見つめ直しましょう。その気持ちを自覚しながらも、相手の評価を気にせずに、主体性と責任感を持って生きていく意志を固めるのです。中国の古典に「徳は孤ならず」(『論語』)とあります。人として正しい生き方に徹すれば、必ず理解者が現れると考えてください。他人の評価を気にして生きるのではなく「自分の人生の主役は自分だ」と考えることです。
 次に「見捨てられたらどうしよう」という意識を克服しましょう。他人に見捨てられることは、確かにつらいことです。しかし人生は味わい深いもので、思いがけず見捨てられてしまうこともあるかもしれませんが、「捨てる神あれば拾う神あり」で、試練の中でも持ちこたえていると、誰かが見守っているものです。ですから、他人に期待するのではなく、「自分は人を見捨てない」という思いを胸に、失敗を恐れず、明るく強い気持ちで生きるのです。
 考え方や気持ちを急に変えるのは難しいことですが、人生は自分への挑戦です。どうか一日一日を大切に。

 

令和元年8月号

Q:「善意の意見」が煩わしい

 家電の買い換えを検討していた際、その方面に詳しい友人に何げなく話をしたところ、あれこれと新製品の情報をくれるようになりました。結局、友人の勧めるものは自分の用途に合わず、別のものを購入したのですが、「これは性能がよくないよ」「あっちのほうがよかったのに」と何度も言われて不快な気持ちになり、最近はその友人と少し距離を置いています。善意の意見とはいえ、あまり押しつけがましいのもどうかと思うのですが。
(30代・男性)

A:友人を真の友にできるか

 友人に何げなく相談したところ、押しつけと感じるほどのアドバイスを受けて困り果て、少し距離を置いて付き合うしかないと考えられたようです。でも、何かすっきりしないところがあるように感じられます。
 私たちは「自分の思いと相手の思いが少し違っているな」と感じるような場面にしばしば出くわします。たいていは曖昧なまま流してしまうのですが、今回のように気になることもあるでしょう。あなたは友人のことを「善意の押しつけ」と受けとめておられるようですが、友人はそうは思っていないのかもしれません。自分の趣味や得意としている分野のこととなると、相手の意向や思いを気にかけることなく自分の思いをまくし立ててしまうというのは、よくあることだからです。
 あなたは友人の熱心な態度を押しつけと感じ、自分の気持ちを伝えもせずに縁を絶とうとしていることに、少し後味の悪さを感じておられるのではありませんか。あなたにも友人と同じように「この人にはなんでも語れる。でも、あの人には語れない」「あの人に失礼なことはできないが、この人には多少押しつけがましい態度でも許される」と感じる関係があるのを思い起こされるでしょう。
 人間の好悪・善悪の感じ方や考え方は、その人の個性のようなものですから、そのこと自体を頭ごなしに否定できないということが分かっていても、私たちはどうしても自分の考えを正当化する傾向があります。だからこそ、「親しき仲にも礼儀あり」という教えが大切にされてきたのでしょう。しかしあなたの友人は、自分の思いを率直に語るのが当たり前の日常生活に慣れておられるのでしょう。
 私たちは「親しい友人だから」となると、相手も自分と同じようにふるまってくれるものと期待して、イエス・ノーをはっきり言うことを躊躇してしまうところがあります。自分の意見をはっきり言って相手と対立するよりは、相手と距離を置いて、結局離別してしまうこともあるようです。
 しかし、どんな人も尊重されるべき、かけがえのない存在です。好いところもあれば嫌なところもあるお互いです。相手に自分の心を察してくれることを期待するだけでは、うまくいきません。相手を思いやる心づかいは大切にしながら、相手の善意の言動にも迷惑だと感じたら、相手を傷つけることなくその好意をお断りできるだけの表現力を身につける必要があると考えます。
 さまざまな人間関係の中で自分の心にわいてくるさまざまな感情を美しく表現する力をつけることは、私たちの生涯を豊かにします。これを機に、友情が深まることを祈っています。

 

令和元年7月号

Q:せっかくの仲間なのに

 長年所属しているボランティアサークルで、ちょっとした仲間の言動に心を痛めているという話を聞くことが多くなりました。第三者の立場で見ていると、多少のことは目をつぶったり、聞き流したりしてもいいのではないかとも思うのですが……。もちろん相性もあると思いますが、仲間同士で傷つけ合っているのを見ると、とても残念に思います。何かいいアドバイスはないでしょうか。
(60代・女性)

A:痛みを成長の機会に

  私たちの生活は、人間関係に尽きるといってもいいかもしれません。その人間関係を円滑に運ぶことは難しく、出会う人すべてと親しく交わることができる人は、きわめて稀でしょう。
 しかし、人間関係の難しさはまことに微妙で、複雑で、面倒であるからこそ、そこに「人生の喜怒哀楽」と「人間としての成長」という妙味があるともいえましょう。
 ボランティアサークルの仲間同士、同じ思いで社会貢献をめざしているはずなのに、意見の対立がエスカレートし、感情的な対立にまで発展するというのは、なんとも残念なことです。同じように、身近な家庭の夫婦・親子問題から、隣近所のお付き合い、学校や職場における諸問題、さらには国家間の平和実現への苦闘に至るまで、私たちは絶えず闘争の中にいるかに見えます。
 私たちは、自分を取り巻く世界の中で、経験や知識、さらには立場・役割の相違によって、さまざまな思いや考えを抱きつつ過ごしています。「夫婦だから、同士だから」と気を許していても、相手は自分と同じではありません。したがって、異なる意見にも耳を傾けていこうとする寛大さ、時に対立することがあっても建設的に合意形成に努めようとする理性と感性のバランス、共に社会的役割を果たそうとする責任意識が成熟していなければ、人間関係はすぐに壊れてしまいます。
 私たちは自分の考えや意見にこだわり、自分を絶対化してしまうところがありますが、そこで悲しみや苦悩・痛みを味わって、その都度反省に反省を繰り返すことで、他の人々との「共生と共感」に導かれ、生かされている存在であるということに気づいていくようです。
 その対立が軽い感情的な行き違いだけで、サークルの活動に大きな影響がないとすれば、当事者同士の問題として、立ち入らずに見守っておくことも大切でしょう。お互いが気づくまで静観し、待つというのも思いやりです。しかし、当事者同士の問題を超えた大きな対立に発展しそうな場合には、同じメンバーとして「必ず道はある」との強い信念をもって、正義と思いやりの立場から、本音で、しかしお互いの心に傷を残さないように、粘り強く解決に導く努力が必要でしょう。
「他人の振り見てわが振り直せ」ということわざがありますが、人は他人の態度・ふるまいを見て、自分の言動や感情に冷静な反省を加え、成長していくものです。人間関係に尊敬と信頼の精神が流れていないと、人は自分にとらわれてしまうようです。他人のことを自分のことのように大切に、他人の邪を破らずに誠意をもって接する、これが自他の成長と共存の原点のように思えるのです。

 

令和元年6月号

Q:父母亡き後の供養と親戚付き合い

 自分自身も高齢の域になり、親祖先を思うことが多くなりました。自分と夫の実家には、毎回のお墓参りはかなわないまでも、父母の命日やお盆のお供えを欠かしたことはありません。そうした際、本家の供養の心貧しさに悲しくなることがあります。両家ともお金に困っているわけではないので、理解してもらえるように心を砕いてきましたが、拒否され、父母亡き後は疎遠になっています。今後、どのように付き合っていけばよいでしょうか。
(70代・女性)

A:粘り強く本家を立てて

 高齢になるにつれ、自分たちのいのちの尊さや先行きについて考えることが多くなるからでしょうか、おのずと親祖先を思うことが多くなりますね。あなた方夫婦が健康で、それぞれの父母の命日やお盆に供養ができる状態にあるというのは、ありがたいことです。まずは今日までの人生すべてに感謝したいですね。
 そして父母亡き後、兄弟姉妹とうまく心が通っていないことについては、まずあなた方が「実家のきょうだいに安心と感謝とねぎらいを届ける気持ちが足りなかったのではないか」と振り返ってみてください。「兄弟常に合わず、慈悲を兄弟となす」という教えがありますが、それは「血の通ったきょうだいでも、相手への感謝と思いやりがなければ、お互いの心はバラバラになるものだ」という戒めのようです。
 精神的なゆとりがないと、他人の忠告にも快く耳を貸すことができず、結果的には「放っておいてくれ」といった否定的な気持ちになるものです。あなた方は、今まで幾度となく心を尽くして自分たちの気持ちを伝えてこられたのでしょうが、相手の心には通じていないようです。あなた方の心に「相手に対する要求心」があるとすれば、その気持ちを浄化されるように、そして相手の心に安心が生まれるように工夫したいものです。
 あなた方の供養の気持ちと、親戚付き合いを円滑にしていきたいという気持ちは、とても大切なことです。将来、あなた方自身のお墓をどのようにしていくかという問題も含めて、親や祖先が喜んでくれるように、本家のきょうだいに相談するチャンスが来ていると考えてはいかがでしょうか。
 実家との距離が遠ければ、自分たちで独自に考えることにもなるのでしょうが、その場合でも本家と相談して進めていくくらいの尊重心が大切でしょう。供養に対する意識や考え方の違いにこだわるのではなく、本家の苦労を思いやり、その立場を尊重しつつ、自分たちの墓地や今後の付き合いについても丁寧に話し合い、理解し合うように努めてください。
 昨今は葬儀や墓地など、祖先の祀り方に関しては多種多様で、私たちの思いを先取りした業者が工夫を凝らし、ニーズに合わせた方法が提示されている時代です。業者に振り回されるのではなく、お寺の住職さんとも相談し、このことを通して、きょうだいの心が親しく一つになれるように進めてください。
 お墓は先祖を祀るためにあるのですが、それ以上に、同じ先祖につながる子供たちを感謝の心でつないでくれるものでもあります。家族の「いのちのつながり」を実感させてくれる神聖な場所として共有できれば、きっと喜びの多い家族の文化ができるのではないでしょうか。どうか、きょうだい仲よく。

 

令和元年5月号

 

平成31年以前

平成31年以前

Q:リーダーについていけない

PTAの役員仲間で、突出したリーダーシップを発揮するママ友がいます。定例の行事もよりよく変えるためにどんどん意見を出し、率先して動きつつ皆を引っ張ってくれるので、尊敬する反面、ついていくのが大変なときもあります。役員は毎年入れ替わるため、その人がいないと成り立たないような形をつくってしまうと、後々難しくなると思うのですが……。「それは難しいと思う」「私にはできない」等の意見を言う必要も感じ始めていますが、和を乱すようで気が引けます。
(30代・女性)

A:楽しい対話の雰囲気を創ろう

発言力も統率力もあり尊敬できる人とは思えるものの、PTA活動の継続性を考えると少し唐突かと感じることもあり、異見を述べる必要を感じながらも、役員同士の和を乱さないようにと、一人で気をもんでおられるようです。
強いリーダーシップの持ち主は、時として自己主張が強すぎて、他人の意見を受け入れる包容力に欠け、仲間とのバランスを崩してしまうことがありますね。相手が冷静な提案をしてきたとしても、自分の考えに固執しているときは、人格までも否定されたかのように思えて、感情的になり、皆の対話ムードを壊してしまうことがあります。
しかし最近は、PTA活動にしても各種ボランティア活動にしても、「長いものには巻かれろ」といったリーダー任せの会議や組織運営は好まれなくなっているように思います。「互いの意見を尊重する」という人間関係が重んじられるようになってきたと思うのですが、どうでしょうか。
私たち島国育ちの日本人は、異文化体験を経験する機会が少なかった分、「異なる意見を持つ人との接し方」にも習熟していないようです。身内でのおしゃべりが好きなわりには、見知らぬ人の異見に触れたとたん、気弱になって身を引いたり、相手を否定したりして、冷静に自分の意見を述べて議論をし、よりよい共通の結論を創り上げていくという態度が育っていないようです。あなたもママ友も、そのような傾向があるのではありませんか。
少し固い表現になるかもしれませんが、日本人は自然災害などの際は事態を冷静に受けとめ、周囲の人たちと共に現状を改善していこうと忍耐強く努力する特性はあるのですが、こと人間関係の問題になると、そうもいかないようです。議論してくる人を嫌い、相手の意見を冷静・客観的に受けとめ語り合うことができない人が多いようです。したがって、お互いの人格を尊重して他人の意見を真摯に受けとめ、自分の意見もまた誠意をもって伝えるという、対話の原則を守ることを意識する必要がありましょう。
国際化の時代です。歴史や文化の異なる人と接するときは、習慣の違いに戸惑うことも増えるでしょう。身近な人間関係においても、一人ひとりの置かれた環境が異なれば、異なる意見が生まれてくるのは当たり前です。難しいでしょうが、相手を尊敬し、勇気を出して、失敗を恐れることなく対話を試みてください。ポイントは、相手の欠点を指摘するのではなく、建設的に対話を楽しむこと。相手の自発性を尊重しつつ、相互理解の喜びの世界を実現できるよう、粘り強く努力することです。それがお互いの成長につながると信じて。
平成31年4月号

Q:生きがいを見つけたい

10年前に離婚をしました。当時は高校生と大学生だった息子たちも、今ではそれぞれ社会人として活躍しています。私は病気をしたこともあって、週3日のパートの仕事だけで生活しており、お盆とお正月に息子たちに会うことだけが生きがいです。しかし、いつまでも息子のことばかり考えていても仕方がないと思い、最近、近所でボランティアを始めました。今後、何を目標に生きていったらよいのか、アドバイスをお願いします。
(50代・女性)

A:生きがいはあなたの足下にありそうです

苦労して育てられた二人の息子さんは独立し、親元から離れて生活されている様子です。母親としての役割も一段落したあなたは、週3回のパートの仕事で生計を立てつつ、盆と正月に帰省する息子たちを迎えるのが生きがいとのことです。一方、いつまでもそればかりではいけないと、ボランティアを始めるなど、自分の生き方を模索しておられる姿に共感を覚えます。
離れて暮らす家族一人ひとりの行く末を考えると、これでいいのかと一抹の不安を抱かれる気持ちもよく分かります。息子たちのことは、自分の能力を発揮して自由に生きたらいいと思うものの、家族で互いの思いを通わせて、共感できる関係を築けたらというのが親の願いでしょう。この「自立を願いつつも、共感し合える関係を築きたい」という気持ちは、誰もが抱える悩みといえましょう。
子供たちのことを案じる親の思いは、子供にとっては励みになることもあれば、負担に感じられることもあります。だからこそ、あなたもどのように接し、過ごしたらいいのか悩まれるのでしょう。
個人主義的な考えが蔓延している社会ですから、「そんなことで悩んでいないで、自分のことだけを考えたらいいのよ」という人もあるでしょうが、私には、あなたの悩みはとても大切なことだと思えます。簡単に答えの出せる問題ではないのですが、大切なポイントは、親子の絆という「つながりの実感」にかかわる問題は、自分一人で悩み、考えているだけでは解決しないということです。
まず、あなたが子供に負担をかけまいと自立し、自分にできる社会貢献に挑戦しつつ、前向きに過ごされている姿勢はすばらしいと思います。その姿は、きっと息子さんたちにとっても心の励みとなり、人生への応援歌になっていることでしょう。
あなたの今後の人生の目標について、具体的にアドバイスすることはできませんが、まずは健康など、日ごろ当たり前に思っている物事に感謝しつつ過ごしたいものです。そして自分の身の回りを整え、やるべき日課を果たし、子供たちを信頼してその努力に思いをはせつつ、無事を祈ること。そんな繰り返しの中で、折々に子供たちを励ましつつ、人生への強い肯定感を持って、明るく過ごされればよいのではないでしょうか。
「光陰矢の如し」で、自分の生活と仕事に夢中になっている息子さんたちは、時の流れに翻弄されていることもあるでしょうから、家族で近況を報告し合える環境をつくることを忘れないでください。不安な気持ちでおせっかいをするのではなく、息子さんたちが自分の人生設計を間違えないよう、折々の近況報告の中にねぎらいと感謝を忘れず、お互いの自立と共感の心を深めていかれることをお勧めします。
平成31年3月号

Q:周囲から聞こえる「話し声」が不快

時折、1人でカフェに出かけて読書を楽しむのですが、周囲から聞こえる話し声で不快な気分になることがあります。それは2人で会話をしているはずなのに、そのうち1人が一方的に話しているときです。相手は相づちを打っているようですが、コメントを挟もうとしてもそれを遮るようにまた話し出すので、会話が成立しているように思えません。その人特有のイントネーションも繰り返し聞かされると耳障りです。「聞き上手」だけでなく不快感を与えない話し方も大切と思うのですが。
(40代・女性)

A:不快な気持ちを、自分の成長の糧に

1人でカフェに行って読書を楽しんでおられるのに、ほかのテーブルの会話が気になるとのことです。あなたがおっしゃるように、日ごろの会話や談笑の場で、他者への配慮を欠いた一方的な言動に不快感を抱きつつ、なんとかならないものかと心を痛める場面に出くわすことがよくあります。対等であるはずの会話が一方的で、話す人の無神経さが気に障ることもあれば、強い立場の人による相手の意向を無視したふるまいに、不信感を覚えることもあるでしょう。そうしたことは、人間関係にはつきものといってもよいかもしれません。
公然とした暴力や迷惑行為を目にしたのであれば、第三者が割って入ることも可能でしょうが、親しい間柄の他人の会話にたまたま出会ったという程度では、簡単に口を挟むわけにもいきません。他人のことを気にせず、心の平静を保って見守れるようになるためには、忍耐力や平常心を身につける努力が必要になりますね。
ここで大切なことは「人は自分の態度の不適切さに気づくまでに、何度も失敗や恥ずかしい思いを経験するものだ」ということを自覚する必要があります。正しい考えや、相手に接する際の公正な態度、その場に応じた適切なふるまいは、無反省・無自覚に生活しているだけで身につくものではないからです。
人は、他人を傷つけたり傷つけられたり、快や不快を与えたり与えられたり、喜びをもらったり与えたり、痛みを与えたり与えられたりして、喜怒哀楽を味わう中で、自分のふるまいの善し悪しを反省しつつ、成長していくものです。どのようなふるまいがふさわしいかを誰からも教えられることなく育った場合、共感性のある情理円満な人柄に育つことは難しいでしょう。人間関係の中で失敗を経験したり痛みを味わったりすることによって、自分を振り返り、思いやりのある人間に成長することができるのでしょう。
あなたが今回のような場面に遭遇して、他人の無作法が気になるということは大切なことですが、これは、誰かがあなたに「こうした無礼なことをしてはならないよ」と教え導いてくれたおかげであると受けとめましょう。
他人の不快な態度が気になったとしても、相手の欠点をすぐになんとかしたいと考えるのではなく、そんな相手をも否定することなく、冷静に受けとめてゆっくりと見守りましょう。そして少しずつ、自分の心を強く美しくしていくという訓練をするよう心がけてください。きっとあなた自身にも学ぶことがあり、違った人間世界が見えてくるのではないかと考えています。
平成31年2月号

Q:「ご近所付き合い」に理解がない隣人

わが家で育てた無農薬の野菜をおすそ分けしようと思い、近所のお宅を訪ねたら「お返しはできませんので……」と言われました。古くからの付き合いではありませんが、同世代の女性で、特に生活に困っている様子もない方です。喜んでいただけたらと思っただけで、見返りを求めたわけでもないのに、やるせない気持ちになります。昔はちょっとした用事で訪ねても「お茶を飲んで行って」と言われるようなご近所付き合いがあった地域なのに、心の貧しさを感じてしまいます。
(70代・女性)

A:好意にも、心の美しさと粘り強さをもって

近所にお住まいの女性に野菜のおすそ分けをしようとしたところ、冷たく断られたようです。あなたとしては同世代でもあり、喜んでもらえるだろうという好意で伺われたのに、がっかりされた様子です。
最近では、人間関係が親密であった地域にも、都市型の「他人は他人、自分とは無関係」といった意識が広がり、他人に対する警戒心が強くなってきているようです。しかし、あなたは近所の人々と親しい関係を築きたいと考えられてのことですから、ここは相手の反応が期待に反したとはいえ、短慮に走ることなく、冷静に受けとめられるのが賢明でしょう。不完全な人間同士のこと、相手の方も後味の悪さを感じておられるかもしれません。決してこの経験から、あなた自身と地域社会の道徳性を下げることのないように心がけたいものです。
同一民族、同一文化の人間関係に慣れている日本人は、無意識的にお互いの親密さに甘え、相手の善意を期待するところがあるようです。特に家庭や近隣など、日常的に接する人たちとの間では、相手を無条件に信頼して、「こうあるものだ」「こうあるべきだ」という思い込みが多いようです。無条件に相手を受け入れるという態度は大切ですが、その期待が裏切られたとき、相手を否定したり、困った人だと考えたりしてしまうとすれば、それは一方的な「善意と悪意の押し付け」になることをわきまえておきたいものです。
現代社会では、一人ひとりの生き方や考え方、嗜好なども多様化し、個人差に配慮することが大切になっていますから、親しい人間関係を築き上げるにも、それなりの相手への配慮や粘り強さが必要であるといえそうです。他人を本当に信頼し、尊重するということは、当の相手との親密感を大切にしながらも、相手の立場や考えをどの程度理解しているかが問われます。親しくお付き合いするうえでは、相手のよい面だけを受け入れるのではなく、自分の意に添わない相手の言動に対しても、温かく対応できる粘り強さが必要であるということです。
誰とでも親しくなれるに越したことはないのですが、私たちは日ごろの挨拶一つからでも、すれ違ったときの態度やしぐさ、言葉がけの後味に、相手との信頼関係の深さや浅さを感じ取っているものです。あなた自身がお近づきになりたいと考えている相手であるとすれば、相手の反応が自分の予期に反する場合であったとしても、相手の立場を思いやり、自分を冷静に振り返りつつ、相手の態度を温かく受け入れるだけの包容力をもって臨みたいものです。
ここは少し時間をかけてでも、相手との心のつながりが味わえるように、粘り強く努力してくださることを希望します。
平成31年1月号

Q:職場の人間関係のストレスをためる息子

息子が地元の支社から東京本社に赴任して、1年がたちました。赴任した当初から、5歳上の上司とうまく付き合えていないような話を聞くことがありました。仕事のことは、親にはなかなか話さないのですが、最近はずいぶんストレスをためている様子で、心配しています。何かよいアドバイスはないでしょうか。
(60代・女性)

A:強い思いで祈り、見守ろう

ご子息が地元の支社から東京の本社に赴任して、人間関係に悩み、ストレスを抱えておられるようです。都会で一人ぼっちの息子さんに何かしてやれることはないか、なんとか励ましてやりたいと思案される気持ちが伝わってきます。
離れて暮らす子供がなんの問題もなく、元気でいてくれたらと願う親の気持ちは尊いことですが、親心とはいえ、親が心配しすぎることのないようにしたいものです。親の自信のなさが子供にうつり、弱気にさせてしまうことも、よくあるからです。ここは「息子さんの力を信じ、過度な心配をしない」ということを親心の中心に置き、息子さんの現状に、親としてどのような覚悟で対応する必要があるかを考えてみることにしましょう。
自立しようとする青年は、成長するにつれて親元から離れ、社会という大海原に一人で小船を漕ぎ出していきます。親の保護を頼りにできず、孤独に直面しながらも、社会の荒波の中で自分の能力をフルに発揮し、生存競争に立ち向かわなければならないのです。ご子息の理想が高ければ高いほど、そこで受ける試練の波は高くなることを覚悟しなければなりません。
あなたはご子息に、どのような人生を歩んでほしいと願って育ててこられたでしょうか。平凡でもいい、大事に遭うことなく結婚して、幸せな家庭を築いてくれればと思ってこられたことでしょう。しかし、それを実現するだけでも容易なことではありません。会社でも、実績を積んで責任を果たし、生きがいを感じられるようになるには、相応の試練にも直面するでしょう。その試練を、仲間や先輩、上司の力を借りつつ乗り越えていく体験を繰り返すうちに、人間的にも成長していくのです。
ご子息は今、とても大切な試練に直面していると考えてみたいものです。大海原で大小さまざまな船に乗る人々と協力し、限りない自然に挑みながら命を守り、家庭をつくり、社会に貢献しようと努めていると想像すれば、それを応援する親の側にもより強い心がわいてくるのではありませんか。
あなたも60代を迎えられ、数々の人生の荒波を乗り越え、人生の喜びや悲しみ、苦しみもかみしめてこられたことでしょう。ここはご子息に対しても、少々の試練や人間関係のトラブルはどこに行ってもあるものとわきまえて、相手を尊重しつつ上司の懐に飛び込み、自分にはない上司の美点に学ぶという謙虚さを失わずに持ちこたえることができるよう、祈りつつ優しく励ましてやる親の覚悟が大切でしょう。
時にはご子息に様子を聴いてやってください。甘やかしではない「親の真実の愛」は、子供にとって勇気のもとになるものです。
平成30年12月号

Q:孫が変わってくれることを信じたい

中学1年生の孫(男子)は、納得できないことがあると友だちに暴言を吐くなどして、学校からもたびたび注意を受けているようです。母親は心を痛めており、なぜそうした行動に走るのかを親子で話し合ったり、「相手を許すことも大切だよ」等、言い聞かせたりしているらしいのですが……。多感な時期のことではありますが、本人はどう受けとめているのでしょうか。早く思いやりの心の大切さに気づき、変わってくれることを信じたいのですが……。
(70代・女性)

A:お孫さんの心に寄り添って

中学1年生のお孫さんの乱暴なふるまいに、学校からもたびたび注意を受け、対応に悩んでおられるようです。穏やかで思いやりのある子供に成長してくれることを願っておられるあなたの気持ちがよく伝わってきます。
中学生といえば、お孫さんに限らず、自我の芽生えとともに自己主張がはっきりしてきて、相手の意見を冷静に受けとめることができない場面もよく見られる時期です。先生に対する暴言であれば少し深刻ですが、子供は友だちと一緒に、喜びや怒り、哀しみや楽しみを何度も何度も体験する中で、他人の思いに共感できる優しさを身につけていくものだと受けとめましょう。
共感力は、幼いころに置かれた環境に大きく影響されるといわれます。そのように考えますと、子供の態度や発言に行き過ぎがあっても、その子だけを責めるのではなく、家族をはじめとする周囲の大人たちとの関係の中で育まれたものと受けとめ、まずは反省しましょう。子供の態度を見て、親が子供に対する自分の言動を振り返ることから始めるのです。親が自分自身や子供の暴言を見過ごしてはいないでしょうか。「してはいけないこと」「しなくてはならないこと」は、身をもって学び合っていきましょう。
一方、人間はいくつになっても「自己中心性」から抜けきれないものです。お互いの反省は大切にしつつ、「人間は体や心の痛みを体験することなくして、自分の態度を改めることはできないものだ」ということを、身近に味わっていきましょう。
そして、ここは少し時間をかけても、家族みんなで粘り強く見守って、本人が自分の言動で相手を傷つけていること、そして自分自身をも傷つけていることに気づくのを待つことにしましょう。
善悪の判断にまだあいまいなところがあり、理性と感情のコントロールもうまくできない年ごろのお孫さんです。本人のそのときの気持ちや考えを無視して、頭ごなしに理屈で説得しようとすれば、お孫さんの心にあなたの願いは伝わらず、かえって自分の存在が否定されていると感じ、人間不信を深めてしまうことにもなりかねません。
昔から「他人の振り見てわが振り直せ」といわれます。これを機にお孫さんと心から語り合えるように、温かく正しさと柔和さをもって寄り添ってください。親や祖父母が子にできることは、子供を信じ、子供の成長を祈りつつ、共に悩みに付き合うことでしょう。多少時間がかかっても、子供は親の心に導かれて正しく育っていくものと信じます。
平成30年11月号

Q:意見が言えない職場に耐えられない

現在の上司(40歳・男性)は、若くして昇進しただけあって仕事はできるのですが、「自分のやっていることに間違いはない」という思いが強いのか、私たちスタッフの意見を一切聞き入れてくれません。よかれと思って言おうとしたことにも「言い訳はいいから」などと返されてしまうので、職場の雰囲気は最悪です。私もこの年になって「どんな仕事をするか」より「どんな人のもとで働くか」のほうが大きいということを思い知りました。最近では転職も考えています。
(40代・女性)

A:あなたの人間力を磨くチャンスに

年若くして昇進されただけあって有能な上司であるようですが、スタッフの意見を一切聞かず、よかれと思っての提案もむげに否定されてしまうとのこと。そのような職場には共に働く喜びが感じられず、むなしく思われ、果ては転職も考えられているようです。
どうにもならないと思えば転職もありでしょうが、職場における問題は、仕事上の問題であれ人間関係の問題であれ、お互いに不完全な人間同士の共同作業である限り、どこに行ってもなくならないものです。「自分は正しい、相手は分かっていない」という自己正当化が当たり前の職場には、他人を攻撃・非難する雰囲気が充満してしまいます。
今のあなたは、悩んだり抵抗したりする中で「上司が変わればいいのに」と考えておられるようですが、あなた自身も上司と同じ自己正当化に陥ってはいないでしょうか。「上司だけが悪い」という発想からは、なんの生産的な解決策も得られないと考えるのです。
どのような人も、今日までの生育環境の中で、無意識的にその人特有の性格や性癖、正義感や人間観を身につけています。それが社会生活の中で「自分と違う人間」に出会うことによって、苦い経験もしながら、正義と思いやりのバランスが取れてくるのです。そこから、相手を尊重し、自分と相手の立場や責任、互いの距離感などもわきまえたふるまいができるようになるのではないでしょうか。
40代は、まさに人生上の修行と鍛錬の真っ只中といえましょう。上司も未完成なら、あなたも未完成。したがって、ここであなたがどのような考え方で歩むのかが、あなた自身の今後を左右することになると考えます。私は「人間の喜びは、つながりや絆の中にある」と考えています。周囲の人たちとのつながりをどのようなものと考えるかが、あなたの態度や心構えが前向きになるか否かを左右すると考えるのです。
職場は自分を磨く道場です。「共に楽しく仕事をする場」と考えて、上司を毛嫌いするのではなく、相手のよいところに学び、尊敬しつつ、お互いの本音が語り合える職場をつくりたいものです。職場の雰囲気は一人で変えることはできませんが、少し時間をかけても、まずは毎日の挨拶や返事のしかたなどから見直して、上司を立てつつ、周囲の仲間と心を合わせて、尊敬と信頼の雰囲気をつくる取り組みを始めてみてください。きっと固い上司の心も、いつか穏やかに開かれてくるでしょう。
無意識にわいてくる日ごろの自分の感情を見つめ、対決する心ではなく、明るい信頼の心に向くように努めてください。敵対するような気持ちでいる限り、お互いの喜びも人間的な成長も得られないのですから。
平成30年10月号

Q:車の運転をやめるべきか

夫婦そろって80代になりました。子供は皆、仕事の都合で遠方にいますが、私たちは住み慣れた地元にとどまり、おかげさまで元気に過ごしています。ところが最近、子供たちから「運転免許を返納してほしい」と、やかましく言われるようになりました。私は長年無事故でやってきて、更新時の検査でも問題ないと言われていますし、車がなければ今の生活も成り立ちません。どうしたら分かってもらえるでしょうか。
(80代・男性)

A:不便さよりも家族の和を考えて

運転免許更新時の検査では問題はなく、生活上の必要もあって、車の運転はやめたくないと考えておられるようです。しかし子供たちは、離れて生活しているだけに心配なのでしょう。「免許を返納してほしい」とやかましく、どのようにすれば納得し合えるのかと悩んでおられるようです。
あなたにとっては車なしに生活することは難しいようですが、事故が起きてしまってからでは取り返しがつきません。どのように過ごすことが、自分にとっても子供たちとの関係においても平和であるのか、ここは自分の一方的な考えにとらわれるのではなく、少し冷静に、心に余裕を持って考えてみたいものです。
子供さんにしてみれば、最近多発している高齢者の自動車事故の報道を見聞きするたびに、心配になり、「そろそろ親父も運転をやめてくれたら」と考えるのが自然です。事故は起こしても巻き込まれても、当事者はもとより、家族や社会に多大な迷惑や不幸を生んでしまうものです。「少々の不便さはあっても、公共の交通機関やタクシーなどを利用してほしい」というのが本音でしょう。
しかしあなたは、「自分の責任は自分で取るよ」と思っておられるようですから、子供たちの言い分にすぐ従う気持ちにはなれないのでしょう。確かに車が使えなくなれば、単に不便というだけでなく、行動範囲が狭まったり時間に制約ができたりして、自由と楽しみが失われてしまいます。そうしたあなたの心情を「子供たちは十分に理解してくれていない」と思えるのかもしれません。
個人差がありますから一概にはいえないのですが、高齢になると、自分自身で体力の衰えを感じることも多いものです。視力や聴力、反応の機敏さなども衰えて、世の中のスピードについていけず、ふだんの生活でも不便を感じられることも多くなるでしょう。「より快適に、自分らしい生活を続けたい」という思いと、自分の身の回りに不安や危険が迫っているという現実に、どのように折り合いをつけるか。車の運転の問題は、その典型ともいえましょう。
『論語』に「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」(為政篇)という教訓があります。「自分がその都度やりたいと思うことをなしても、周囲との対立や衝突が起こらないようにふるまうことができる」というのが、孔子の晩年の境地です。私たちも高齢になったら少し自分の思いを抑えて子供たちの総意を尊重し、「つながり」を大切に、次の世代と共に感謝し育ち合えることを喜びとして生きていきたいものです。
車のある便利な生活を選ぶか、全体の安心につながる和を選ぶかはお任せします。自由と危険は隣り合わせ。あなたの賢明な判断を祈ります。
平成30年9月号

Q:好きなように生きる人生への罪悪感

結婚して5年の専業主婦です。夫婦2人の生活は自由になる時間もあって幸せです。仕事を持たない分、少しでも社会の役に立ちたいという思いはあるものの、いつも胸には罪悪感がわだかまっています。好きなように生きてきて、自分の人生に満足していますが、母には自分勝手だと言われてきました。姑の介護を20年続けた母に比べ、私は親のそばで老いに寄り添うこともせず、自分はどうしてこんなに冷たいのだろうと思うこともあります。この罪悪感とどう向き合えばよいでしょうか。
(40代・女性)

A:低い心で母親に感謝の言葉を

これまでの人生を思うままに生きることができ、幸せな結婚もして、今はゆとりの時間を使って社会の役に立つことをしたいと考え始めておられるようです。しかし、お母さんに「おまえは自分勝手だよ」と言われてきたことで、「自分は冷たい人間なんだ」という思いにさいなまれることもあるとのこと。新しい自分に挑戦したい気持ちはあるものの、まずはこの罪悪感にも似た気持ちを整理したいと思っておられるのですね。
戦後の貧しい時代を経験されたお母さんにとっては、親や身近な人たちの世話をするのは当たり前のことで、その後の世相の変化に戸惑いながらも、自分の子供はしっかり教育したいと思ってこられたのではないでしょうか。そのお母さんからすると、あなた方の世代は豊かさの中で自由奔放に過ごしているように見え、「そんなに自分勝手では、あなたの人生も社会もだめになる」という思いから、あえて口やかましく言ってこられたのでしょう。自由や権利の主張に慣れた若い世代では、あなたのように母親の言葉を素直に受けとめ、罪悪感まで抱くような人は少ないかもしれません。
今、あなたが自分中心に生きてきたことに後悔にも似た気持ちを抱いているのは、お母さんの思いが正しくあなたの心に伝わっていたからでしょう。母親を恨みに思うのではなく、冷静に感謝して受けとめてよいのではないかと思います。
人間の発達課題を考えても、30代までは自己確立と結婚、そして家庭づくりに最大の努力を傾けるのが一般的です。ようやく安定する40代になって、家族や社会にお返しをという温かい気持ちを抱けたら、それが理想だと考えます。その意味であなたが今、親の苦労を偲んで感謝し、今までのわがままを素直に反省しつつ「お母さん、私は今、こんな気持ちで生活しようと考えているのです」と、社会の役に立ちたいという思いを伝えたら、きっと心から喜んでいただけるものと思われます。
罪悪感を抱くほどのつらい思いというと、少し病的なようにも思えて心配になりますが、母親の言葉によって自分の心を傷つけ過ぎるのではなく、その言葉によって自分の未熟さに気づき、たくさんの人のおかげで今日の幸せがあることを感じとるために不可欠な痛みであると受けとめたいものです。この痛みの体験を、これからの人生を謙虚に感謝の気持ちで、前向きに力強く生きていくための原点として受けとめていただきたいのです。
後悔ばかりで躊躇していては、真の反省にはなりません。どうかご主人ともこのことについてよく語り合い、理解し合ってください。「自分の時間を有効に使って、少しでも社会に貢献したい」という思いほど、尊く喜びの多いことはないと確信しています。
平成30年8月号

Q:親の反対で逃した就職

学生時代、私には就きたいと思っていた職業がありました。ところが私を公務員にしたかった両親が強く反対したため、思うように就職活動もできず、結果は全滅。やむなく非正規雇用で働くという選択をしました。親の態度が軟化するまでと思っていたのですが、そのときには希望の職に就ける年齢ではなくなっていました。人生を棒に振った思いで、今となっては親を恨むばかりです。
(30代・男性)

A:弱気にならず、やる気を発揮して

学生時代に就きたいと思っていた職業を両親の反対であきらめたことから、希望の職に就ける年齢を超えた今、親を恨みたい気持ちになっておられるようです。
親としては、当時のあなたの姿を見て、堅実かつ有意な公務員にと考えられたのでしょう。その勧めに抗しきれず、別の道を歩みながら、いつかは自分の思いを実現しようと歩んでこられたあなたのつらさも理解できます。両親も当時は反対したものの、人生を肩代わりできるわけではなく、あなたの決断を見守り、案じつつ今日に至っておられることでしょう。あなたが過去を悔い、親を責める気持ちも分かりますが、その悔しい思いをバネにして、冷静に再出発されることをお勧めします。
今のあなたは、この十年近い年月を「まったく意味のない人生を歩まされた」というマイナスの気持ちで受けとめておられるようですが、このような考えにとらわれている限り「自分の人生」を歩むことはできないと自覚する必要があります。今の悩みは、過去を正しく受けとめ、自分を取り戻すために不可欠な苦悩であると受けとめる必要があるでしょう。
誰のせいでもなく、自分の責任において人生を切り拓くための大切な時であると自覚できれば、この間に体験した数々の試練や苦悩にも、新しい意味を見いだせることでしょう。親に抗しきれなかったのもあなたですし、親に従って待ってみようと決めたのもあなたです。どうして親が反対したのかを振り返る時間もあったでしょうし、不本意な仕事をしながらも有意義な体験をし、学んだこともたくさんあったのではありませんか。
今では、社会の中で自分をよりよく生かす道を考えるだけの視野も広がっていると思われます。あなたがこの不遇に思える体験を賢く冷静に受けとめて、強い心で持ちこたえ、人生に再挑戦することが、親の安心にも自己実現にもつながると確信しています。
人生が自分の思うとおりにいくものでなくてはならないと考えていると、人は反省し成熟し成長する機会を失うことになります。人生の醍醐味は、これからも襲ってくるであろうさまざまな試練に対して、自己の責任において挑戦し克服しながら、家庭や社会に貢献しつつ、命のリレーランナーとして誠実に生きていく、その中で味わうものであると考えるからです。
あなたは今、少し弱気になっておられるようですが、今こそやる気を発揮して、自分を鍛え、強く生き抜くチャンスと考えてはどうですか。人生百年時代の到来です。親も不完全、あなたも不完全、共に足りないところに気づいたところから、勇気と元気と根気を持って、新しい自分、新しい人生に挑戦してくださることを願っています。
平成30年7月号

Q:先の見えない介護生活に不安

同居の義母は今年で100歳。実家の両親も90代になり、きょうだいは皆、仕事の都合で遠くにいるため、私たち夫婦で両家の親の生活を見守っています。義母は身の回りの手助けは必要ですが、頑張ってくれており、実父は畑で採れた物を持ってきてくれたり、施設に入った実母も多少のアドバイスをくれたりします。夫はボランティアに精を出し、私も健康でありがたいのですが、この状態がいつまで続くのかと思うと不安になることがあります。どうかよきアドバイスをお願いします。
(60代・女性)

A:家族の絆を、新たに創ろう

同居の義母も実家のご両親も高齢ながら、それぞれ自分にできることを頑張ってやってくれている様子です。しかし、ほかのきょうだいが遠方にいることもあり、その生活を身近で見守るあなたは先行きの不安を感じておられるようです。
人生百年という超高齢社会に突入しつつある今日の日本では、あなた方のように、自分自身が六十代になってから親の最晩年の世話をし、見守るのが普通の時代になってきました。あなたの家庭は幸いにも、義母とご両親それぞれが不自由さを抱えながらも前向きに生活をされているようですが、この状態がいつまで続くのだろうとと、一瞬、不安に駆られるのがたいていです。
あなたも心配でしょうが、高齢の親たちも、自分の心身の健康から生活上の諸問題に至るまで、いつ何が起こるか分からないという状況におられます。そのような中で一番大切なことは、一人ひとりが不安や不信に陥り孤立するのではなく、家族や第三者の意見や援助を素直に受け入れる「心の柔軟さ」を保つことだと考えます。
あなたが抱えている「この先への不安」は、親から子へ、子から孫へと世代が続いていく限り、昔も今もこれからも、誰しもが体験し備えるべき課題です。家族の中の誰かがこの不安から目をそらそうとすれば、ほかの誰かがその穴埋めをしなければなりません。
したがって、親の身近におられるあなたには、家族の誰がどのような援助を必要としているのかをよく観察し、介護支援の利用なども含めて親子・きょうだいの間で語り合い、情報を共有していく必要があります。あなた一人でなんとかしようとするのではなく、遠きも近きも、家族みんなで理解し合って「こうしよう、ああしよう」と語り合い、事が起こったときにはすぐに相談できるよう、信頼と安心のある関係を築きたいものです。一人でやっていると不安になりますが、家族の理解と協力があると分かっていれば、「今の自分にできることを、誠心誠意努めよう」と考えることができるでしょう。
「明日のことを思い煩うことなかれ」。これは先の見えない人生の課題を乗り越えるときに「今できる最善の努力を惜しまず、後のことを案じない」と教えた先人の知恵です。
あなたには今、身近な相談者・協力者がいるでしょうか。もう少しご主人にも思いを伝えて、協力を願いましょう。共に受けとめると、苦労は半分に、味わう喜びは二倍にも三倍にもなるものです。ご両親を中心に、家族が心を一つにして、感謝と奉仕と喜びの種を育てるチャンスにしてください。
平成30年6月号

Q:子供同士のトラブルから仲違いした友人

小学校高学年の娘が、友人とのトラブルで悩んでいる時期がありました。相手の子の母親とは親しかったため、親子同席で話し合いましたが、相手の子が非を認めず、思い余った私は担任に相談して「別のクラスにしてほしい」と言ってしまいました。翌年はクラスが分かれ、娘同士の仲は改善してきたものの、今度は相手の母親が私に冷たい態度を取るようになりました。きっと私が担任に相談したことを知って傷ついたのだと思います。軽率な言動で大切なママ友を失い、途方に暮れています。
(40代・女性)

A:気づきを大切に、責めは謙虚に受けよう

子供同士のトラブルに、親しい関係にあった母親同士で協力して円満解決を図ろうとしたものの、相手の娘さんの態度に不満が残り、担任の先生に相談して「別のクラスに」という希望を通してしまったようです。時間の経過とともに、子供たちは仲よく付き合っているようですが、相手のお母さんの冷たい態度に、あなたが一方的に学校へ訴えたことに原因があるのではと悩んでおられるようです。
人間関係のトラブルというものは、あまり親しくする必要のない関係の場合は「気にしないでおこう」と考えたりして、心の平静を保ちやすいところがあります。しかし、それが親しくしておきたい身近な間柄となると、自分の犯した過ちへの後悔は意識に残りやすいものです。友人への配慮を欠き、無断で学校の先生に訴えてしまったという後味の悪さが、ある程度の時間が経過してからわいてきたのは、あなたの良心の自然な働きでしょう。友人があなたを遠ざける原因はほかにあるのかもしれませんが、ここはあなたのその気づきに焦点を当てて考えてみることにしましょう。
すでに自分の非に気づかれているあなたには余計な言葉かもしれませんが、あなたには少し忍耐力と寛容さが足りなかったようです。このことを素直に受けとめ、相手の心が落ち着くまで、少しつらくとも、持ちこたえる時間を味わう必要があると考えます。しかし、この失敗によって、もう友人の信頼は回復できないと決めつけるのは早計でしょう。冷静に、しかも真摯に、相手との関係改善を図る気持ちはなくさないようにしたいものです。
そして、自分の過ちに気づかれたときが最良のチャンスです。人間不信の感情は、時がたてばたつほど増大拡散することが多いようですから、できるだけ早めに、誠意をもって反省の気持ちを伝えることができるとよいですね。相手に許してもらえるかどうかを案ずるのではなく、こちらの非を丁寧に詫びるという態度で、「いつか必ず再び心を通わせ、親しい友だちに戻りたい」という気持ちで過ごすのです。信頼できる第三者に力を借りるのもよいでしょうが、自分の中にあるかたくなな心に気づかせてくれた事件として謙虚に反省し、柔軟な心で生活していきたいものです。
私たちの日常は、このような一時の小さな短慮や過失、それが拡大した結果としての誹謗中傷も錯綜する中で、さまざまに喜怒哀楽を味わうものです。時として自分の非に気づくこともありますが、一つ一つを解決するには相応の勇気が必要です。「過ちを改むるに吝かならず」という『書経』の言葉が心に響きます。どうか自分の心を美しくする勇気を持って、相手との温かいつながりを実現する努力をされることを祈っています。
平成30年5月号

Q:家族を避ける引きこもりの息子

38歳になる二男は高校を中退後、自力で大学入学資格検定に合格し、専門学校に入学しました。卒業後は一流企業に就職して家を出ましたが、地元へは何年も帰らず、近年は電話もつながらない状態になっていました。先日、アパートの大家さんから家賃滞納の連絡を受けたことがきっかけで、人間関係の悩みから会社を辞めていたことが判明しました。以来、ずっと部屋に引きこもっているようで、親やきょうだいが会おうと言っても応じてくれません。どのように関わったらよいでしょうか。
(70代・女性)

A:強い決意でご子息の心に風穴を

アパートの大家さんからの連絡で知ったご子息の現状。会社を辞めて家賃滞納の状態で自室に引きこもり、親やきょうだいとも会おうとしないことに、あなたは困惑されているようです。
高校中退を経験したご子息は、苦労の中で大学入学資格検定を経て専門学校を卒業し、一流企業に就職されたということですから、ある程度の自立の道が見えていただけに、親としては安堵しておられたことでしょう。ところが、しばらく連絡を取ることを怠っている間に、職場での人間関係に悩み、孤立して、親にも相談できないまま退職するに至ったようです。
高校中退後の苦労には、粘り強い努力の末に就職にまでこぎつけられたわけですから、家族の愛情に支えられ、心を奮い立たせておられたことがうかがえます。就職して家を離れた後も、精いっぱいの努力をされていたことでしょう。しかし、直接的な成果を期待され、時には能力以上のことも要求される厳しい企業環境の中、一人孤立していたとすれば、耐えられないほどの重圧やストレスを感じておられたであろうことは想像に難くありません。
連絡が取れていなかった期間がどれほどであったかは分かりませんが、親やきょうだいにも弱音を吐くことができず孤立して、自暴自棄になりつつもなん
とか生き続けておられるご子息の心の内を想像してみてください。孤独ほど、人の心をむしばむものはないというのが私の実感です。ここはあなたの親心に磨きをかけ、ご子息の苦悩を受けとめるだけの心配りと努力を怠ってきたことへの反省を込めて、心の傷を受けとめようとする強い愛情と覚悟を新たにしていただきたいと考えます。
失礼な言い方になるかもしれませんが、彼を救い出せるのはあなた以外にはありません。誰かになんとかしてもらいたいとか、「彼が誰とも会おうとしないから、どうにもならない」といった傍観者的な態度では、ご子息の心の壁は破れないことを覚悟してください。人間という存在は、親の無条件の愛を感じ、その愛を受けとめる体験を蓄積していくことで、困難に持ちこたえ、夢を抱いて生きる力をわき立たせるものです。正しい愛情を受けることなしに、人は自立できないのです。
あなた方に、ご子息の心の壁に風穴を開ける覚悟ができたら、その方法について専門家に相談するのもよいでしょう。しかし容易に心が開けるものでないことは覚悟してください。何度も拒絶されるかもしれません。それでも忍耐強く、踏まれても蹴られても、なんとかしてご子息を抱き寄せてみせるという、熱い、しかし冷静な思いで接し続けてください。その愛情が、彼の氷のような心を溶かしていくことを祈っています。
平成30年4月号

Q:義弟夫婦と義父母の仲を取り持つには

夫の弟が結婚しましたが、義父母はお嫁さんが気に入らないようで、いつも文句を言っています。理由は、お嫁さんがしょっちゅう実家を頼るため、近い将来、息子が家庭で疎外感を感じるようになるのではないかということです。私たち夫婦から見ると、義弟夫婦はとても仲がよく、義父母が心配するようなことにはならないのではないかと思うのですが……。義父母が心配のあまり元気がない姿を見ると、私も苦しいです。義父母と義弟夫婦の間で、どのように立ち回ったらよいでしょうか。(30代・女性)

A:両親を信じ、朗らかに

ご主人のご両親が、何かと実家を頼りにする弟さんのお嫁さんに不満を抱いておられるとのこと。あなたは一緒に住まわれているのでしょうか。ご両親の思いを聞かされ、時には気に病んでおられる姿に、どのように間に入って仲よくしてもらったらいいかと悩んでおられるようです。
親心とはありがたいものですが、時として、子供に自分の思いを押し付けてしまうことがあるようです。「理想の家族関係」を築こうとする親の思いは尊いものですが、相手の家庭の事情を十分に考えることなく「親密な関係でいたい」という思いばかりを募らせると、独りよがりの悪循環に陥りかねません。行き過ぎた期待が相手を悪者にしたり、仲よく過ごしている相手方の関係に疑念を抱かせたりすることもあるのです。
ご両親は、良好な親子関係を築いているあなた方と同じように、弟さん夫婦とも親しい間柄でいて、なんでも相談してもらい、協力してあげたいと思っておられるのでしょう。しかし結婚したばかりで、しかも夫の両親と同居しているわけではないお嫁さんにとっては、ちょっとした問題であれば実母のほうが相談しやすいでしょうし、ややこしい問題であればあるほど、嫁ぎ先の両親には力を借りづらいものでしょう。
ご両親は、そんなお嫁さんの様子を「自分たちの親心を察してくれない」と不平に思い、疑心暗鬼に陥っておられるのではないでしょうか。もともとは親の愛情から出ていることでも、相手を思いやることを忘れると「善意の押し付け」になってしまう危険性を感じます。
間に入るあなたは、まず弟さんのお嫁さんと親交を深め、ご両親に対しては説得しようとするのではなく、実の親に対するような親しい気持ちで、自分が結婚したばかりのころのことなども語り合ってみてはいかがでしょう。ご主人のきょうだいが男性ばかりであるとすれば、お母さんは息子の結婚によって娘を授かったことになりますから、そのお嫁さんと親しくしたいという思いは格別なものかもしれません。あなたはご両親の真心を信じ、また、兄弟姉妹が仲よくすることが親の安心につながることを心して、「自分がなんとかしなくては」と焦るのではなく、穏やかに聞き役に徹することを心がけてください。
あなたの心がどちらかに揺れることがあるかもしれません。しかし、そこは中正で偏らないように。あなたが「困ったな」と思っているときは、あなた自身もこの問題に巻き込まれているという危険信号です。ご主人とは常に心を一つに、親の心に和らぎが戻ることを願いつつ、自分の心を乱すことなく見守っていれば、時間はかかっても解決していくでしょう。
要は、あなたが常に明朗清新の気分で過ごされることが基本です。
平成30年3月号

Q:年の離れた相手との再婚

6年前に妻を病気で亡くしました。その際、部下の女性が近隣に住んでいたこともあり、家の用事をいろいろと手伝ってくれました。昨年、会社を定年退職し、別会社で働き始めてからも、彼女は食事をつくってくれたり掃除をしてくれたりと、世話をしてくれています。友人は「彼女は結婚を意識しているから、再婚するべきだ」と言いますが、迷っています。一人息子はすでに独立し、所帯を持っていますが、その息子と彼女は同世代です。どうすることが最善でしょうか。(60代・男性)

A:心の整理と覚悟を第一に

奥様が亡くなられて6年、部下の女性が最初は近くに住む上司を助けたいという気持ちからだったのでしょうか、あなたの退職後も継続して家事を手伝ってくれているとのこと。ご友人には結婚を勧められたものの、あなたは年齢の差を気にして躊躇しておられるようです。
彼女はどのような気持ちで、どのような時間帯に訪問されているのか、家庭はどのようになっているのかは分かりませんが、6年間もそのような関係が継続しているとすれば、結婚のことを出すまでもなく、自分の気持ちをしっかりと整理して、慎重に対応を考える時であると感じます。
近年の結婚事情は、本人同士の都合が最優先、他人の目など気にしないという風潮のようです。しかし、これでは社会の中で孤立化が進み、家庭崩壊に歯止めがかからなくなるという悪循環が懸念されます。あなたの場合も、問題をこのまま放置すれば、お互いの人格に傷がつくばかりでなく、家族や隣近所にも不信感を抱かせることになるのではないでしょうか。
近所に住まわれていることもあり、軽い気持ちで続いているということのようですが、大人の異性間でのお手伝いということを考えれば、結婚をするかしないかは最後の重大な決断として、一日も早く、彼女に対して責任ある態度を示す必要があると考えます。
おそらく、当初はなんらかの約束事があって始まったものと思われますが、期間の長さや食事・掃除など家人と同様の奉仕をされる間柄ということを考えても、今後の関係性について明確にしておくことが、相手や家族に対しても、社会的な責任を全うするうえでも、必要不可欠であると言えましょう。
もちろん、お互いに好意を抱くことなしにここまで続くことはないでしょうから、先の奥様への思いを大切にしながらも結婚の話が出てくるのは、不思議ではないでしょう。お互いの家庭の事情、経済状況、健康状態などについては考えることもあるでしょうが、ここは率直に語り合い、お互いの人生が豊かになるという方向であれば、年齢の差を越えて真剣に考えてもよいのではないかと考えます。
ご子息夫婦も今の間柄を見守ってきているようですから、どのような反応が返ってくるか想像に難くはありませんが、要はあなた自身の心の整理と覚悟が第一、そのうえで、彼女自身と家族の意思を尊重して決断されればいいのではないでしょうか。結婚に踏み切るには今しばらく時間が必要であるというのであれば、そのことを考慮し、結婚のことは考えられないという結論に達するのであれば、早々に間柄に決着をつけるのが良識というものです。そこに未練を残すことがあってはならないと考えます。
平成30年2月号

Q:ボランティアでの失敗

25年以上、ボランティアを続けています。あるとき、皆の前で私の文章の間違いを厳しく指摘され、とても悲しい気持ちになりました。その文章はパソコンが使えない私のために、息子がプリントにしてくれたものでした。私は幼いころ、戦後の混乱期で十分な教育を受けられなかったので、学力がないことを自覚しています。そんな中で、唯一続けてきたのがボランティアでした。でも、こんな思いをしてまで続けることもないかと思い、迷っています。どのように考えたらよいでしょうか。(70代・女性)

A:もう少し冷静に、明るく受けとめて

皆の前で厳しい指摘を受け、相当に落ち込まれているようです。間違いを指摘した相手がどのような方かは存じませんが、よほど重大なミスと感じられたのでしょうか。
あなたも軽く受け流すことができればよかったのでしょうが、自分でも気にしていることに関わる内容なだけに、いたく傷つき、理不尽だという感情だけが残っているようです。相手に対する不快な気持ちから、こんな思いをしてまでボランティアを続けることもないのではと悩んでおられるのですね。しかし私には、ここはボランティアの経験を通して培ってこられた、あなたの人間としての真価を発揮するときであるように思えるのです。
人は年を重ねるにつれて「他人の欠点はあからさまに指摘しないで、傷つけないよう円満に対応するべきだ」という意識が強くなるように思われます。それと同時に、他人から受ける批判はもとより、悪意のない指摘やアドバイスに対しても素直になれず、自己を正当化して、かえって傷つきやすくなる傾向があるようです。ここは自分の失敗について、まず冷静に、素直に、明るく受けとめることが大切であると考えます。
ボランティア活動は、なんらかの社会貢献を意図した自発的な善意に基づくものですから、あなたもそこにやりがいを感じて活動を続けてこられたのでしょう。しかし、善意の人が集まるグループであれ、そこに人間関係が存在する限り、一人ひとりの気質や性格の違い、さらにはその時々の互いの都合や体調などによって、意見の対立や誤解が生まれることもあるものです。あなた自身も、これまでさまざまな行き違いを経験する中で、互いに許し合い、受けとめ合いながら、自己理解・他者理解を深め、心を美しくする努力をしてこられたのではありませんか。
今回の苦い体験によってボランティアから身を引いてしまうのは、あなた自身にとっても相手の方に対しても、賢明さと誠実さに欠ける対応といえましょう。今日まで努力を重ねてきたにもかかわらず、ここで怒りや不快感をつのらせて人生に遺恨を残すのは、残念なことです。
もちろん、体力的にも精神的にも「そろそろ後進に道を譲ろう」という冷静な気持ちから身を引くというのであれば、それもよいでしょう。しかしその場合も、自分にも非があったのであれば「ごめんなさい」と言えるだけの勇気を出していただきたいものです。
平成30年1月号

Q:不登校の子供との関わり方

男2人、女1人の母親で、看護師として長年働いてきました。長男は就職しましたが、高校生の二男と中学生の長女が不登校で、私もうつ状態になり、退職しました。子供と過ごす時間が増え、長女は元気を取り戻しつつあり、二男も自分の気持ちを話すようになってきました。夫の両親と同居していますが、義母は子供に「学校に行くべきだ」と厳しく言い、認知症の義父にも冷たい態度で、別居を考えたこともあります。子供との関わり方についてのアドバイスをお願いします。(50代・女性)

A:子供の自立心を育てよう

子育てと夫の両親との同居生活に、生計を支えながら努力されている姿が浮かんできます。義父は認知症、義母は介護にあまり協力的でない様子。さらには下の子供二人が不登校になり、苦慮する中でご自身がうつ状態になり、退職に至ったようです。その後は、不登校の二人に好転の兆しが見えてきたものの、義母からは冷たく厳しい態度で非難され、子供たちとどのように関わっていけばよいかと悩まれているのですね。
子供たちの先行きに不安を感じておられるようですが、まずはあなた自身が退職を機に自分を取り戻し、子供を見守り対話する時間が増えたことで、お互いの心の距離が近づいてきたようですから、これを好機と受けとめたいですね。
自我を確立していく過程にある中学生や高校生の多くは、心の内と外にさまざまな不安を抱えているものです。周囲の大人たちがどのように見守り、対応するかによって、子供の心の状態は大きく変化します。
あなたには、この状況を「子供たちの今後のために家の中をどのように整え、課題に取り組んでいくかを考える絶好のチャンス」と、前向きにとらえてもらいたいのです。このような機会がなければ、たいていは経済生活をいかに営むかという点には気をつかったとしても、各自の人生をどのようにつくっていくのかを改まって考えたり、語り合ったりすることはないのではないでしょうか。
幸い、子供たちは中学生以上ですから、人生の目標を語り合い、その理想に向けてどのように現状を打破していくのかを自覚的に考えるような時間をつくることができたら最高です。そのような中で、人生を確立していく主人公は自分であることを自覚し、家族とはいえ一人ひとりが違った志や個性を持つ中で、お互いに協力し合いながら歩んでいくことが大切であると、理解し合いたいものです。家族の相互理解の上に信頼感が育まれたなら、お互いの努力、そして協力への意欲も高まっていくと考えます。
したがって、ここは少し時間をかけても、子供たちの成長意欲を引き出し、心の内を理解し合うことに気持ちを集中してほしいと思います。そのようにして子供たちの思いを十分に理解できたとすれば、子供たちも家族の一員として、力を合わせて祖父のお世話にも取り組めるような雰囲気が家庭内にできてくると思います。
平成29年12月号

Q:会長職を引き受けるべきか?

数年来、軽い付き合いのあった近隣の里山自然公園を守るNPO法人で、会長を引き受ける人が誰もいないという理由から、私が頼まれました。しかし、私はそのような器でもなく、家族(妻、老親)も強く反対しています。そのような状況で無理に引き受けても、よい結果が生まれるとは思えません。どのように考えたらよいのでしょうか。アドバイスをお願いします。(60代・男性)

A:感謝し、楽しむ「心のゆとり」を持って判断を

NPO法人の会長職に推薦されたものの、自分としてはその器ではないと思い、また家族の反対もあって、断りたいと考えておられるようです。しかし、「なり手がないんだよ」と頼まれると、不安に思いながらも承諾したほうがよいのだろうかと、心が揺れているのですね。
社会人としての公的な職業生活が一段落し、知人との縁などから楽しんで社会貢献をしようと、その団体と付き合ってこられたのでしょう。しかし、会長となると責任が重くのしかかり、付き合いもこれまで以上に求められます。慣れない立場になることには、誰もが不安に思うものです。役割に忙殺され、人間関係に気をつかい、自分のゆとりの時間がなくなるとなると、しりごみされるのもよく分かります。
数年来の付き合いがあった団体とはいえ、あなた自身にその気がなければ、気にすることなく断ることができるのではないかと考えます。要請を受けたことに責任を感じておられるのは、推薦者との個人的な関係とともに、NPO法人の理念に共感し、活動を継続していきたいという気持ちが心のどこかにあるのでしょう。自分の力量に慎重で消極的な判断をしている面と、社会に役立つことをしたいという気持ちが、心の中に葛藤を生んでいるようです。
人間というものは、いくつになっても成長するものであり、意義ある人生を送りたいという意欲がなくならない限り、問題に直面しては悩むものです。しかし、それを乗り越えるたびに心地よい緊張感と充実感を味わうことも事実です。若い時代であれば、理想と現実、目標と自分の実力とのギャップに悩みながらも、少々の苦労や失敗があっても挑戦しようと決断し、その体験を通じて成長していくものです。
あなたは今日まで、どのように人生を歩んでこられましたか。消極的に、より安全な道を選んでこられたのでしょうか、それとも積極的に挑戦してこられたのでしょうか。また、今後の人生はどちらの道を歩んでいこうと考えておられますか。ご家族は無理をしてまで挑戦することはないと考え、無難な道を勧めているのでしょうから、あなたがはっきりとした意思を持っていないと、今回の場合、明確な判断を下せないことになります。
いずれにせよ、「自分の判断に対しては誰も責任を取ってくれない」ということをよくわきまえて、「自分の人生に感謝し、楽しむ」という心のゆとりを持って判断されればよいでしょう。会長職を引き受けるか否かにかかわらず、自分の道に自信を持って進まれることをお勧めします。
平成29年11月号

Q:約束を破る人が許せない

長年の疑問についてお尋ねします。約束を破る人についてです。会う約束をしていた友人から直前になってキャンセルされ、ひどいときは1人で旅行をしたこともあります。約束を破った友人は悪びれた様子もなく、私はいつも傷ついたり怒ったりです。私は小さな約束でも守れるように、念入りに事前の調整をするのですが……。予定の変更は仕方のないことかもしれませんが、相手に軽んじられているのではないかと思うことがあります。どのように受けとめたらよいでしょうか。(40代・女性)

A:勇気を出して気持ちを伝える努力を

長いお付き合いのご友人なのでしょうか。普通、約束を破ったり破られたりすると、お互いにいやな気分だけが残るものです。でも、あなたの友人は約束を破っても悪びれるところもなく、あなたの苦痛や怒りにも頓着せずに、「ごめんなさい」とあっさり済ませる人のようです。あなたは不審を抱きながらも、その友人とは仲よくしたいという思いもあり、自分の気持ちを訴えることもできず、対応に悩んでおられるのでしょう。
今のあなたは、自分の受けとめ方を変えることで、なんとか解決していこうと考えておられるようです。しかし、このままでは友人と対立はしないものの、よい関係が長続きするようには思えないのですが、どうでしょうか。
ほかの人から不適切な行為や態度を受けた場合、どのように対応するかによって、あなた自身の健全な成長を左右するということは、あなたも気づかれているでしょう。大切な人であればあるほど、相手を尊重しつつ、理解できないところは丁寧に聞き、相手の思いや事情に耳を傾け、理解し合うという基本的な姿勢を持ちたいものです。
あなたが今、友人に対してそのような態度が取れない、あるいは友人が耳を貸そうとしないのであれば、それはあなたにとっても友人にとっても不誠実な人間関係であると言わざるをえません。それはお互いに大切な成長の機会を放置していることになりましょう。
人には自分1人では気づけない短所や長所があるものです。でも、相手の短所ともいえる考え方や態度を無理やり変えようとするのは心地よいことではなく、人間関係を壊してしまうことにもなりかねません。あなたにとって大切な友人であれば、なおさら相手を心から尊重しながら、語り合い、学び合い、成長し合うという努力をしてほしいと考えます。
今までも何度か同じような苦い体験をしてきて、今さらそんなことはできないとお考えになるかもしれません。しかし、私は慎重に自分自身に挑戦していただきたいと思います。人間はいくつになっても人間的に成熟するもので、あなた自身が成熟し、相手と理解し合った分だけ、生きる喜びや充実感が増えると確信するからです。
あなたはこれまで自分の気持ちを抑え、相手の自発的な善意を待つという消極的な態度を取ってこられたようです。しかし、ここは友人と親しく語り合うチャンスをつくって、あなたの素直な気持ちを丁寧に聞いてもらってはどうでしょうか。結果を案ずるのではなく、勇気を出して、あなたの気持ちを伝える努力をしてみてください。自分の誠意を伝えることで、自分に挑戦してみてください。きっと新しい自分に出会うことができるでしょう。
平成29年10月号

Q:自分らしい人生を歩みたい

2年前に離婚しました。元夫の事業不振や育児に対する考え方の違い、姑からの心ない言葉。笑顔があり、くつろげる家庭をつくろうと努力しましたが、心の休まる日はありませんでした。私が2人の子供を育てていますが、時期をずらして不登校になり、私自身も苦悩の中で人生を振り返りました。元夫は転職し、少し変わったようです。家族4人が元に戻って温かい家庭を築くべきと思う一方、子供が自立したら自分らしい人生を歩みたいとも思います。このような考えは罪深いのでしょうか。(40代・女性)

A:子供を育て上げる責任を第一に

2年前に子供を連れて離婚し、1人で子育てに苦心されているとのこと。努力はされたのでしょうが、夫の事業不振というタイミングの悪さもあり、夫や姑との関係がこじれて離婚に至ったようです。
一般的に40代は、仕事においても家庭内においても認められたいという社会的欲求が出やすい時期です。あなた方の場合、その欲求が相手に向いたうえ、子供たちの自立の問題や、姑からの期待がからまって、破局に至ったのでしょう。相手への期待が大きければ大きいだけ、自分の感情を抑えきれなくなるものです。その結果、相手を攻撃したり絶望したりという結末を迎えることになったのであれば、残念なことです。
しかし時間と距離を置いた今、あなたは少し冷静さを取り戻されているようです。その後、転職した元夫が落ち着いていることや、2人の子供の不登校によって、夫婦の協力の必要性を実感され、家族4人での生活を再考されているようですね。
復縁があなたの望むように実現するかは分かりませんが、ここではあなたの心が前向きになっているようですからあえて申し上げます。
まず、可能な限り、親は2人して子供を正しく育て上げる責任あることを銘記したいものです。結婚をして子供が授かったあなた方には、子供を立派に自立させるまでの義務があり、これを他人任せにしてはならないと考えるからです。
どのような夫婦も、時折、対立や苦悩から逃げ出したくなることがあるものです。しかし、この苦悩を克服することなしに、お互いの人間としての成長や喜びは得られません。あなたの「自分らしく自由にふるまい」たいという思いも、共に喜びを分かち合う相手がいなければ、その自由はむなしいものです。
子供を育て上げた後で、あなたがどのような生き方を選ばれるかはお任せしますが、離婚を前提にして、子育ての間だけ辛抱するというのでは、それは真の愛情ではありませんから、悲しい結末に至りましょう。ここは冷静に2人して、これからの子供たちの人生について語り合いたいものです。そうする中で、相手が自分に向けてくれた思いやりにも気づき、お互いを認め合い、許し合い、尊重し合うことがどれほど大切であるかに気づかされるでしょう。
他者と対立したときは、相手への要求心が大きすぎたことを反省する以外に事態を好転させる道はありません。子供たちの健全な成長を第一に、自分自身の人生ためにも、勇気を出して歩んでください。
平成29年9月号

Q:海外で働く娘が心配

20代の娘は昨年、海外にある会社に転職しました。海外で働くことは学生時代からの夢だったようですが、最近はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス=インターネット上の会員制サービス)で「この国に貢献することが私の使命」と公言しています。親としてはそこまでの覚悟とは思わなかったため、困惑しています。連絡しようにも途上国なので、電話がなかなか通じず、手紙も届いたり届かなかったりします。どうしたらよいでしょうか。(50代・主婦)

A:覚悟と祈りをもって見守りたい

若い人々が海外へ雄飛し、世界中の人々の中に入って人間関係を築きながら仕事をし、協調と平和を実現していく時代です。娘さんは学生時代から海外で働くことを夢とし、今では「この国に貢献することが私の使命」と公言しておられるというのですから、目標に向かってたくましく生きておられることに、まずは敬意を表します。
とはいえ、国内とは事情も違って、親としては心配の種が尽きることはないでしょう。安心と安全がかなり保障されている日本で暮らしていると、海外での生活に不安を感じる気持ちも分からないわけではありません。
しかし、少し冷静に考えると、どの国にも善き人がいれば悪しき人もいるわけで、不安ばかり抱いて足を引っ張っていても、娘さんの人間的な成長を妨げることになるでしょう。ここは娘さんの危機管理能力を信じつつ、案じながらも前向きに、親子共々が国際的日本人になるという覚悟をする機会ととらえていただきたいと思います。
今日では国内にいても海外にいても、危険はいつも隣り合わせです。どんなに安全に気を配っても、現実の社会において、何事に遭遇するかは計り知れません。だからこそ国家は自国民の安全に、また、それぞれの集団はそれぞれの場面での危機管理に最善を尽くすのです。
日常の経済活動を中心にグローバル化が進み、私たちの生活が自由と多様性に向かっていく限り、究極的には個人が正しい道徳的判断力とたくましく生き抜く力を養い、自己管理をしていく覚悟が不可欠になっています。
今や私たちは、言葉や生活習慣、生活信条や信仰など、さまざまに異なる価値観の中で、平和を実現するために、互いに尊重し合い、信頼をもって共存することが不可避な時代に生きています。各個人の人間力も、重要性を増しています。そしてこれらの力を使って、共に今を生きている人々と心のつながりを保ちながら、互いの「いのち」の根源といえる自然や国家や家族への愛を実現していく必要があります。
娘さんはそんな意志を持って、海外で、現地の人たちと共に、生きる喜びを分かち合おうとしておられるのではありませんか。祖国への誇り、家族との絆、他者への愛情を抱きつつ、今、目の前にある使命に挑戦されているとすれば、「少々のことがあっても大丈夫」という覚悟を持って、見守ってあげてもいいのではないかと考えます。
一人ひとりが自分の天賦の才を生かし、天命に生きる時代が到来していると理解し、不安を祈る力に変えて見守っていく勇気を奮い起こしていきたいものです。
平成29年8月号

Q:職場の先輩の態度に悩む

私の勤め先は、社員十数名の会社です。勤続年数の一番長い女性は、日ごろから好き勝手なふるまいをしており、自分の意に添わないと、あからさまにいやな態度をします。例えば、気の合わない人の前では、わざとらしくマスクをして、口をききません。このことはほかの社員もおかしいと思ってはいるのですが、面倒なことに巻き込まれるのを恐れて注意もできないのです。今の状況を改善するには、どうしたらよいでしょうか。(20代・男性)

A:自分の職務に明るく徹するところから

勤続年数が最も長い先輩女性のわがままに、周りの従業員は不愉快な思いをしながら耐えておられるようです。あなたはなんとかしたいと思いつつ、どのように関わっていけばいいかが分からずに困っておられるのでしょう。
勤め先の上司や先輩、時には同僚の自由気ままなふるまいに悩まされることは、よくあることです。特に経験が浅いうちは、人間関係ばかりが気になって、自分を見失ってしまうことさえあるものです。
社内の就業規則が明確になっている場合は、不快でわがままな行為を律するという雰囲気もつくりやすいのでしょうが、そうでない場合、あなたのような存在は、会社にとって宝物です。小さな人間関係の問題とはいえ、大切な生活の場である職場環境の問題を放置しておくのは賢明とはいえません。しかし、相手を変えようとするのではなく、自分の周囲との関わり方を変えていき、徐々に職場の雰囲気をよくしていくように努めましょう。
ただ、一人でなんとかしようと考えるのはやめましょう。先輩や仲間の協力なしには、うまくいかないでしょう。そして、あなた自身は新しい自分に挑戦する好機と考えて、まず職場での自分の責任の果たし方について見直してみましょう。
当面の目標は、先輩女性に態度を改めてもらいたいということですが、現実的には、皆が協力し合って会社の社会的使命を果たしやすい職場の雰囲気をつくることにあるわけですから、この問題から少し距離を置くことも必要です。
どのような人も、他人には言えない個人的な悩みを抱えているものです。他人に不快感を与えずにはいられないようなつらさを抱えておられるのかもしれません。当人も、本心では他人とうまくやっていきたいと考えておられるのでしょうが……。非難する気持ちからは、人の和は実現されません。
この問題を改善していくには、当の本人を悪者にすることなく、大きな心と粘り強い忍耐力と、仲間への信頼感を持続することが求められます。多少時間はかかっても、その先輩の心の味方になり、まずは明るい挨拶、快い返事、謙虚な仕事ぶりを通して、職場の雰囲気をよくすることを念頭に、今、目の前にある仕事に情熱を傾けてください。焦ることなく、邪を破らず誠意をもって、誰もが職場に来ると元気になれる雰囲気をつくる努力をしましょう。
職場の問題を一つずつ、自分の課題として解決していくその姿勢は、あなたを人間的に大きく育ててくれるでしょう。試してみてください。
平成29年7月号

Q:親の責任を迫る引きこもりの息子

私どもは3人の男児に恵まれました。現在、40代の長男は他県で家庭を持ち、30代後半の次男・三男と同居しています。三男は小学生のころに不登校になり、現在は引きこもり状態です。最近は「自分がこうなったのは、『善悪の判断』や『正々堂々とした態度』を教えてこなかった父親に責任がある」と迫るようになりました。私は親として、どのように償うことができるでしょうか。息子の将来のために、何をしてやれるでしょうか。(70代・男性)

A:すべてをかけて、もつれを正す勇気を

30代後半になるご子息が、小学校時代からの不登校に始まり、今では引きこもりの状態になっているとのことです。本人も長い年月を経て、なんともやるせない気持ちが募り、その原因を「親が正しい教育をしてくれなかったからだ」と責め立てているようですね。親としても、いろいろ手を尽くしてきたものの、今もって自立できないでいる息子に、自分たちの未熟さを反省しつつも、なんともしてやれない現状への無力感が、いたく感じられます。
何が原因であるかは別にして、親が責任を回避すれば、事態は時の経過と共に悪化するばかりです。ここは「子供たちと共に事態を受けとめよう」という、プラスの覚悟が必要です。
戦後の高度経済成長期を生きた私たちの世代は、自由に物の豊かさを実現することをよしとする空気の中で育ちました。しかし、自分自身が親の立場になったとき、子供たちの心の成長に十分な配慮をしてきたかと顧みますと、さまざまな試練や葛藤に「持ちこたえる力」を養わずにきてしまったのかもしれません。残念なことですが、ご子息も青少年期の心の葛藤をうまく克服できず、自然に発達する自意識や自尊心に対し、心が調わぬまま成人していることになります。親として、してやれることは限られ、子供との対立や抵抗も、時と共に大きくなっているのを実感されていることでしょう。
ここは、専門家の手を借りることが必要です。精神科医やカウンセラー、さらには地域の自立支援センターなどとも相談し、本人の意思で動き始めるように導く道を探りましょう。冷静に過去を受けとめ、自分自身を取り戻すことを目標に、自分で歩み始めることを支えてくれる人と出会えることが、現状を打開する鍵になるからです。
このような他人の援助は不可欠ですが、その基本は家族みんなの足並みです。親の責任において、家族全員がこのもつれた糸をつむぎ直していく覚悟を共有したいものです。なんといっても両親と子供たちとの間に、お互いの愛情と信頼と尊敬を取り戻す機会にしてほしいのです。
長い間に複雑化した問題を正し、心の傷を癒していくには、不退転の覚悟が必要です。しかし、あなたが全身全霊をかけて、子供の将来のために祈り、どんなに誹謗されても家族と共に人生を全うするという粘り強い親心を持って歩む限り、運命の神は決して見捨てることはないと信じます。
どうか心を正して、苦悩のうちに犠牲を払うことを喜びとして、大きな勇気を持って歩んでくださるよう祈ります。
平成29年6月号

Q:友人の将来が心配

私の友人は、中学のときに途中で部活動を退部、高校2年生のときにはついに中退してしまいました。「将来は料理人になりたいので、それ以外のことに時間を取られたくなかった」と言っていましたが、ここ数年は引きこもりの状態が続いています。高校中退後も10年ほど友だち付き合いがありましたが、昨年、私がきつく説教をしてしまい、以来、絶交状態にあります。これから私は、彼が独り立ちするのを待つべきでしょうか。あるいは何か、はたらきかけるべきでしょうか。(20代・男性)

A:友人と共に成長しよう

20代後半になった引きこもりの友人に、なんとか手助けをしたいが、どのようにはたらきかけていけばいいかと案じておられる様子です。
詳しい経緯は分かりませんが、中学生のときに部活を退部し、高校も中途退学をしたということですから、そうした挫折の経験がその後の生き方に影を落としていることは否めないようです。また、料理人として生きていくことを目標にしながらも持ちこたえられず、今日に至っているというのは、当人としても、思うようにいかない人生に落胆しておられることでしょうね。
無二の友ともいえるあなたも、そのような状態の友人を励ましたくて、結局は説教をしてしまい、絶交状態になっているということです。
現実の厳しさを考えますと、本人だけの努力で独り立ちすることは難しいように思えます。さらには、そこに第三者の協力があったとしても、彼自身に前向きな姿勢と覚悟がわいてこない限り、一人の人間として自立していくことは難しいという点を、あなた自身が認識しておく必要があるでしょう。
いかに親身になっても、他人がその人になり代わることはできないのですから、支援することにも限界があります。また、私たちは、自分の成育過程において達成しておかなければならない課題があり、その時機を逃すと、年齢が加わるにつれて、ますます自立することが難しくなるという事実をわきまえる必要があります。
ここは、あなた一人の力でなんとかしようと考えるのではなく、あなたとその友人の持っている資源(知的・道徳的・体力的・精神的特質、さらには協力者など)について理解をし、共に考えてくれる両親や恩師、信頼できる先輩などの力を借りることを考える必要があります。
「鉄は熱いうちに打て」とは古来の名言ですが、幸いまだ20代。やり直しがきかないわけではありません。友人の心に火を点ける何者かに出会わせることができるかどうかが問題です。このままずるずると過ごしていては、明るい未来は開けません。
その気持ちを切り替えさせるには、まず友人を外に引き出し、体から友の心を動かしていく必要があります。具体的には「話し合う」「旅をする」「行をする」「人に会う」ことがお勧めです。あなたがそうした時間を彼と共に過ごせれば最高です。友人が今、みずから相談できる相手を持っていないとすれば、あなたが彼の心の友となるよう心がけてください。
もちろん、あなた自身も自分の人生を着実に歩み、信頼して相談できる親や仲間との絆を強めていくことを忘れてはなりません。友人と誠実に関わる中で、共々に人間的に成長されることを祈っています。
平成29年5月号

Q:国際結婚の是非

私には同じ会社で働く外国人の恋人がおり、交際5か月目でプロポーズされました。しかし、母と祖父母は「外国人だから無理なものは無理」との一点張りで、猛反対です。彼をわが家に招待したときは、楽しく談笑していたにもかかわらず、「この結婚を進めたら親子の縁を切る」とまで言われています。私は、グローバル化が進む今、結婚に国籍は関係ないと思うのですが、将来、子供ができたときに家族の仲が悪いのはよくないとも思い、不安を感じています。(20代・女性)

A:親を非難するのではなく、しっかり自立を

外国人の恋人との結婚について、お母さんやおじいさん、おばあさんに猛反対され、立ち往生していらっしゃるようです。
結婚という人生の一大事に、最愛の人と巡り会うことができたのであれば、すんなりと祝福してあげてもいいのでは……というのが第三者の気持ちです。しかし、ご家族にとってみれば、まったくの異文化の人との生活を思うと、さまざまな不安と戸惑いを抱かれることも容易に想像できます。
今日、私たちの生活はグローバル化が進み、諸外国の人々との交流の機会が増えています。異文化間の対話や相互理解、相互協力なしには、それぞれの国家や地域の発展を実現しがたい時代に突入しているといってよいでしょう。そのような中で出会う男女に、言葉や文化の違いを乗り越えて互いを信じ、愛し合える人間力があったなら、国境を越えた恋愛に進んでいくケースは、これからもますます増えていくことでしょう。
しかし、今回のあなたのような結婚ということになりますと、あなた個人の問題にとどまらず、あなたのご家族がどれほど異文化の慣習に適応できるかということもポイントになります。ご家族の反応をうかがう限り、慣れ親しんだ日本的な生活以外には想像できないほどの不安を感じ、「それなら親子の縁を切る」という拒絶反応が出るのも不思議ではありません。
ただ、冷静なご家族のようですから、頭ごなしに反対しているように見えたとしても、あなたを育ててきた親だからこその強い思いがあるのかもしれません。あなたがこの結婚に対して、どのような苦労があっても耐えていけるだけの覚悟はあるのかと、身を切る思いで問うておられると考えることもできるからです。
あなたにとって、とても大切な彼であるとすれば、なおさら冷静に、決して短慮に走ることのないよう、少し時間をかけることにしてはいかがでしょうか。交際を始めて5か月という期間を考えると、反対されるご家族への配慮、あなたにもある「子育てや家庭不和への不安」の解消、そして彼の家族に対する配慮も必要です。ここは彼との交際を大切に継続しながら、周囲の人々に少しでも安心を与えられるよう、2人して努力されることをお勧めします。
もし、あなたが親の反対をバネにして、真の大人としていっそう深く親の思いを見つめ直し、自分たちの思いも理解してもらえるように粘り強く努力をするのであれば、最後は誰も反対できるものではないでしょう。
要は、自分たちの結婚を考えるだけでなく、誠心誠意、親に安心を与えられるよう、本気で行動できるか否かに、あなたの人生のすべてがかかっていることを心得てください。応援しています。
平成29年4月号

Q:皆に分かってもらうには

私は最近、否定的な言葉や人の悪口を言えば、運気は悪い方向に流れ災いを招くと知り、愚痴も含めて言わないようにしていました。しかし、職場の同僚からは、あまりいい感じを持たれません。確かに以前の私は、その同僚と一緒に人の悪口を言ってストレスを発散していましたが、今や猛反省したのです。同僚にもこのことを知ってほしくて「思いやりの心が自身の運勢を好転させる」と伝えたことで、かえって自分の立場を悪くし、ぎくしゃくしています。どうすればよいでしょうか。(50代・女性)

A:まずは徹底して自分に挑戦を

「否定的な言葉や人の悪口を言うことが自分の運勢を悪くする」と知って、自分なりの努力をしてこられましたが、周りの人には好意的に受けとめてもらえないのですね。なんとか思いを伝え、皆にも幸せになってほしいと思って話したことで、かえって反発を受けてしまったようです。
周囲に思いやりの心を広げていこうとすること自体は、よい心がけであると同感しますが、その場の雰囲気や他人の生活態度を変えていくには、相応の忍耐力と時間が必要です。
たいていの人は、自分のふだんの言葉づかいや態度、さらには考え方を変えるように押し付けられていると感じたときには、本能的に反発するものです。これは、高邁な政治・経済のことから家庭や職場の人間関係に至るまで、どんなに正しいと思えることでも、何か新しいことを試みようとするときには、すべての人が同じように賛成し協力してくれるものではないということでもあります。
人には、それぞれ自分なりの考えや事情があり、自分に都合がよければ賛成するといった自己中心性(わがまま)を持っているものです。自分を変えていきたい、そして周りの人ともうまくやっていきたいというあなたの思いは、間違ってはいないのですが、今のままでは周囲の人から「迷惑な人」というレッテルを貼られてしまいかねません。
あなたのように、自分の行いを正して周りの雰囲気をよくしていこうと努力する人があってこそ、社会はよくなるのですから、あなたには負けてほしくないですね。
しかし、そのためには相手を変えようとか説得しようというのではなく、それなりの冷静さと粘り強い覚悟をもって、まずは自分を変えていく努力が必要です。あなたが「自分の言葉や態度が運勢を変える」と気づかれたのは間違ってはいないとしても、あなたは少し焦っておられたのではないでしょうか。その言葉を伝えられた同僚が、決して快い感情を抱かれなかったのですから。
皆に分かってもらうには、自分の存在が周囲から好意的に受け入れられるということが基本ですから、あなた自身が優しく温かく、気持ちのいい空気のような存在になることが肝要であると考えます。
したがって、あなたには、自分で気づかれたことを大切に積み重ね、「否定的な言葉や悪口を言わないことで、人間がこんなに明るく、生き生きとしてくる」ということを、その生きる姿で表してくださることを願います。
人は変われるものだということ、そして、その変わった分だけ喜びを味わえるものであるということを、粘り強く示し続けていってください。
平成29年3月号

Q:子供を授からなくても強く生きるには

私には持病があり、子供を授かっておりません。昨年までヘルパーをしていましたが、利用者さんに子供がいないことをなじられ、仕事を辞めました。それ以前の職場でも、繰り返し子供について質問され、長続きしませんでした。正直に病のことも言えず、その人たちをいつまでも恨む日々です。今では人と関わるのが怖くなり、外に出て仕事をする気力もなくなってしまいました。興味本位の人には、どのように対処したらよいでしょうか。子供がいなくても、強く生きていけるでしょうか。(40代・女性)

A:与えられたいのちを受けとめよう

結婚はしたものの、持病のために子供を授かることができない中で、精いっぱい仕事に励んでこられたあなたは、心ない人から冷たい視線や非難めいた言葉を浴びせられ、反論もできずに身を引き、自分の殻に閉じこもりつつあるようです。
一般的には、社会的弱者やハンディキャップを持つ人々への配慮や支援への意識は高まりつつあります。しかし一方で、あなたのように理不尽な思いをされることがあるのも事実で、とても悲しいことです。
今日、科学技術や医学・心理学・生理学等の進歩発展には目を見張るものがありますが、不断の研究にもかかわらず、難病はなくならない状態です。あなたは持病を克服すべく努力されているのでしょうが、なんとも乗り越えられない病気にさいなまれ、苦悩されているようです。
非情のようですが、あなたに与えられた現状を受け入れる以外、前向きに生きる道はないと覚悟する必要があります。ここでは、周囲の理不尽な態度や言動に対して、あなた自身が強い気持ちで生活を全うできるよう、同時に、あなたの態度によって少しでも社会が明るくなるように、一緒に考えてみたいと思います。
ただ、これは決して容易な道ではありません。持病があることに対して、あなた自身が引け目を感じていては、どうにもならない問題であると自覚していただきたいと思います。
人間には、他人の弱みにつけ込んで、自分の弱さや理不尽さを正当化しようとする性質があります。しかし、真に自分の弱み(あなたの場合は持病)を受け入れている人に対しては、よほど悪意のある人でない限り、素直に思いやりの心を発動するものです。
あなたの場合、どうしても子供が授からない状態であるとすれば、それはあなたのせいでも誰のせいでもなく、人間としては受けとめるしかない事柄としてとらえ、自分を見失わないことです。そのうえで、ご主人や仲間の支援を得ながら、無理のない範囲で社会参加を心がけることです。
どのような人でも、社会と関わりを持つ限り、自分のすべてを誰もが快く受け入れてくれるということはありません。自分の中にある他人への不信感や期待感をなくし、自分の素直な気持ちを大切に、周りの人の役に立てるよう、無心に歩んでみてください。他人の言葉に動じることなく、1か月、2か月、3か月と、自分らしさを精いっぱい発揮してください。きっとあなたの味方が1人、2人と現れてくることでしょう。
途中でくじけそうになるかもしれませんが、そのときは頑張りすぎず、天を味方に、ご主人や仲間の力を借りて自分のいのちを輝かしてください。与えられたいのちを素直に生き抜いてくださることを祈っています。
平成29年2月号

Q:弟の再就職

実家の弟は、人付き合いの苦手なタイプです。大学を中退した後、親戚の紹介で就職し、5年ほど勤めましたが、仕事上のトラブルの責任を取る形で辞めてしまい、今はアルバイト生活です。母親は、弟のことをかわいそうに思うのか、現状に満足している様子です。私は弟がこのまま年老いていく姿を想像すると、再就職して結婚もしてほしいと思うのですが、弟は忠告を素直に聞き入れる性格ではないので困っています。今の状況で姉としてできるのは、どのようなことでしょうか。(30代・女性)

A:お母さんの味方になって

結婚され、実家を離れたあなたは、弟さんと実家が今後どうなっていくのかを案じておられるのでしょう。今はいいとしても、弟さんの将来の結婚や自立のことを考えると、「弟をなんとか再就職させ、母親にも安心してもらいたい」という気持ちで焦っておられるのでしょう。
ご質問からはお父さんの存在がうかがえませんが、お母さん一人のご苦労で育ててこられたのでしょうか。「弟は忠告を素直に聞き入れる性格ではない」とありますので、現時点で、あなたの心配はご本人に快く伝わっていないようですね。
今日の日本社会は二極化しつつあります。パートやアルバイトなどの非正規雇用で生活する青年男女が増え、至るところで就労支援や育児・結婚支援などが議論されていますが、問題の根は深く、特効薬があるわけではありません。これは国全体の問題でもありますが、他人頼みにするのではなく、究極的には一人ひとりが「自分の人生は自分で切り開く」という強い意志を持って、冷静に受けとめる必要があります。
そのことを了解したうえで、あなたの「弟になんとかやる気を出してもらい、人生を前向きに歩んでほしい」という思いについて考えてみましょう。
弟さんには今のところ、その意欲が湧いていないようです。大学を中退し、親戚の紹介による就職先もトラブルの責任を取って辞めたということですから、自己肯定感も向上心も乏しくなっているだろうと言わざるを得ません。
一方、あなたはお母さんに対して「弟を甘やかしている」と少し非難する気持ちを抱いておられるようですが、そうした批判的な思いを抱いたままで、誰かを前向きに励ますことができるでしょうか。そんな気持ちで忠告するあなたの言葉に、弟さんは素直に耳を傾けるでしょうか。
人が希望を持って前向きに歩み始めるためには、自分に少々自信がなく、外で失敗して落ち込むことがあっても、大きな心で温かく受けとめてくれる強い味方の存在が不可欠です。弟さんの身近には、そのような存在があったでしょうか。
先にお父さんのことを申しましたが、もし父親不在ということであれば、お母さんがその役目も果たしてこられたということですから、あなたはまず、お母さんの味方になって、共に弟さんを温かく受けとめ、支える態度で見守っていくことから始める必要があると考えます。
「強く生きる」という基本的な姿勢は大切ですが、その強さを引き出すのは、粘り強く温かい慈愛の態度です。その点を心に刻んで、弟さんに接していただきたいと思います。
人は自分の内側からやる気が湧いてこない限り、前向きに歩むことはできないのですから。
平成29年1月号

 

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